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2009-2010 冬の旅 4、北へ。ブルートレイン「日本海」

2010-01-21 | 鉄道
終着駅・青森に到着したブルートレイン「日本海」の機関車EF81。
かつて「日本海」はこの先、津軽海峡を越えて函館まで到達していた。


2009-2010 冬の旅 3、最後のキハ181系 特急「はまかぜ」からの続きです

特急「はまかぜ」で国鉄の名車キハ181系の走りと旧き良き国鉄時代の薫り漂うグリーン車を堪能した後は、
今まさに日本から消え去ろうとしている残り僅かな夜の青の列車、ブルートレインに乗り継ぐ。
大阪から日本海に沿って青森までひたすら北上する「日本海縦貫線」、総延長1,000キロを超える北へのルートを走破する寝台特急「日本海」だ。


大阪駅に入線する「日本海」。
やはり年末年始の帰省シーズン真っ只中のせいか、家族連れやグループ旅行者の乗客が多い。

僕も早速、車内へ。
思えばブルートレインに乗るのは、3月の「はやぶさ」上り東京行き最終運行列車に乗ったとき以来だ。
そして、今後はあと何回乗ることが出来るのだろうか…


これが僕の今夜のベッド。
標準型の2段式B寝台とは、ベッドの配置が異なるのがお解り頂けるだろうか?
余裕のある幅広ベッドと真横にある大きな窓…そう!特急「はまかぜ」のグリーン車に引き続き、寝台特急「日本海」でも奮発してA寝台の下段を奢ったのだ。下段A寝台料金、1万5百円なり。
「日本海」号のA寝台は、「はやぶさ」に連結されていた個室のコンパートメントタイプとは異なり、昭和40年代に設計された開放型の2段式A寝台、オロネ24形式。
寝台列車黎明期のアメリカで考案された由緒あるスタイルとされ、考案者の名を取って「プルマン式」と呼ばれる。


プルマン式A寝台車の車内はこのように、中央部に通路が通り、その左右に沿うようにして進行方向向きにベッドが配置されている。
一見、狭そうに見えるが、実際にはベッドの幅は1メートルもあり非常にゆったりとしている。
また、下段ベッドは大きな窓を独占出来るのが魅力の一つ。
ベッドの中から走行中の夜景の車窓を楽しむことが出来るのだ。


ちなみに上段ベッドはこの通り、ロフトか屋根裏のようで枕元に小さな覗き窓があるのみ。
(※上段席が空いていたので、カーテンの端から撮影させて頂きました。勿論立ち入ったりはせず、リネン類にも一切手を触れていないので念の為)
下段とはかなり居住性に差があるので、寝台料金も上段は千円程安く設定されている。
尤も、線路から離れているので走行音も聞こえず廊下の足音も響かず静かで、揺れも伝わりにくいので、寝心地は上段の方が格別に良いという話も聞くのだが…
それでも寝台列車に乗りたくて旅に出たのだから、ここは是非とも下段に乗って車窓を楽しみたいところ。

しかし、現在このプルマン式A寝台に乗れるブルートレインは「日本海」のみ、非常に稀少性が高いとあって乗客の人気も高く、「日本海」号のA寝台下段はシーズンには発売と同時に売り切れる状態だという。
実際、僕も寝台券を発売日に手配したが下段は売り切れで入手出来ず、上段を買って出発したのだ。
そして今日、当日キャンセルが出ていることを期待して米子駅での乗り換え待ち中にみどりの窓口で空席確認をしてもらったところ見事に下段に1席空席が出ており、その場で上段の寝台券と交換してもらったのである。
最後まで諦めなければ、時にはこんな幸運もあるのだ。

17:47、寝台特急「日本海」は始発駅の大阪を発車した。
すぐに隣の新大阪に停車、その後は東海道本線を京都へと向かい走る。
この区間を寝台車で通るのも、「はやぶさ」以来。車窓を眺めて想い出に浸りたいが、そんな場合に便利なのがここ。

A寝台車のデッキ脇にある喫煙室兼談話室。
寝るまでのひと時、車窓を眺めてくつろいだり、勿論、乗り合わせた見知らぬ旅人同士で旅談義に花が咲くこともある。
元々は国鉄時代に2等(現在のA寝台)以上の等級の寝台車に1人ずつ乗務して給仕や雑用を担当していた「列車ボーイ」の詰所スペースの名残だというから、これまた旧き良き時代の残り香である。


