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2009-2010 冬の旅 12(最終回)、旅の終わりは新年の始まり

2010-02-07 | 旅行
2009-2010 冬の旅 11、ロケットの生まれた海 道川海岸・秋田ロケット実験場跡からの続きです

今夜は日本海沿岸はかなりの荒天が予想されるとのことで夜行列車は軒並み運休してしまうようだが、今のところ風は強く吹いているが雪はなく、まだ列車は動いている。
今夜乗る予定だった急行「きたぐに」号には乗れなくなったが、とりあえず行けるところまで行ってしまおう。
という訳で、明日の元日早々から押しかける予定だった京都の妹夫婦kamimog宅に
「これから列車が動かなくなるので、いつになったらそちらに着けるか分からない」
と携帯電話で連絡を入れて、岩城みなと駅12:35発の酒田行き普通列車540Mに乗車。

酒田行き普通列車は日本海から吹き付ける大風で時々徐行を余儀なくされ、やや遅れながらもどうにか酒田駅に到着したが、ここで状況は更に悪化した。
この先の新潟方面へ向かう列車は運行されるかどうかよく分からない状況で、窓口には運行状況を確かめる乗客が詰めかけ駅員さんが対応に追われている。

僕は酒田駅から新潟行きの快速「きらきらうえつ」に乗る予定だったのだが、16:11発の「きらきらうえつ」は運行されるかどうかまだ分からない。
どうしたものかと思っていたら、次の新津行き普通列車は運休するとの案内があった。これはもう呑気に動くかどうか分からない列車を待っている場合ではない、一刻も早く先へ、行けるところまで行かねば!
「乗り鉄の直感」でそう感じたので、窓口に並び「きらきらうえつ」の指定席券を払い戻し、今のところどうにか走っているらしい次の新潟行き特急「いなほ10」号の特急券に変更する。
同時に、もう走らない今夜の急行「きたぐに」の急行券と寝台券も払戻した。窓口の駅員氏からは
「きたぐに号のお客さんは、追加運賃無しで上越新幹線と東海道新幹線への振替乗車が許可されてますから、申し訳ありませんが新幹線で東京に迂回して大阪に向かわれて下さい」
と言われるので新幹線の自由席特急券を購入する。
日本で唯一残る寝台電車の名車583系で運転される「きたぐに」号のベッドから、明日の朝は初日の出の御来光を拝もうと楽しみにしていたので、天災でやむを得ないとは言え残念…

酒田駅を発車した「いなほ10」号の行く手には日が暮れるにつれて激しく荒れ始めた日本海からの暴風が容赦なく待ち構えていた。
 
大荒れの日本海。

「いなほ10」号は時々、小さな駅で動かなくなり、
「現在、運転士が指令センターとこの先の区間の風の状況を確認して発車許可を待っている」
と案内の車内放送が入る。
羽越本線のこの区間では4年前のこの時期に特急「いなほ」が突風で脱線転覆し5人が死亡32人が負傷するという痛ましい事故が起きていることもあって、慎重の上にも慎重を期して列車の運行が行われているようだ。
遅れはどんどん拡大していくが、そのことで文句を言う乗客は居るまい。どんなに遅れても安全第一で運行してもらうのが一番だ。

結局、定刻より2時間以上遅れて午後6時半過ぎに終着の新潟駅に到着した。
新幹線乗換改札口に回って、「いなほ10」号の特急券に遅れ払い戻し証明印を捺してもらう。これは東京駅到着後に精算所に提示すれば特急料金を払戻してもらえるとのこと。
何故、今ここで払戻してもらえないのかが謎で腑に落ちないのだが…
ともかく、上越新幹線は全く悪天候の影響を受けておらず正常運行中とのことなのですぐに新幹線ホームに上がって、停車していたMAXに乗車。せっかくなので2階の窓側に座り、この先どうなるか分からないまま午後7時過ぎに東京に向かい発車(この時は列車番号も全く記録していなかったのだが、後で時刻表で確認したところ、どうやら19:19発の「MAXとき348」号だったらしい)。

上越新幹線は何事も無く高架上を通常ダイヤで走っていく。在来線のダイヤは既にかなり乱れているというのに、感心するやら呆れるやら。
車内検札に来た車掌氏に「急行『きたぐに』からの振り替えです」と告げると、「ああ、じゃあ東京で東海道新幹線に乗り換えね。」
「新大阪行きの列車は、東京駅を何時に出ますかね?」
「ちょっと待って…え~と…ありゃ、お客さん、今夜の新大阪行きの最終のぞみには間に合わないよ!名古屋行きひかりにしか接続してないよ」
えええ~!?

