民謡/梅若朝雲(駅前仙人)の徒然日記2007.1.28~

民謡&三味線の師範・釣り・料理など多趣味。

Vol. 305 はなむすび 

2007-11-18 23:08:25 | Weblog
このような紐を結ぶ技術がある。
技術以上の「文化」であったり「芸術」と呼ぶべきものかも知れない。

先だっての「茶壷」の話題のあと、読者からメールが寄せられた。この写真である。
拙者の知る限りでは、Wになった紐をひたすらクネクネと「アッチやったりコッチやったり」しながらからめて行くのである。勿論「きったりはったりつないだり」は論外である。

プロでも無いであろうに、実に良く出来ている。
先の茶壷の「封印」代わりの飾り結びはこのような物で、もっと複雑なものに違いない。一度締める事で折り型を付け、再び結び直す事を不能にした物と思われる。

この手の紐結びはまた、「団子状」にならず「平たく」する事にも難しさと意味があると思うのレス。更に、上下方向に引っ張っても最初のネックでブレーキが掛かり、全体が引きつる事は無いのレス。

話題に対してコメントが来るように、話題に対してこの様な現実が目に出来るのは、とても嬉しい拙者でアリマス。ソレは常々からこの様な物に興味を抱いておられる事の証であろうと思うし、キット心豊かな趣味人であろうと察せられるからです。

「はなむすびですよ」・・「こんなのが出来ました」・・「おいそれ」と出来る物ではない。書物を参考にしたと言う添え書きが事情を教えてくれる。

他国の文化は知らないが、日本の文化は誠に奥深い。音曲茶華道に限らず、着物と言う「古来日本人の衣類」がその最たる物である。ココに書くことはしないが、下着から履物まで「・・でなければナラナイ!」と言う決まり事のかたまりである。
その「縛り」が、美しい物を美しいままに伝えて来られた力になった事でせう。
またそれに連なる文化全てが「まさしく日本」なのである・・と思う今日このごろレス。

物事にこだわることは「癖(へき)」のような物で、拘る人は何にでも何処までもこだわる。そうでない人は何処までもそうでない。そうすると「癖」以上の物で「性格」に依ると言う事になるかもしれない。当の本人は無意識のままに、当然のようにこだわりの中へ首を突っ込む。預金残高の数字にKODAWARU方もおいでだろうが、コレは又拙者にはとんと縁の無いKODAWARIである。

はなむすびならぬ変な話の結びになった。
コメント
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