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ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第640号 ねこバイバイ !

2011年07月02日 | 我が家のもろもろ

この”ねこバイバイ”は、ホームセンターで販売している商品名。

近所で、”ねこ”を飼われている方が年々増加。
それに伴って、マナー不足が目立つようになってきた。
二階建ての猫小屋を作って外に置き、数匹が出入り自由の飼育
をしている方。
”座敷ねこ”として飼いながらも、運動や排便のために外に放す方。

これらのせいで、我が家の庭は”ねこの公衆トイレ”。
なんで私が、後始末をしなければならないの?
不潔で困ったものである。
小さいけれど菜園があるので、早急に手を打たなければ。
ねこは、軟らかい土を好んで排便し、砂利にはしない。

侵入を防ごうと、
①たばこを水に浸した水溶液をまいたが、効果なし。
②ねこが嫌う臭いがする顆粒をまいたが、
 これは花や木に影響を与えるのを防止するために効能を
 低く抑えている。効果なし。
③ねこの通り道にペットボトルに水を入れ置く。
 これはNHKの実験で効果なしと結論が下されたので、
 やらなかった。

昨日、近くのホームセンターでこの”ねこバイバイ;を見つけた。
「これなら手軽でいいかも」と思い、15枚買い求め早速敷いた。

 

1枚98円で、サイズは235ミリ×340ミリ。
28ミリの突起が無数にあり、これが足に刺さるので入れないと
いう仕掛け。
連結も可能だ。

 

収穫を終えたら、物置に保管。
プラスチックだから来年も使える。
しばらく様子を見て、”効果あり”ならば、あと5枚買い足そう。

やれやれ、「飼い主はマナーを守って欲しいなぁー」。
でないと、飼う資格は無し!”と思う。”


お知らせ~左サイドバーの上段に「東電の電気使用量」
リアルタイムで表示することにしました。
どうぞ、ご参考になさってください。

お詫び~この東京電力情報の件でお詫びいたします。
実は私が情報を頂いておりますブログが、安定しておりません。
従いまして、こちらが公開しております情報も知らないうちに
消えてしまったり、復活したりとご迷惑をお掛けしております。
改善にむけまして努力いたしますので、安定するまでご容赦
下さいますようお願いいたします。(7月3日18:35追記)

 

                                


第625号 新自転車に乗って桜名所巡り

2011年05月04日 | 我が家のもろもろ

先月下旬、自転車を買い求めた。
自動車も含めて新車に乗るのは、長い人生で初めて。
嬉しさでいっぱいだった。

 

これまで乗っていた自転車は昨年夏、あちこちにガタがきて、
乗れなくなり粗大ごみに消滅。
そのために運動不足となり、特に足にその弱みが現われ出した。
「これでは駄目だ」と思い、奮発して6段ギアのにした。
「初乗り」は、雨や強風で延び延びとなり、昨日ようやくその日が
やって来た。

暖かな日を浴びながら、桜名所を巡ることにした。
家を10時15分に出て、先ずは近年人気が高い「桜が丘通り」へ。
住宅街の両脇に植えられた「ソメイヨシノ
は、ほぼ満開。
豪華な桜トンネルとなって、見物に訪れた人々を感動させてくれる。
姪がこの通りに面して住んでいるが、散った後の始末が大変とか。

 

次に向かったのは「五稜郭公園」。
大正3年になってから市民に開放され、桜も植えられてその数
およそ1,610
本。(ヤエザクラが50本であとはソメイヨシノ)

この日も駐車場は満車状態が続き、道路は空き待ちの車

あふれていた。

整理員の配置が望まれる。
車両ナンバーは内地のはまれで、殆どが道内だ。

奉行所ができてから、郭内での火器は厳禁。
それと、お弁当を広げる場所が大幅に縮小された。
焼肉をやるのなら、堀の外側になるのでご注意を。

昼食は、好みの十字街「元祖・小いけ」で、並盛カレーを。
620円は安い。
休憩と水分をたっぷり摂って次ぎの桜名所「函館公園」へ向かった。

 