何てこったい、大晦日の晩に終電を逃して駅で夜明かしかよ…と言うか、東京駅なり名古屋駅では一晩中、待合室を使わせてくれるんだろうか。もし駅舎から追い出されたら、ネカフェを探すかファミレスに緊急避難するか、下手すりゃステビー(駅寝)か、何れにせよかなり寂しい状況で新年を迎えることになるのかよ~
思わず「とほほ~」と言いたくなるような状況で、MAXときは上越国境のトンネルを疾走してグングン東京に近づいて行く。
まぁ、嘆いていても仕方がない。こんな時は先ず何か食べて飲んで脳と身体に栄養とアルコールを送り込めば、何なりといい考えも浮かぶというもの。よく考えたら、今日は列車の遅れに対応するために忙しかったので昼ご飯を食べていなかったのだ。こんなにお腹がすいていては、気持ちも沈むし浮かぶアイデアも浮かばない。
ワゴンサービスから缶ビールとかれいの押し寿司の駅弁を買って、真っ暗なトンネルの車窓を睨みながら黙々と食べて飲む。

お腹がくちくなってアルコールがじんわり染みてくると、考え方もポジティヴになってきた。
「そうか、今夜は大晦日だから、首都圏近郊では初詣客用に終夜運転をやっている筈だから、東京近郊区間内を深夜の大回り乗車(都市近郊区間内では改札口を出ず行程が重複しない限り好きな行程で目的地まで乗車出来る特例を応用して、最短距離のきっぷを買って可能な限り遠回り乗車すること)をして朝まで時間を潰すのも面白いかも知れないな。どこかで車窓から初日の出が見えるかも知れないし」
すっかり開き直って、なるようになるさと高を括った頃、MAXときは大宮を過ぎて東京への最終区間をゆっくりと流すように走っていた。
それに僕には、実は「最後の秘策」があるのだ。しかしそれは、果たして抜けるかどうか分からない不安な伝家の宝刀。だが、もし上手く抜くことが出来れば、事態は全て解決する。

東京駅に着いたら先ずは精算窓口に回って、2時間以上遅れた「いなほ10」号の特急券を払い戻す。
この時、事情を説明する。
「実は、大阪方面に向かいたいんですが、今夜の新大阪行き新幹線には間に合わなくて…そこでですね…
調べてもらえませんか。
快速『ムーンライトながら』に空席が出ていないか。

これが僕の秘策だ。
東京と大垣を結ぶ夜行快速「ムーンライトながら」。
東京駅の発車時刻は午後11時過ぎの筈だから、今からでも充分間に合うし、明日の朝は午前6時前には名古屋駅に到着するので、始発の新大阪方面行き東海道新幹線にも乗り継げる。
つまり「ムーンライトながら」を使えば、実質当初の予定の急行「きたぐに」に乗車するのと殆ど同じ時刻には大阪に到達することが出来るのだ。

だがしかし、予定修復の切り札「ムーンライトながら」への乗車には重大な問題というか障害が立ち塞がる。この列車は「全席座席指定」なので指定席券を持っていないと乗れないのだ。
快速列車であり青春18きっぷで乗車することが出来る「ムーンライトながら」には、この時期には全国からの青春18きっぷを利用する旅行者の人気が集中するため、指定席券は1ヶ月前の発売と同時に売り切れてしまい、毎夜満席での運転が当たり前となっている。
実際に、定価510円の指定席券がネットオークションにかけられて高額で違法に転売され、社会問題化したことすらある。
そんな「ムーンライトながら」の指定席券を、果たして乗車当日の発車数時間前に手にいれることが出来るのか?
まず無理だろうと誰もが考えるだろうが、実は何故か発車直前に意外とキャンセルが出ることがある。また、今回のように「天災での列車の遅れ」という不可抗力な事情がある場合、ひょっとしたら「調整席」(万一の非常事態に備え、鉄道会社が最後まで売らずに残しておくと言われている席)を放出してくれるかも知れない。
窓口氏は「ながら、ですか…どうかなぁ」と言いつつ、先ず無理だろうな~という感じでマルス端末を操作し、発券の発信キーを叩く。
…さあどうなる?


