梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

違反取締は警察の為に?

2011-09-25 08:11:16 | 雑記
きょうの朝刊に浅草交差点の右折禁止取り締まりの記事が出ていた、違反者が多い交差点で毎日多くの違反者がでるので取り締まりを強化しているが毎日の様に違反切符を切られるドライバーが大量に出る、と言う記事で「それはおかしいのではないか」と言う論調だった、違反者が多いと言う事は標識が解りにくいと言う事を真っ先に考えるべきで其れを改善しないで捕まえる事に重点を置くのは交通法規の目的に反しているだろう
安全でスムーズな交通環境を維持する為に策定された筈だから通常の運転では見落としてしまう設置は目的を充分に達していないと言う事だ、「わかる筈」であれば其れだけの違反者は出ない。
この様な場所は知る限りでもかなりの場所に有る、そしてその場所には必ずと言って良いほど取り締まりが有る、件の場所で言えば右折の終えた所に白バイが数台いるなら交差点に止まっていてウィンカーを出す車に右折禁止である事を指示すれば済むし、右折する事が何らかの障害になるなら右折をさせない事が一番目的にかなう筈である、
交通に関しては特に多い「陰に隠れて違反者を捕まえる」と言う方法は「点数主義」と言う話に具体性を持たせ、警察に不信感を増やしだけで、その結果一番大事な「法を順守する」と言う気持ち事を遠ざけてしまう、
かなり昔だがこんなことが有った、品川区の有る商店街で朝の8時から9時、16時から18時に出勤時間帯と買い物通りと言う事で車両進入禁止と言う所が有る、しかしその他に昼の12時から13時に食事時間として同じ進入禁止の措置が追加された、
一方通行路で入口近くの電柱と駐車禁止と一方通行の標識に補助標識が取りついて此処には12時~13時が確かに書かれていた。そして車両親友禁止の馬が置いて有って此れには先の朝と夕方の禁止時間のみが書かれていた、
ある日此の商店街の一方通行を通らないと行けない所に用事が有って丁度昼時期に此処を通る事になった、
運転していたのは私では無かったのだがこの時入口の馬は少し横にずらされていて通行は可能であるが置いてあるので念の為此の馬の文字を確認した後侵入した、
しかし10mも行かない所で電柱の陰から婦人警官が現れて「違反です、免許証を」と言われた、
友人は「あそこの標識は朝と晩では無いですか」と言ったら「電柱に書いてあります、降りて確認してください」と言われたが、此の時点までは友人は「気がつかなかったすみません、その路地奥に用事がありますのでで勘弁してください」と言ったのだがその時の婦人警官の答えは「駄目です、私はずっと見ていたのですから」と言う、
此の言葉を聞いた私は「其れはおかしいでしょ、違反車両が進入しようとしているのを貴方はずっと見ていて入って来たから切符を切ると言うのは違反を防ぐ事にはならないでしょう」と言ったらこの婦人警官は少し黙った後「じゃあ、今回は特別に良いですから」と言われた、友人と私はこの言葉に納得が行かず「署まで行きましょう」と言う話になって結局婦人警官を謝らせて済ませたが仕事の用事が無ければ荏原署に行っていただろう、この体質は全く変わっていない様だ