喫煙室兼談話室の隣には更衣室も。
こういったちょっとした共用スペースにふんだんに場所が割かれているところに、往年の優等車輌の風格が感じられるのは僕だけだろうか。


三面鏡のある洗面台。
同年代に製造されていた0系新幹線の洗面台と似ている印象。
但し相当使い込まれているようで、冷水のコックの調子が悪くてすぐに熱湯が出てくるので困ったが。

A寝台車オロネ24の車内を観察しているうちに列車は京都駅を発車、東海道本線から湖西線へと入って行く。
車内検札も終り、寝台車の車内もだいぶ落ち着いてきたようなので、A寝台車から編成を一通り見て歩いて最後尾まで行ってみよう。

今日(12月27日)は既に帰省ラッシュのピークに入っているが、それでも「日本海」号の車内は満席ではなく、号車によっては殆ど乗客の乗っていない車輌まである。僕の乗っているA寝台車も、下段は既にすべてふさがっているようだが上段には空席が残っている。
まだこの先に停車駅があるので、これから乗車してくる乗客も相当数あるかとは思うが、車内が思ったより寂しいのはちょっと気がかり。


編成中間に連結された車掌室付き車輌の貫通ドアに表示された「日本海」のテールマーク。
編成最後尾にはこれと同じマークが電照されて、琵琶湖岸の闇夜を往く列車の後ろ姿を美しく飾っている筈。


その最後尾までやって来た。
固く鎖された貫通ドアの窓ガラス越しに、夜の景色が飛び去る。
線名の示す通り琵琶湖の西岸を縦断する湖西線は殆ど全区間が高架橋かトンネル区間で、列車は北陸の日本海を目指し一路、湖岸を駆け抜ける。




琵琶湖の東岸を北上してきた北陸本線と合流する近江塩津駅に到着。
ここでドアを開けず客扱いをしない運転停車。後続の特急電車を先に通すとの車内放送が入る。
暗く侘しい人の気配も無い駅で、暫し小休止。


やがて彼方から前照灯を煌々と輝かせた特急電車が現れ、プラットホームの向かい側を轟音と共に通過。
大阪駅を「日本海」号の約30分後に発車した特急「サンダーバード41」号だ。
「日本海」号を待たせて追い抜いた後、終着の金沢駅には20分以上も早く到着してしまう。
最新型の高性能電車と、設計製造から既に40年が経過した旧形式の機関車が牽引するブルートレインとでは、走行性能の差は如何ともし難い。

北陸の玄関口・敦賀を過ぎて、北陸トンネルを抜けると、車窓にも夜の底を白く染める雪が見え始めた。
窓から、しんしんと冷気が伝わってくる。
自分の席に戻り、A寝台の広々としたベッドに潜り込んで分厚い毛布をかぶると、ベッドの下からじんわりと効く電気暖房と心地よい振動とが相まって途端に眠気が押し寄せてきた。
せっかく手に入れた眺望の良いA寝台下段、ベッドサイドの大きな窓を独り占めしてもっと夜の車窓を観ていたかったが、いつしか睡魔に負けて寝入ってしまったようだ。

第2日目 2009(平成21)年12月28日


目が覚めると雪の朝。
まだ夜は明けきっていないが、レースのカーテン越しに白い冬の朝の気配がベッドにまで差し込んでくる。
列車は先程秋田駅を発車して、秋田県内の奥羽本線を走行しているようだ。


車窓が明るくなると、そこは一面の雪景色。
午前6時半頃、ハイケンスのセレナーデと共におはよう放送が入り、「日本海」号は定刻通り走行しているとの事が告げられる。
冬の高波打ち寄せる日本海沿いを夜通し走行する行程だったが、幸い昨夜の列車の運行には支障が無かったようだ。
無事に朝を迎えた「日本海」号は、沿線の町ごとに停車しながら秋田県から青森県へと旅の最終区間を進んで行く。

夜が明けてしまえば、車内には寝台列車特有の気怠い朝の時間が流れる。
特にA寝台車は終着までベッドの解体も行われないので、これ幸いと朝寝坊を決め込む乗客も多い。
それでも最後の停車駅である弘前を過ぎると、下車の支度で車内は慌ただしくなった。