「あ!…いや~こんな事ってあるんですねお客さん。今夜のながら、取れちゃった!」

伝家の宝刀、抜けたり!
「やったー!これで、今夜は途中で夜明かしせずに大阪に向かえますよ。ありがとう!
あ…ながらの指定席券は、この新大阪までの新幹線の自由席特急券からの乗車変更で宜しくね。それから、名古屋から新大阪までの新幹線自由席特急券も付けといて下さい。」

これぞまさに「終わり良ければすべて良し。」
いろいろと災厄に見舞われて、厄年のようだった平成21年・2009年も、最後は幸運をプレゼントしてくれた。
してやったりという気分で意気揚々、東京駅の10番のりばへと向かう。
ここはかつて九州方面行きのブルートレインが発着していたプラットホームだ。最後にここから「はやぶさ」に乗ってから、もう10ヶ月が過ぎようとしている…
 今夜は東京で「コミケ」のイベントが開かれていたようで、「ムーンライトながら」の車中もコミケ参加者と思しき乗客で一杯で、一種独特の雰囲気だ。
それにしても、こんなに混み合っているのによくぞ空席が取れたものだと感心しているうちに、安堵と安心感は睡魔に変わりあっという間に眠りに落ちた。

第6日目 2010(平成22)年1月1日 元日

気が付くと、「ムーンライトながら」は豊橋駅を発車するところだったようだ。
その後もなかなか目が醒めきらず、うとうとしているうちに名古屋への到着を知らせる車内放送があり飛び起きる。

東海地方はさほどの荒天には見舞われなかったようで、列車は05:22、定刻に名古屋駅に到着した。
だが、駅の構内には薄っすらと白く雪が積もっている。
今年は、雪の新年となった。

名古屋では新幹線乗換口前で暫く待って、06:20名古屋始発の東海道新幹線「のぞみ95」号に乗車。
N700系の鼻先にも雪が積もっている。


これであと1時間足らずで新大阪に到着、午前中の早い時間には京都府下の妹夫婦kamimog宅に着けるはずだ。
アメリカンショートヘアーのももちゃんも待っているだろう、一緒に遊ぶぞなどと考えていたが、何とこの先の関ヶ原付近で大変な積雪となっており、新幹線も徐行運転するので相当の遅れが見込まれるという。
もういいさ、ここまで来たんだから、ちっとやそっと遅れるくらいどうってことないさ!
正月早々、あくせく急いだって仕方がないや!

 
関ヶ原で大雪の中をゆっくりと走っているうちに、夜が明けた。
新年の雪景色の中を走る。思わず雪見酒が欲しくなる。

 京都タワーが見えてくる頃、雪雲も切れて青空が広がった。
N700系は初陽に照らされ輝きながら京都の街並みを駆け抜けて行く。

もうすぐ、ももちゃんと妹夫婦の待つ町に着く。
「いろいろあったけど、何とか新年を迎えることができたな…
さぁ、待ちに待った2010年だ、あかつきが旅立ち、はやぶさが帰ってくる年だ!
旅が終わったら、みんなで初詣に行こう。みんなの幸せと、旅人たちの無事と素晴らしい旅路を祈って!

(旅行記終わり)

ここまでの鉄旅データ
走行区間:岩城みなと駅→酒田駅→新潟駅→東京駅→名古屋駅→新大阪駅(羽越本線・白新線・上越新幹線・東海道本線・東海道新幹線経由)
走行距離:1138.0キロ(JR営業キロで算出)


累計走行距離:5688.2キロ(JR営業キロで算出)

2009-2010 冬の旅 記事一覧
1、出発・九州から山陰へ
2、振り子特急とタラコ気動車と足湯と鉄子の部屋
3、最後のキハ181系 特急「はまかぜ」
4、北へ。ブルートレイン「日本海」
5、北海道へ。白鳥と北斗
6、室蘭市青少年科学館 北の街のプラネタリウム
7、苫小牧市科学センター ミールに会える街
8、北の秘境駅 室蘭本線小幌駅
9、最北のブルートレイン 寝台夜行急行「はまなす」
10、ニセコの休日・ススキノの夜
11、ロケットの生まれた海 道川海岸・秋田ロケット実験場跡
12(最終回)、旅の終わりは新年の始まり