意図的に論戦はすれ違う、

2011-09-24 11:56:10 | 雑記
国連で開発途上の国とフランス、アメリカ、そして日本が原発推進に手を上げた、「経済の発展の為には原子力発電は不可欠だ」と言う趣旨の発言がされて日本の発言はこの被災の最中からの発言だからかなり重さが違う、
しかし、世界は脱原発に向かって大きく動いているように感じられる、
推進派と撤退派の論議は対立すると言うよりすれ違っている、意図的にすれ違わせているとも取れるが撤退派が話しているのは「命」の話なのだが推進派の話は「経済」の話である、詰まりかねの話だ、
「命は金に換えられない」のは原初からの道理の筈なのだが、
「豊かな暮らしの為には廉価で効率の良いエネルギーが必要」「原発を止めると経済が停滞し国は貧しくなる」と言うのが野田政府のコメントだが撤退の理由は「多くの人間の命を危険に晒す」と言う事だ、此れに関しては「より安全な方法で」と言うだけで具体的に撤退派の意見に反論しているわけではない、
幾ら安くても、それで経済が潤っても子孫にこの危険を引き継ぐ事は出来ないと言っているのだがその答えが
「原発を残さなければ経済が」と言う回答なのだ、
家計が豊かになるから健康を諦めて下さいと言っているのに等しいではないか、と言っているのだが其れに関して
「絶対に大丈夫だから」と言う返事も無い、仮にそう返事が有っても我々はその根拠を要求する事は当然だが「絶対では無いが限り無くゼロに近い」と言う話だとしたら「万が一」は有ってはならないのだ、今回の事故で解るように「万が1」所では無く被害者は数百万の影響を出している、
経済は「他の手」を探す事は可能だが「命」には他の手は無いのだ、
推進派の人達はもしもの時に我が子や孫達がこの危険に晒されないと言う自信が何故有るのだろうか
私達は等しく負担しなければならない不便さは健康や命の危険を避けるためなら喜んで引き受ける事は出来る。為政者はこの事を良く理解して欲しい

野田総理はどちらを向いているのか

2011-09-23 17:38:48 | 雑記
野田総理は原発を含めて再生可能エネルギーと三本立てで進めると言う発言をしている、
今国民の大半は脱原発に向いていると思うのだが世論を押し切っても原発を推進する事の目的がどうもわからない、
今回の大事故で蒙った大変な被害は「経済が停滞する」と言う論議とは論点が全く違うのではないか、「経済の停滞は国民の生活に影響」がと言うがこの事故の前数十年間は貿易黒字で大量な外貨が集まっていた筈だが大半の国民はその恩恵には与っていなかった事は間違いない、
輸出はずっと黒字だと言うが国内ではで多くの失業者が溢れ越年村が出来て働き盛りの人達が住む家も無く炊き出しを受けていた事を忘れてはならない、
経済の下支えを失うと言うが下からこの人達は個人レベルで言えば経済の下支えは既に全く無かったのだ、
電力が不足するから生産が滞り経済に悪影響を及ぼすというなら何故働く所が無いのだろう、
庶民レベルで言えばこの暑い夏を連力会社の言う「危機的状況」を省エネと言う言葉に従って無事通り過ぎた、企業が「電力不足だから雇用を維持出来ない」と言う話も聞かない、
しかし、原発事故で住む所を失い、職場を失い、情報の不正確と風評被害の範囲は首都圏を通り越してまで広がっている、この被災での損失は短期分でも20兆円を超える、
「此れを教訓に安全な原発を」と言うがこの事故の前には「原発は絶対に安全だ」と言っていた筈だ、「想定外」は起きたのだが「此れから先は想定内に」なったのは今回のレベルの話だ、
しかも、殆どの既存の原発は今回の被災レベルの対処すら終えていない、次の災害は対処が終えるまで来ないなぞと言う事はどう考えてもありえないだろう、地震学界では「十年内に東海・南海地震の起きる可能性は90%を超える」と言っているのだから
我々が知りたい事は其処までリスクを抱え込んでも優先しなければならないと言う理由だ、
何故、原発による電力が必要なのか、量なのか、コストなのか、それは不足すると日本は立ち行かないのか、我々の思い「脱原発」の意見に納得の行く説明が欲しいのだ
そして其れがある一部の人間の為でなく全国民、全人類の為にどうしてもこの選択をしなければならないのだと言う事をしっかり理解させて欲しい、正直我々は全く腑に落ちていないのだ

