民謡/梅若朝雲(駅前仙人)の徒然日記2007.1.28~

民謡&三味線の師範・釣り・料理など多趣味。

Vol. 289 茶壷 京焼/薩摩手

2007-11-02 21:36:12 | Weblog
茶壷である。
地方の大名から将軍に献上されるお茶の容器なのレス。
京焼で薩摩手・・と言うのは、薩摩焼と言うのがあって(焼き芋ではアリマセン)、上絵がご覧のように絢爛豪華なもの・・らしい。らしいと言うのは、いまだ薩摩焼に接したことが無いからです。後日お目に掛ける大香炉には、丸に十の字がデザインされている面白いものがあります。サイズは高さ一尺、差し渡し(古~~)8寸。可也大きなものレス。

日本の文化を語るにはチト知識が希薄だが、見た目だけの事としてお許しを願う。
歌舞音曲においても、数限りなく・・と思うほど豊かな幅と奥行きがある。
次は陶器である・・古いものに就いては、「良い仕事してますねーー!」の質屋のおやじさんに任せるとしよう。京焼きに就いても、人に語れるほどではないが、今夜は「茶壷」のご紹介。

形状から行くと紐を掛ける「手」が四方にある。しかし蓋が無い。香炉と同じで蓋は別に作るのレス。・・さてココで問題・・いま、流行だからワルノリ。・・何だと思います?。
お茶事に精通された方には簡単でしょうが。
「とうもろこしの皮」で造ります。アノ髭を芯にして。・・コルクを使う国家ではなかったのです。

「そうなんですか?」「そうなんです」
天皇様に差し上げるにも、将軍様に差し上げるにも、蓋をしただけではまずいのです。なぜなら「下克上」の時代、毒でも盛られたら一大事・・解るでしょう?。
そこで必要から発展したのが「紐結び」なのレス。

手近な所では・・うーーん??御簾(みす)の巻き上げ紐?・・花嫁さんの懐剣の下げ紐・・誰か~~~~!!。
要するに蓋を押さえて、一度結んだものを解いたら元に戻らない・・ほど複雑な「紐結び」と言う「茶壷」の副産文化も生まれたのレス。「その家の結び」が考案されていったものでせう。ほどいて召し上がる方には何ら問題は無い。

ソレにしてもこの豪華な壷、お茶がまだ庶民の物でなかった時代には、相当なお値打ちがあったのでしょう。茶壷に入れて蓋に錦でも着せて、豪華に結んで桐箱に入れて・・「何処まで行くねん!」と、天の声。

ホントにホントに昔の人は偉い。偉いと言うより何でも質の高いものに深めていく、感性が凄い。その「組紐」だって凄いよ・・色々あって。組紐に挑戦しているすし屋の「熱中人」のことは前に書いたが、益々熱中している模様・・頼もしい。
「わき道わき道」と、また天の声・・「ヘイ」

今は昔、このようなものが飛ぶように売れた時代があったのレス。
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Vol. 288 日本民謡大全集・・賜る

2007-11-02 00:36:41 | Weblog
日本民謡大全集・・先ずその前に
大笑い!!・・ご一緒に・・アッハッハ!!

昨日の「もんぺ」・・ふくらはぎ辺りにあった紋、実は脛(すね)付近でした。???。
夕方から寝るまでに何度か小用を催す。「チョット不便やな・・」と思いながら、はばかる。・・サー寝よう・・と脱いで見ると・・何と・・ホックの付いた「社会の窓」があるではないか!!。・・前後ろさかさまに履いていたのだ・・。

帯紐で解りそうなものだが、慌てものの拙者は気が付かなかった。・・履き心地としてはいささかも不自由がなかったからだ。目新しい機械が届いても、取り説より先ず触ってみたい拙者なのレス。・・性格推して知るべきところです。先ず一件は落着したものの、脛にある紋も失笑を催す。・・どちらになっても受ける事は間違いない。

さて、友人に賜ったLPである。何処をひっくり返しても発売日が無い。付録の本にも、くどくど書いてある割に・・何処にも無い。どんなものでも、刊行物には一応書いてあるものと思っている。
少なくとも30年は経っていると思われるのは、歌手と解説陣の顔ぶれである。

二日に亘ってLPレコードからMDに複製。16曲×12枚=192曲をぶっ通しで聴く(一日はその半分)・・飽きる事は無い・・今今の歌手に比べるといずれも素朴な感じを受け、今なら「ソレおかしいで」と言われそうな節回しも多い。・・が、現地の芸妓衆のものも多いから、今の方がおかしいと言うべきだろう。

監修は民謡会のパイオニア「町田佳声」・・声の字は古い字で今すぐに出ない・・であるから新しくは無い。・・その中に拙者が心酔した3曲があった。心酔した3曲はその歌手が唄っているからである。

その1は、及川政芳・・宮城長持ち唄・・である。思い出のこの唄は拙者が民謡をはじめて2年半、はじめてコンクールに出て「日本民謡近畿連合会」を制した、つまり優勝した時の唄である。
その2は、吉田宏治・・道南口説・・今様の津軽三味線に毒される前の「ドーンツシャンシャン、ドーンツシャンシャン」だけの伴奏で唄われる・・知らない人には是非聞かせたい一曲である。

その3、さてドン尻に控えしは・・高山訓昌・・音戸の舟唄・・である。
もし、何万曲の民謡、何千人の歌手から一番好きな歌を選べと言われたらコレに決める。・・アカペラで波の音と「櫓べそ」の音だけをバックに唄う地元の船頭さんだ。真似るにも何も、ソノマンマはとても唄えない。唄っても評価されないだろう。

2年ほど前に、本場広島で開かれた日民のコンクールに「出ろ」と言われた。いい年してコンクールも無いですよ・・と辞退したが、結果は出ることになった。
家元・・「何にする?」拙者・・「音戸です」「広島よ」「だから音戸です」・・。本場で通用するかどうかを試したかった。

年代分けの50人ばかりのグループの中に、それでも「音戸」だけで8人居た。
音戸では二人に負け、総体では7位であった。老骨に鞭打った久しぶりのコンクールであった。その時聴いた今時の音戸は、妙にきらびやかに着飾っている印象を受けた。・・関係者にしかわからないでしょうが。

これから先も、請われれば声の出る限り、「音戸です」・・と、答える拙者でアリマス。
レコードは、無神経に使ったらしく(それで普通でしょうが)バリバリとノイズが凄い。針の質が悪かったのでせう。ポンポンとよく飛ぶ・・4分の唄が3分位で終わりそう・・冗談・・。古いものが拙者には新鮮な風を送ってくれた。・・感謝。
コメント (2)
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