2009-2010 冬の旅 11、ロケットの生まれた海 道川海岸・秋田ロケット実験場跡

2010-02-07 | 宇宙
真冬の日本海、道川海岸の秋田ロケット実験場跡
現在、往時を偲ばせるものは何も無く、ただ波が打ち寄せるばかり


2009-2010 冬の旅 10、ニセコの休日・ススキノの夜からの続きです

第5日目 2009(平成21)年12月31日 大晦日

寝台車でぐっすり熟睡したまま青函トンネルを越えて、
まだ真っ暗な早朝05:39、急行「はまなす」は終着駅青森に到着。
暖かいB寝台のベッドから叩き起され、凍える夜明け前のプラットホームに降り立つ。
あまりに早い時間に終着してしまう夜行列車で迎える冬の朝は、結構つらい。
 

ここ青森でこれまで使用していた周遊きっぷ「札幌・道南ゾーン」の「ゾーン券」を使用終了して、「かえり券」を使用開始する。
文字通り、「帰りみち」に就く訳だ。

奥羽本線始発の青森駅06:12発弘前行き普通列車632Mで、帰りみちを日本海側から南下開始。
弘前駅に06:53到着、06:59発の大館行き普通列車1634Mに乗り換え。
ようやく夜が明けてきた。陽が射すと、雪景色が眩しい。
大館駅には07:40到着で、ここで08:06発の秋田行き快速列車3638Mに乗り換える筈だったが、何のことはない、今乗っている1634Mが列車番号を変えるだけでそのまま秋田まで直通するとのこと。
大館では行き違い列車が雪で遅れているとのことで発車を待たされる。やって来た列車は何と、来るとき乗ってきたブルートレイン「日本海」。所定のダイヤでは今頃はもう弘前駅を発車して青森駅までの最終区間を走っている筈だから、随分と遅れている。
結局、3分程遅れて大館駅を発車。終着の秋田駅で羽越本線の09:50発酒田行き普通列車534Mに乗り継ぐ。

車窓に冬の荒れた日本海を望みながら走ること約20分、普通列車534Mは小さな無人駅に停車する。
 
10:11、羽越本線道川駅に到着。ここで下車。
駅前を通る国道7号線を、凍えるような海風に吹かれながら秋田方向へと引き返し歩くこと10分、勝手川という小さな川が日本海に流れ込む河口に辿り着く。


国道から、海に向かって続く小路へと進んで行く。


小路の先には、ただ海が広がる。
「着いた…
ここが、日本の宇宙への最初の入口。
ロケットの生まれた海…」


ついに、ここに来ることができた。
道川海岸。かつて秋田ロケット実験場のあった場所である。



昭和30年4月12日、糸川英夫教授率いる東京大学生産技術研究所AVSA研究班は東京都国分寺市にて戦後日本初のロケット発射実験を行った。
この時、上空ではなく水平方向に向けて発射されたのが全長20㎝余りの超小型実験用ロケット「タイニー・ランス」。
その愛らしい小ささから、誰言うとなく何時しかペンシルロケットと呼ばれるようになった戦後日本初のロケットはその4ヵ月後、秋田県の道川海岸から初めて宙(そら)へと放たれた。

夏海の まばゆきをまへに 初火矢を揚げむとすれば 波は寄る音。 ―糸川英夫

時に昭和30年8月6日、晴れた夏の日の午后の出来事であったという…


だが今、僕の目の前には、訪れる人も無くただ荒涼とした海岸と、荒れ狂い打ち寄せる鉛色の日本海が広がるのみ。

ペンシルロケットと、それに続くベビーロケットの発射実験が行われた道川海岸の秋田ロケット実験場では、その後1957~58年の国際地球観測年(IGY)への日本の参加を目指し開発された地球観測用ロケット、カッパロケットの発射試験が行われた。
そして昭和33(1958)年9月25日、道川海岸から打ち上げられたカッパ6(K-6)型は高度60㎞の上層大気の状態を観測することに成功。
日本は見事に自力での観測ロケット打ち上げに成功し、国際地球観測年へと堂々と参加した。日本は道川海岸から世界の宇宙開発への仲間入りを果たしたのである。