この公園は、函館山に向かって左の麓にある。
明治12年の開園で本道最初の公園。
時の函館駐在英国領事・ユースデンの呼びかけで、
官民一体となって完成へこぎつけた。

桜の名所であるとともに、市内では唯一の「子供の国遊園地」
がある。スローで安全な遊具施設で営業する老舗。
特に飛行塔は、昭和29年に開催された「北洋博覧会」の第二会場
となった五稜郭公園で使われたもの。
丹念に整備し延命を図っている。
「物を大切に」の標語の見本みたいような気がする。

 

昨年のここ函館公園は、「ウソ」が芽を食い荒らして開花したのは
ほんの少し。
花見客はまばらで、露店は閑古鳥が鳴いていた。

昨年の分まで楽しもうと、あちこちは大いに盛り上がっていた。
美味しそうな匂いについ唾が出、胃が微妙な動きをするのが
分かった。

 

中央にある「噴水広場」は、子供達の人気ゾーン。
水はまだ冷たいのになんのその。
裸足やパンツ姿になっての水遊び。
見ているお母さん達が、寒そうな表情をしていた。

 

帰路コースは、
右手に津軽海峡を見ながらの「国道・漁火通り」をまっしぐら。
行きは向かい風だったから帰りは楽だろう。
と、思っていたら、風向きが変わりやはり向かい風。
自然の無常さに「われなきぬれて・・・」と独り言。
そしたらタイミングよく、石川啄木小公園が見えてきたので小休止。
水分を補給して「さぁー出発だ!」。
心体に気合をかけ、ペダルを踏み出した。

間もなく空腹を覚えた。
そこで湯の川温泉近くのスーパーで、「ミニあんぱん」を。
5個入りで99円は安い。2個を胃に送り込んだ。
温泉街を流れる松倉川の遊歩道をさかのぼって、
16;05に家到着。「よっこらしょ。どっこいしょ。疲れたね」。
太ももがビンビンに張っていた。

20:15にベッドイン。
すぐに深い眠り誘われ、夢を見る余裕もなく朝まで直行。

今朝は6:25の目覚め。よく寝た。
いつもなら5時台なのに。
しかも2時間も早く寝たのにこの時間。
8ヶ月ぶりの長距離サイクリングは、かなり体に応えたようだ。

愛車・ミカエル号よ、
初サイクリングに快適な乗り心地を有難うね。


   

               

 

 


第622号 弁当の呼称アラカルト

2011年04月25日 | 我が家のもろもろ

息子夫婦が東京へ出かけた。
我が家から空港までは車で5分の距離。
彼の車は我が家の駐車場に置き、私の車で空港まで送った

帰函の日。
「お父さん、二人は”お土産を楽しみに”と言っていたけど
何かしらね?」と、ミケ。
「そうだね、夕方に着く便だから夕食の弁当だと有難いね」。

羽田にいる息子から3時ごろ電話があった。
「迎え頼むね!空弁買ったよ」。
やはり親子。私の期待は見事に的中した。

 

吟味された材料で作られた美味しい弁当に満足。
しかも、
ご飯支度、後片付けが不要とあって私もミケも大喜び。

昔から旅の楽しみの一つに「駅弁」がある。
この名称を模して「空弁」という名をつけたのだろう。
それならば、母が作ってくれたのは、「母弁」かな?
最近では、道の駅でも売られているから、それは「道弁」か?

コンビニ、スーパーなどのそれは、「街弁」の名が相応しいと
思うが如何だろうか?   


 

              






 


第619号 被災地の開花、我が家の開花。

2011年04月15日 | 我が家のもろもろ

昨日の被災地からのニュースは、ほのぼのとした明るい
話題だった。
それは、家の状況を見に行った奥さんが、庭に咲く春の花
を見つけたこと。
家は土台だけを残し、あとは津波にさらわれていた。
そんな劣悪な条件のなか、数輪咲いていた。
なんという逞しい生命力だろうか。

「おばあちゃんが毎年少しずつ植えていたのよ」と。
不自由な避難所での生活。
可憐な花と対面して、よほど嬉しかったのだろう。
心からの笑顔があふれていた。

海水が早くひき、雨で葉や根の塩分が洗われたからか?
素人的にそう推測した。

我が家の春花の開花トップは、クロッカス。
庭のあちこちから出現。

 

後を追う、スイセンやチューリップが開花するのは、今月末かな?



