民謡/梅若朝雲(駅前仙人)の徒然日記2007.1.28~

民謡&三味線の師範・釣り・料理など多趣味。

Vol. 308 京焼き香炉 薩摩手

2007-11-21 22:25:07 | Weblog
薩摩手・・手とは・・この手のもの・・と言われる元、所以なんだな。

随分ゴージャスな物です。右のが先だってご紹介した「清風」であるから、大きさは見て取れる。清風の香炉が普通の大きさで、例えれば「蓋付き丼」位の物である。
蓋の正面に、丸に十の字のご紋がある。こちらの方は流石に蓋も作り付けである。
勿体無いが、いかんともし難く座敷の隅に鎮座して御座る。

ものの「勿体無さ」と言うのは考えようであろうから、充分に償却(鑑賞)したら、あとはどうなってもいい筈である。ところが、こうクッキリと形のあるものは中々そうも行かない。

「何の話やネン!」と、またまた天の声。「ヘーーイ!」

「消耗品」と「そうでない物」の違いなんだな・・例えば「車」だったら5年10年で諦めがつく。下取りにしたり処分したりである。・・それが数百万円した物であったとしても・・である。もう価値はゼロです・・と言われても・・である。

食物でも同じだ。毎日の食事は大儀的には生きる糧(かて)であるから別にしても、みなさん結構贅沢なお金を使っている筈である。ソレが「一夜の宿」で翌朝には「さようなら」と言われても、この種の「もったいない」では決してない。

着物には「勿体無い」はあるかも。作務衣にした紋付・・紋付と言えば羽二重である。縫う人に「勿体無い」と言われたが・・この紋(梅若の)誰が着るという訳にも・・また、誰かが「リュウ」と来ていたら・・第一癪じゃない・・。どうにかして着たかったのだ。あなたのお家でも着切れないけど大切な着物ってあるでしょう?。

衣食住・・と来れば最後は「住」である。が、コレについては又の機会と願いましょう。昔から必要最低限、若しくは欲を戒める言葉に「起きて半畳 寝て一畳」と言うのがある。少々まっこうくさいが、よく使われる言葉である。

別の話。
お茶道の話の中で某師曰く。「衣は凍えぬほど 食は飢えぬほど 住は雨露をしのぐほど」・・であれば良い・・とのたもうたそうである。清貧の教えか・・この言葉の中には「勿体無い」があるかもしれない。

その話から行くと、茶室の見かけはいかにもそうだが、その他は贅を尽くしているとしか見えないがね~~。どこかで誰かが違う方へ引っ張ったのだろう。

さてお道具の話に戻ろう。駄弁を弄(ろう)した通り、クッキリ形が残っているので償却と見づらい・・で納得した。拙者の骨壷にはチョット大きいし・・そうそう「骨壷」には計画はあるのレス。今日もサイと話したところです。アンナ素焼きの壷に入るのはイヤダよ。

お墓の計画も見通しがついたし、今度は壷探しだね。・・もしもし・・コレって縁起の悪い話ではありませんよ。誰でも必ず行く道、せめて素敵な駕篭に乗って行こうじゃ「♪アーーリマセンカ」。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする