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Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 13:Vltava/Moldau ヴルタヴァ ~プラハ散歩~

2013-02-09 | 旅行
Tramvajová v Praha


12:OPERA NIGHT プラハ国立歌劇場からの続き

2012年12月31日(大晦日)

プラハでの一夜が明けました。
今日この街を離れますが、乗車する列車が中央駅を発車するのはお昼前。
少しですが時間があります。

一夜限りで立ち去るには余りにも惜しい、美しい街プラハ。
ちょっと早起きして、早足で歩き回り、朝の街に別れの挨拶をしていきましょう。

プラハ市街には、数え切れないほど多くの教会があり、尖塔が聳えています。
そんな教会だらけの街を、路面電車(トラム)が網の目のように走り回るのです。
“百塔の街” とも呼ばれるプラハには、トラムがよく似合います。


中央駅前のホテルの裏の旧市街。
郵便局で切手を買って親しい人に絵葉書を送り、通りに出たところで目にした一瞬の風景。
聖インジフ教会の塔の前を、今朝もトラムが通り過ぎて行きます。



そのまま旧市街の路地を辿って行くと、小さな劇場がありました。


エステート劇場です。
1787年10月、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは自身の指揮で
新作オペラ「ドン・ジョヴァンニ」をこの劇場で初演しました。
ちなみに、モーツァルトをエキセントリックな芸術家として描いた有名な映画「アマデウス」の撮影もここで行われたそうです。

旧市街を抜けたところには、大きくて立派なネオ・ルネッサンス様式の建築が。


こちらは「芸術家の家」と呼ばれる、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地ドヴォルザーク・ホールのある建物です。
そう言えばドヴォルザークもまた、プラハに暮らした人でした。
ちなみにドヴォルザークはプラハ中央駅の近くに住んでいて、毎日駅まで列車を見に行くほど熱心な鉄道ファンだったとか。
やっぱり鉄道と音楽は相性がいいのかなぁ…

そんな偉大な鉄道ファンの先達、ドヴォルザークの名を冠したホールの向かいには、
大きな川がプラハの街を横切るように流れています。
ヴルタヴァ川です。
日本ではドイツ語読みの「モルダウ」という名前で知られていますね。
そう、スメタナの交響詩「わが祖国」の第2曲で描かれた、チェコ国民の心の拠り所とも言える川です。


そしてヴルタヴァ川の向こうにはプラハ城が見えています。


威風堂々たる聖ヴィート大聖堂が聳え立つプラハ城。
かつて西暦1600年頃には神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の居城であり、
城の周りには彼のもとに参じた多くの科学者や錬金術師や占星術師、そして芸術家たちが世界中から集まり、
宇宙と科学と芸術とをこよなく愛する皇帝に命じられ日夜、研究や創作に打ち込んでいたのです。
その時、プラハは人類の叡智が結集した世界最先端の学術研究都市であり、華やかな芸術の都でした。
…そして今もなお、その栄光の残り香は、この古都に微かに漂っているような気がしてくるのです。


「芸術家の家」からヴルタヴァ川沿いに歩くと、アーチの連なる石橋が見えてきます。
プラハ旧市街と、プラハ城とを結ぶカレル橋です。


カレル橋のたもとにはゴシック様式の塔がそびえます。
やれやれ、“百塔の街”は、橋にまでこんな立派な塔を建てないと気が済まないようです。

塔の下をくぐり抜けて、カレル橋を渡ってみましょう。


カレル橋はプラハ市内でも最も賑わう観光名所の一つ。
橋の上は歩行者天国状態で、多くの観光客がヴルタヴァの流れと美しい古城と旧市街の眺めを楽しみます。
このカレル橋を中心とした一帯は、「プラハ歴史地区」として街ごと世界遺産にも登録されているのです。






カレル橋の欄干には、まるで美術館のように、沢山の聖人像が並んでいるのが特徴です。
その中でも特に人気があるのが、ボヘミアの守護聖人ヤン・ネポムツキーの像。

どういう訳だか、聖ヤン・ネポムツキー像の足元にあるレリーフをなでると幸運が訪れるという事になっているそうで、
皆さんが毎日レリーフをなでていくので、磨かれてピカピカに光り輝いています(笑)
もちろん僕も、プラハにまた来れるよう祈りつつ、レリーフをなでてきました。

カレル橋に並ぶ聖人像の中には、日本にも馴染み深いものもあります。

日本にキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエル像。
ザビエルを下で支えている人物群のうち、一番手前側の男性に注目。
ちょんまげのような髪型などから、キリシタンの日本人ではないかと言われているそうです。

ヴルタヴァ川の上で、思わぬ形でいにしえの日本人に会ったところで、そろそろ時間が来たようです。
残念ながら、カレル橋を渡りきってプラハ城まで行くことは出来ませんでした。
もうすぐお昼。中央駅に戻って次の街へと向かう列車に乗らないといけません。

再び旧市街を通り抜けて中央駅へと歩いて行く途中、こんなものを見つけました。

通りに面した建物の壁に嵌めこまれたレリーフに、ヨハネス・ケプラーの文字が。
チェコ語で書かれていると思しき説明文は読めませんが、どうやらここがケプラーの家だったようです。

…ケプラーも、普通に住んで暮らしていた。その数百年後には、若き日のアインシュタインもここで日々を過ごした。
偉大なる科学者たちが、時代を越えて同じ路地を歩き、すれ違った。それがプラハという街。

そういう想いが頭を駆け巡った時、僕の足は自然と、あの場所へと向かっていました。
この街を去る前に、最後にもう一度だけ、あの機械を見たい。
悠久の時を越え幾千幾万の星の夜を越え、この街の記憶を宇宙に刻み続けた美しい機械。
天文時計オルロイに、もう一度会いたい。

14:Planetarium プラハは幾千幾万の星と共にに続く


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