 

じっと雪と寒さに耐えていた花たち。
ようやく賑わいを見せてきた庭。
これからの色づきが楽しみである。

一方、大型連休に満開となる桜。
今年は、被災地の方々の心境を考慮して、
花見宴会の激減が予想されている。
桜自身はどう思っているのだろうか?

「こんな時だらこそ、ベストを尽くして華麗な花を
たくさん咲かせるのさ」。

 

               

 


第614号 ひじきに主役を奪われた「切干大根油炒め煮」

2011年03月30日 | 我が家のもろもろ

毎月、みそかが近づくと冷蔵庫および食品庫の整理をする。
野菜の半端物や賞味期限が迫っているもので一品作る。

今回の主役は「切干大根」。
宮崎産で、そちらでは「せんぎり大根」と呼んでいる。

「油炒め煮」に挑戦した。

色付けに少量の「干しひじき」を加えようと水で戻した。
ところが、想像以上に膨らんでしまった。
これでは、見た目は大根に代わって主役の座を奪ってしまい、
何だか「ひじき料理」に見えてしまい、失敗だった。

  

具材は、
①油抜きした大揚げ ②人参 ③ごぼう ④椎茸 ⑤私のように、
しなびた・ほうれん草 ⑥きぬさや ⑦豚肉 ⑧切干大根
⑨干しひじき

調味料は、
①サラダ油 ②味醂 ③砂糖 ④塩 ⑤顆粒鰹だし ⑥醤油 
⑦麺つゆ (※残念ながら日本酒は切れていた。)

結果的には量が多くなって、姉にもお福分けすることに。
果たして、美味しく食べてもらえるだろうか?


間もなく4月。
耕作のシーズン到来である。
今回の津波で、田畑は流れ込んだ海水の塩分で、
劣悪な環境になってしまった。
また、近海で漁をする船は転覆、漂流、陸に押し流されてと、
すぐの出漁は困難なようである。

これに、原発事故による政府が出荷停止とした野菜、
風評による野菜や魚の買い控えなどもあって、
これらに従事されている皆さんの苦悩は計り知れない。

避難所で生活する方々の改善とともに、これらの事にも十分な
配慮をお願いしたいものだ。
「頑張れ!頑張れ!」の応援掛け声も必要だが、
「頑張れる環境造り」がもっと大切だと思う。

 

                

 


第611号 ほうれんコン

2011年03月20日 | 我が家のもろもろ

この名は聞きなれない。
新しい花?いえ、料理の名。
先日のクッキング番組で紹介されたもの。

 

茹でたほうれん草を細かく切って、丸ドーナッツ風に盛り付ける。
凹んでいる丸部分にコンビーフ缶を盛り付け。
あとは、花かつお+乾海苔を適当に飾りつけ。
彩りにトマトを適当に散らして完成。

ソースは、マヨネーズ+味噌。
でも、コンビーフは脂肪分が多いから、マヨでなく、
次回は酢味噌和えにしようかと思った。

コンビーフは、100グラム缶であれば3人分はとれる。
手間かからずのもう一品。
お試しあれ!


                 

 

 

 


第605号 昨夜はタラちり鍋

2011年02月22日 | 我が家のもろもろ

スーパーの魚コーナーからは、「ごっこ」の姿が薄くなって
「マダラ」が大きな面積を占めるようになってきた

切り身パックを買い求め、「タラちり鍋」にと考えた。

今月上旬、老夫婦が乗船したごっこ漁の磯舟が転覆。
二人は体温低下のため病院で死亡が確認された。
当日は、吹雪でやや風があった。
原因はスクリューに巻きついた網を除去しようとし、
誤って海に投げ出されものと推察された。

妻は夫を助けようとして難にあったらしい。
冷たい冷たい海の中で、夫婦はどれだけ励ましあったこと
だろうか。
涙がでてきた海難事故だった。

 

