いみじくも300号である。
いみじくも・・は、拙者的には「よくこそ」と解釈している。
また、3度目の小さな節目である。
初手に書くべきことだったが今になった。迂闊を反省する。
落ち葉もいろいろで美しいが、拙宅のアプローチ通路にこんなきれいな紅葉が落ちていた。真っ白い画用紙の上で写したが、辺りをも紅に染めるようで面白い。
拙者のたそがれ状態にはにはやや不似合いだが、もみじした葉は「枯れていない老い」・・であろうと納得する。・・妙な事に励まされる拙者なのレス。
神様・仏様・稲尾さま・・と言われた鉄人が亡くなった。七十歳との事。・・チョット待ってよ・・拙者あと五年しかないじゃない!!。あともうチョットの人生なのに心貧しく生きたくないな・・と思うが何事も思うには任せない。
つれづれなるままのブログでは決して無いが、自分の退路の道標に、または逃げ道の口実につけた「タイトル」であるには違いない。
さてその、「徒然草」である。
「つれづれなるままに、日暮し
硯に向いて 心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつれば
あやうしこそ ものぐるほしけれ」
「暇をもてあましているままに 一日中筆を執って 硯に向って
心に浮かんで来る とりとめのない事を 何となく書き綴ると
怪しく もの狂おしい」
吉田兼好と言う人が、およそ700年も前に書いた「随筆」である・・と言うことだ。・・例によって深くは知らない。
つれづれ・・徒然・・とぜん・・と読む・・肥後弁。
「とぜんなかーー」=「さびしいーー」・・と使う。
「身をやつす もみじ日暮れて とぜんなさ」・・如水・・とでも言おうか。
徒然・・は、秋から冬が似合うようだ。現象は通年同じであろうが、春うららの日和には、余りしっくり来ないようだ。・・そんな気がする。・・いまがつれづれなるままに・・何かする絶好機なのだ。・・三味線も、汗をかく頃より多く手にする。・・「秋ふかし・・」は正に見事な俳句である事を再認識する。
季節の移ろいに変化が起きているのは既に数年前からだ。去年は全山のクヌギがお正月まで色づかなかった。拙宅から東へ下ると茨木。下る途中やや南へ下ると「箕面」に出る。その道中の一部が「国定公園」になっている。この季節であれば「もみじ狩り」の観光客が引きも切らないところであるが、未だに色をなさない。
本来なら、ソレは見事な錦の風景を楽しめる所なのレス。
小豆島のもみじの名所「寒霞渓」においても然り。数年前に友人を案内した時も残念な思いであったことが思い出された。
古い歳時記を書き直す時代に突入したのかな・・と思う「心 とぜんナカ」秋の宵である。
いみじくも・・は、拙者的には「よくこそ」と解釈している。
また、3度目の小さな節目である。
初手に書くべきことだったが今になった。迂闊を反省する。
落ち葉もいろいろで美しいが、拙宅のアプローチ通路にこんなきれいな紅葉が落ちていた。真っ白い画用紙の上で写したが、辺りをも紅に染めるようで面白い。
拙者のたそがれ状態にはにはやや不似合いだが、もみじした葉は「枯れていない老い」・・であろうと納得する。・・妙な事に励まされる拙者なのレス。
神様・仏様・稲尾さま・・と言われた鉄人が亡くなった。七十歳との事。・・チョット待ってよ・・拙者あと五年しかないじゃない!!。あともうチョットの人生なのに心貧しく生きたくないな・・と思うが何事も思うには任せない。
つれづれなるままのブログでは決して無いが、自分の退路の道標に、または逃げ道の口実につけた「タイトル」であるには違いない。
さてその、「徒然草」である。
「つれづれなるままに、日暮し
硯に向いて 心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつれば
あやうしこそ ものぐるほしけれ」
「暇をもてあましているままに 一日中筆を執って 硯に向って
心に浮かんで来る とりとめのない事を 何となく書き綴ると
怪しく もの狂おしい」
吉田兼好と言う人が、およそ700年も前に書いた「随筆」である・・と言うことだ。・・例によって深くは知らない。
つれづれ・・徒然・・とぜん・・と読む・・肥後弁。
「とぜんなかーー」=「さびしいーー」・・と使う。
「身をやつす もみじ日暮れて とぜんなさ」・・如水・・とでも言おうか。
徒然・・は、秋から冬が似合うようだ。現象は通年同じであろうが、春うららの日和には、余りしっくり来ないようだ。・・そんな気がする。・・いまがつれづれなるままに・・何かする絶好機なのだ。・・三味線も、汗をかく頃より多く手にする。・・「秋ふかし・・」は正に見事な俳句である事を再認識する。
季節の移ろいに変化が起きているのは既に数年前からだ。去年は全山のクヌギがお正月まで色づかなかった。拙宅から東へ下ると茨木。下る途中やや南へ下ると「箕面」に出る。その道中の一部が「国定公園」になっている。この季節であれば「もみじ狩り」の観光客が引きも切らないところであるが、未だに色をなさない。
本来なら、ソレは見事な錦の風景を楽しめる所なのレス。
小豆島のもみじの名所「寒霞渓」においても然り。数年前に友人を案内した時も残念な思いであったことが思い出された。
古い歳時記を書き直す時代に突入したのかな・・と思う「心 とぜんナカ」秋の宵である。