冬空に 河童一閃(かっぱいっせん) 寒さかな―糸川英夫


道川から打ち上げられるK-6型ロケット 画像提供:JAXA

しかし、その後の昭和37年5月24日に打ち上げられたカッパ8(K-8)型ロケット10号機が打ち上げに失敗し爆発するという事故が発生。
幸いにも一人の負傷者も出なかったものの、危険防止上多額の必要経費が見込まれたことから、その後の秋田ロケット実験場での観測ロケット発射実験はすべてキャンセルされ、折しもロケットの性能向上に伴ない「このままでは日本海の向こう岸にロケットが届いてしまう」との問題から新たに建設が始まっていた鹿児島宇宙空間観測所(現・内之浦宇宙空間観測所)に移行する形で、道川海岸の秋田ロケット実験場はその役割を終えた。その後の日本のロケット開発計画に何物にも代え難い教訓を残し、日本で最初の宇宙への入口は閉じられ、歴史の表舞台から去っていった。

現在、道川海岸には秋田ロケット実験場があった頃を偲ばせる遺構は全く残されていない。
ただ、地元の人々が建ててくれたという「日本ロケット発祥記念之碑」がぽつりと一つ、この地を訪れた宇宙とロケットが好きな旅行者を出迎えてくれた。





碑の先に広がる、冬の海岸を暫し歩き彷徨ってみる。

「すべては、ここから始まったんだ…」

現在「日本ロケット発祥記念之碑」がある勝手川南岸からはペンシルロケットとベビーロケットが、その後北岸に場所を移してカッパロケットの打ち上げが行われたという。
日本が世界に誇る固体燃料ロケット。そして、それによって宇宙へと旅立った幾多の科学衛星、探査機たち。
その礎を育んだ海は、ただ鉛色に沈み打ち寄せるばかり。
でも、かつてここには宇宙を夢見る若き者たち、ロケットボーイの熱い夢があった。
それは今、地球周回軌道を遥かに飛び越えて彗星へ、火星へ、そして偉大なる先駆者の名を貰った小惑星へと、力強く羽ばたいている。
この海は、そのことを知っている。いつしか古の夢を、饒舌に語りかけてくるようだった。


 糸川教授とベビー・ロケット 画像提供:JAXA

 糸川先生と日本のロケットボーイたちに、乾杯!


道川駅に戻ってきた。
駅前ある観光案内看板にもしっかりと「ロケット発祥の地」の記載がある。
また、駅前旅館には「成田為三宿泊の宿」との看板があるが、童謡「浜辺の歌」で知られる作曲家の成田為三さんがここを訪れていたということはひょっとして、「浜辺の歌」で歌われている浜辺とは道川海岸の事だったのだろうか?
  

 道川駅11:23発、羽後本荘行き普通列車2538Mに乗車。
しかし、すぐ隣の岩城みなと駅で降りて、駅近くにある「道の駅岩城」へと向かう。
ここには、秋田ロケット実験場に因んでかエントランスホールにロケットの模型が展示されているらしいと聞いていたので、帰る前に見に行くことにする。




何故か、道川海岸ではなく内之浦から打ち上げられた日本初の人工衛星「おおすみ」のL-4S-5ロケットなのは御愛嬌?
ともあれ、秋田ロケット実験場の地元で見ることの出来る資料と呼べるものはこの道の駅にある、ロケット模型と階段に展示されている説明パネルだけのようだ。
これで、見るべきものはすべて見た。
さぁ、帰ろう!

しかし、岩城みなと駅に戻るとインフォメーション表示器に流れる不穏な字幕データが…
「え!?今夜の日本海縦貫線の夜行列車は荒天が見込まれるのですべて運休!?」
猛烈な冬の嵐が、大晦日の日本海からまさに襲いかかろうとしていたのだ。
困ったな、今夜は新潟まで行ってから、大阪行きの夜行急行「きたぐに」号に乗り継ぐ予定だったのに…
委託職員の秋田美人の駅員さんに頼んで、管理局に問い合わせて調べてもらうと、果たして「きたぐに」号は運休決定しているとのこと。

「困った…これからどうしよう?どうやって帰ろう?」

ここまでの鉄旅データ
走行区間:青森駅→道川駅→岩城みなと駅(奥羽本線・羽越本線経由)
走行距離:207.3キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 12(最終回)、旅の終わりは新年の始まりに続きます