具はマダラ、長ネギ、豆腐、白菜。
色彩は白が多かったので、七味唐辛子を加えた。
これでなんとか補色できた。

鍋の季節はあとひと月あまり。
高くなった野菜をたくさん入れ、「ふーふー」言いながら、
そして汗をかきながら、楽しみたいと思う。


               

 

 


第602号 煮込みうどんに救われた

2011年02月10日 | 我が家のもろもろ

年末に風邪インフルエンザワクチンを接種した。
もし、風邪にかかったとしても軽くて済むとのことだった。

ところが、先週の風邪はとても逞しかった(笑)。
くしゃみ、鼻水が容赦なく襲ってきて、ついにダウン。
マスクをかけてベッドに入っていた。

そんな状態だったから、三食とも煮込みうどんに。

 

薄味にし、具は体力がつくようにとたくさん。
板かま、小揚げ、豚肉、きのこ、長ねぎなど。
これが効いたのか2日で快復。
いつもの生活に戻ることができた。

今回の風邪ひき。
雪かきをし汗ばんだ状態で居間でうたた寝。
そのあと、スーパーへ買い物に。
これら一連の行為が原因かな?と思う。
反省、反省。

ミケ、煮込みうどん君、有難うね。


               

 

第596号 永久に幸を!③の③ ~ 皆様の後押しがあってこそ

2011年01月17日 | 我が家のもろもろ

日、36歳になる一人息子が結婚式を挙げた。
祝賀会が始まると、カメラを持っての撮影をする余裕がなく、事前に
パチリをした。
受付は6人。長男の職場の方々がお手伝いをしてくれた。

 

ひな壇はこちら。
300余名のお客様から祝福を受けることになる。

 

右側に司会者席。
どなたが弾かれるのかピアノも用意されていた。

余興が始まると、私たち夫婦は皆さんへご挨拶回り。
中休みタイムをもらって、料理を頂き、再びご挨拶回り。
着慣れないモーニングに汗だらけ。
幸い杯を進める方がおられなくて大いに助かった。

宴が盛り上がったのは、職場の野球部の歌と踊り。
下着一枚になっての演技に大賑わい。
 

 

宴が結びとなって、お見送り。
長男の友人は、数回も並んでお祝いの言葉。
笑顔がいっぱいだった。

皆さんからの祝福の言葉に応えるように、立派な家庭を築いて
欲しいものだ。

     

ご出席いただいた皆さん、教会の皆さん、ホテルの皆さん、
本当に有難うございました。
心からお礼を申し上げます。


 
              

 


第595号 永久に幸を!③の② ~ リムジンに乗って

2011年01月14日 | 我が家のもろもろ

日、36歳になる一人息子が結婚式を挙げた。
記事掲載が前後することになるのだが・・・。
教会へは、祝賀会会場となるホテルからバス2台で移動。

ただ、新郎新婦と新婦のお父さんは、リハーサルのため
一足早く教会へ向かった。
その時の車両はリムジン。大きさに驚いた。

 

大都市と違い、函館ではその保有台数は僅かに1台。
初めて見るリムジンは珍しかった。

ドライバーさんに尋ねると、「長さ8.6メートル、
排気量5,700CC」という。
とても私には運転できそうもない。
内部を覗くと洋酒がびっしり。移動時にはこれで楽しむらしい。

 

最初で最後となる3人の乗車。
束の間のセレブの気分だろう。

観光客にも見送られ「行ってらっしゃい」。
どんな思いで車窓からの函館景色を眺めたのだろうか?
落着いたら聞いてみたいものだ。


                

 

 

 


第594号 永久に幸を!③の① ~ 息子の挙式に涙 

2011年01月11日 | 我が家のもろもろ

先日はタイトルだけの本文なしでの投稿をしてしまい、
申し訳ありませんでした。
お詫びいたします。

日、36歳になる一人息子が婚礼の式を挙げた。
披露宴会場となるホテルのお世話で、教会での結婚式。
建物は西部地区の函館山麓に位置する、独立した教会だった。

 


 