15号首都圏通過

2011-09-22 08:25:49 | 雑記
台風15号がほぼ直撃となった昨日はかなり凄まじかった、前から予定があった打合せの内15時は何とか訪問したのだが帰りが16時を超えたら酷い状況に成ってしまった、
凄まじい風が大橋通りを吹き抜けていてこの後18時に予定している打合せのキャンセルを入れる、こう言うときは本当に携帯電話は助かる、
先週末からスマホに替えて何とか慣れたのだがタッチパネルは指が濡れていると使いにくいと言う事が解った、地下鉄の中に入って手を乾かしてから連絡を取る。
次々と路線が止まり自分の乗る路線が生きているうちにと大急ぎで帰社する、
風が酷いので壊れても良い様にと安い傘を持ってでたのだが会社まで後数十メートルと言う所で正面から猛烈な風に襲われた、右手で傘の骨の付け根を持って左手で開いた傘の先端を押さえる様にして居たのだが体ごと数メートル押し戻され、傘の方はあっという間に骨が曲がってしまった、
今まで傘の後ろから風が廻り込んで駄目にした物は幾つか経験しているが正面からの風で骨が折れたのは全く初めての経験だった、
数十メートルで全身濡れ鼠になって事務所に戻ると5時少し前、此れからが本番だった、
事務所は古いビルの6階で南東と南西が窓の角部屋で廻りに遮る物は何も無い、見晴らしは素晴らしいのだがこう言う時はもろに風の直撃を受ける、雨交じりの強風が南西から吹きつけるとガラス窓が大きな音を立てる、(割れるんじゃないか)という様な音がする、その内風向きがやや南からと西からとめまぐるしく変化しその度に窓ガラスが前後に大きく揺り動かされる、
更に風が強くなってきたら何とビルそのものが揺れる、まさか倒れる事は有り得ないがちょっと不安になる状況だった、
19時前になると風は未だ有るがどうやら雨は上がった様だ、風か雨がどちらかが無くなれば何とか歩く事は出来るので帰宅する事にした、
住まいの方も4階でおまけに此方は北を除いて窓と廊下である、風の音は未だかなり酷いがどうやら通過した様だ、
9時過ぎに近くに住む娘から電話が有った、坂の上の家なのだが更に上に10年程前に出来た家の壁が強風で剥がれて娘夫婦の部屋にある出窓を直撃しガラスと窓枠を壊したという、その時家に居たのは中学3年生の長男と小学校5年の次男だったがこの2人でダンボールとガムテープで応急措置をしたらしい、(こいつは結構頼もしいな)と感じたものだった
基本的には天災で起きた事故には原因の家屋に賠償責任は無いらしいが火災保険で修理は効くらしいのは不幸中の幸いだった
今朝は台風一過、見事な青空が広がった、多くの被害を受けた方にお見舞いを申し上げます

台風の思い出

2011-09-21 10:37:17 | 雑記
今年は自然災害が多い、地震から始まって此処に来て台風が立て続けに上陸或いは近海を通過する、そして被害がかなり甚大になっている、
日本は概して台風被害が多い国である、昭和20年代の生まれである自分は静岡県の中央に生まれ育ったので僅か15年しか暮らして居なかったのに随分何回も遭遇した様な気がする
伊勢湾台風が来たのは多分昭和34年だったのではないか?翌年修学旅行で名古屋に行ったときに未だその傷跡が残っていて社会勉強のためと言う事で被害の大きかった鍋田干拓と言うところに言った記憶が有る、
伊勢湾台風が襲った同じ年の8月に遠州地方は記録的な集中豪雨を受けた、その日偶々林間学校で近くの山にある宿泊施設に泊まっていた、先生と何人かの父兄が一緒で生徒は男女併せて33人だったと思う、
施設のある粟が岳と言う山は海抜530m程度だが大井川の縁にあってこの先東から南には遮る物は何も無い見晴らしの良い山である、余談だが今出来上がったスカイツリーがこの山より70mも高いと言うのは俄かに信じられない思いである
到着して荷物を運び込み少ししたら山頂は真っ黒な雲で覆われてしまい猛烈な雨と雷の襲われる事になった、恐らく未だ昼前だったと思うが外は真っ暗で夜の様な按配で猛烈な雨と風が急いで立て回した雨戸を激しく叩く、雷は殆ど真横で引き裂くような音を繰り返しその度に雨戸の隙間とトイレの小さな窓から閃光が光る、2時間位か若しかしたらもっと短かったのかも知れない、
雲が引いた時未だ明かりが残っていて遥か下の方に流れている大井川が来た時に見た川の中に模様を描くように流れていた物が川幅いっぱいに茶色の水で溢れていた、
この時の雨は我が村の橋を全て流し去ってしまい多くの土砂崩れを引き起こしていた、僅かな水田はほぼ全滅状態になったが人的被害は全く無く、村の人達も然程大変な事になったという感じでは無かった記憶が有る、しかし我が家はこの豪雨の後に通過した伊勢湾台風で家が半壊する事になる