弘前駅発車後、車内放送で左側の車窓に岩木山がよく見えているとの案内が入る。
僕のベッドは左側、大きな窓からの見事な眺めを堪能出来た。
この季節に、これ程はっきりと岩木山の姿が見えるのは非常に珍しいそうだ。「日本海」号の旅の最後に、嬉しい車窓のプレゼントだった。




08:34、寝台特急「日本海」は定刻通りに終着駅青森に到着した。

到着後すぐに、任務を終えた先頭の機関車が切り離される。
始発の大阪駅からここまで、1,000キロを超える道程を「日本海」号を牽いて走破したのは交直流用電気機関車EF81型。
昨日乗車したディーゼル特急キハ181系と同じ昭和43年に設計製造された、交流直流の電化方式の違いを問わず日本国内殆ど総ての電化区間を走行することの出来る、これまた国鉄の生み出した名機である。
九州へと向かうブルートレイン「はやぶさ」でも、同型機が関門トンネルをくぐる下関―門司間の海底区間の僅か1駅間のみで使用される「縁の下の力持ち」として牽引任務にあたっていたが、
日本海縦貫線ではこの「日本海」号や豪華クルーズ列車「トワイライトエクスプレス」の先頭に立って直流・交流60ヘルツ・交流50ヘルツの3種の電化方式が入り乱れる同線区を交直流機として持てる性能を活かしきっての直通運転を行い、まさに主役として表舞台で大活躍している。


機関車EF81が離れた後、プラットホームに残された編成の端に連結されていた電源車カニ24型式。
JR東日本所有の、車体に金帯を3本巻いたこの車輌はかつては東京と博多を結んでいたブルートレイン「あさかぜ」号に使われていたグループの生き残りだと思われる。
九州路を走っていた車輌に、厳寒の北東北の冬はさぞ厳しかろう。どうか寒さに負けず1日でも長く走り続けて欲しいと思う。




次の列車の待つ乗り場へと向かうべく「日本海」号に別れを告げる。
プラットホームを去る間際、振り返って見た青い列車は降り注ぐ朝の光に包まれて一瞬、金色に染まった。
それは無事に旅を終えた「日本海」号が見せた、ブルートレインの一番美しい瞬間だった。

さあ、旅はまだ続く。次の列車に乗ろう。そして…北海道へ行こう!

ここまでの鉄旅データ
走行区間:大阪駅→青森駅(日本海縦貫線/東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由)
走行距離:1023.4キロ(JR営業キロで算出)


2009-2010 冬の旅 5、北海道へ。白鳥と北斗に続きます


6 コメント

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Unknown (ちーやん)
2010-01-19 13:31:53
喫煙談話室と言う名前にブルジョワジーを感じてしまいました、アガサクリスティーの小説の列車の中に出てきそうデス。
列車の旅で暇な時間に談話室で見知らぬ客と語らう・・・・ロマンじゃありませんか?
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ちーやんさん、こんばんは (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2010-01-20 00:49:41
そうなんですよ、実はこの「プルマン式」車輌ってあのオリエント急行にも連結されていたのです!
ポアロ氏が車内で乗客を集めて推理を披露するシーン(たしかそんなシーンだった筈、うろ覚えw)で、乗客が集合するサロンカーが「プルマンカー」です。日本では2段式寝台車ですけど、ヨーロッパでは何故かサロンカーにその名をとどめています。

>列車の旅で暇な時間に談話室で見知らぬ客と語らう
これ、いいですよね。実は今回の旅でも談話室で乗り合わせた「鉄ちゃん」たちと仲良くなって、コアな鉄道談義を楽しみましたw
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昼休憩中です (mogmog)
2010-01-22 12:26:09
ももタワーの話題も乗せてください・・・。
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スマソ… (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2010-01-22 22:29:23
ももねこの記事も書かねば書かねばと思っているのだけど、何か最近仕事がしんどくてメインの旅行記が書き進まなくて…
もうちょっと待っててくんなまし
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Unknown (東淀川人)
2010-05-26 20:49:23
こんばんは
GWには柏崎~米原まできたぐにに
乗車しましたが、
最近他のブログでは2011年 ダイヤ改正で
日本海が廃止されるとかよく聞きますが
日本海は廃止されるのでしょうか。
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東淀川人さん、こんばんは (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2010-05-27 21:53:26
>日本海は廃止されるのでしょうか

う~ん、それは僕も知りたいですwww
でも実際、日本海に限った話ではなく、どの寝台列車もいつ廃止されてもおかしくない状況にはあると思います。
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