礼拝堂の内部写真撮影は禁止。
式のリハーサル中、入り口ドアのガラス越しにレンズを覗かせた。

    

いよいよ本番となって、礼拝堂へと案内された。
ひな壇には、右に合唱隊、左に楽器隊がおり、
既に演奏が始まっていた。
大きなパイプオルガン、バイオリン、チェロが奏でる優雅な音色と
合唱隊の気品あふれるハーモニーが重なり、その厳粛なる
美しい雰囲気に心が洗われた。

新婦がお父さんに付き添われ、バージンロードをゆっくりと
進む姿を見たとき、
ようこそ!ようこそ!。息子のお嫁さんになってくれて有難う。
お父さん、よく育ててくれましたね。ご苦労さまでした」。

ハンカチを手にし、涙声での賛美歌合唱。
それは、我が人生最大の慶びの歌声だった。

 

                



 


第592号 クラッシックスイーツ

2011年01月03日 | 我が家のもろもろ

「暮れからお正月にかけてのスイーツは何にしようか?」と、
悩んだ。
ケーキ?それとも和生菓子?。
「そうだ、たまには子供のころ食べていた軽い駄菓子に
しよう」と、買い求めたのが下記の4点。
何れも105円と手ごろさもあった。



左上は「緑松」という見た目はキノコ形状の焼き菓子。
生産者は、松をイメージしたらしいのだが・・・。
ハッカが入っていて、口の中が爽やかになる。これイケタ。

右上は「うずまきかりんとう」。
昔はかりんとうと言えば、棒状の黒色しかなかった。
中島れんばいの傍に工場があり、いい匂いを漂わせていた。
「食べたいなー」と、いつも思っていた気がする。

左下は「きびだんご」。
函館のこれは、板状になっていて、セロハンで包んでいる。
小学生の頃、住んでいた近くにここの工場があって、現在も
操業中。

右下は、鈴形状の一口大カステラ。
牛乳と蜂蜜入り。
甘さを抑えているので、数が多くなってしまう。

これらを石油缶三分の一ほどのブリキ缶に入れた。
期間中、TVの特別番組を観ながら、コーヒーをお供にして
楽しんでいたら、昨日で完食となってしまった。

今日はこれから買い物。
ついでに、今度は格式を高くして(笑)ヨウカン、どら焼きも
いいなーと思う。

 

                 

 


第590号 ご訪問、有難うございました

2010年12月29日 | 我が家のもろもろ

年の結びが迫って来ました。
今年もいろいろな事がありました。
しかしながら、さっぱり明るくならない日本でした。
「来る年こそ期待できる世の中に!」と、心から思います。

本年も皆様がたのご訪問で、このブログを継続することができました。
心より感謝申し上げます。
これからも変わらぬ応援をお願いしまして、年末のご挨拶といたします。

皆様にとって、来る年が「最高の幸せ年」でありますように
願っております。

有難うございました。

 

 

(函館観光を計画中の皆様、情報ならこちらからどうぞ!
お役にたつこと間違いなしです。)

 

               

 

 


第587号 私のクリスマスプレゼント

2010年12月20日 | 我が家のもろもろ

間もなくクリスマスイブ。
小さい頃の私のプレゼントは母が涙を堪えて
のものだった。
私が3歳、兄が4歳で父を一晩で亡くし。以後の生活は母の実家に身を寄せた。


母の父は大沼近郊で鉱山の経営をやっていたから裕福な家庭だった
そこには、母の父の再婚相手、その連れ女子、新しく生まれたK男子がいた。
この子にはお医者になりさせたくて名門校やその同級生と付きあわせ、
私たち兄弟はあまり可愛がられなかった。
ころがお爺さんが脳溢血で急逝、Kも肺結核で世を去った。

「お嬢さん、お嬢さん」で育った母は、女中や食堂の下働きで家計を補ってくれた。
そんな母でもクリスマスプレゼントは欠かせなかった。

兄には冒険王+森永キャラメル。
私には少年画報+明治チョコレート。どちらも人気の月刊本だった。

朝、母の顔を見ると「有難うね」といった。
「よかったかい?」
母の手にはあかぎれができていた