梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

フィルムカメラの頃

2011-09-27 11:53:01 | 雑記
暦通りに涼しくなってきた、又少し戻りが有るかも知れないが30度を超える事は無いだろう、暑さは苦手な自分にとっては実に有難い、
昨日から女房が新宿の現場に手伝いに行く事になった、8時45分に間に合う様に電車に乗ったがラッシュアワーの電車と言う奴は二十歳の頃から乗っていない、久しぶりと言うより初体験に近い、女房は本当に初体験だったが凄いもんだな、持っていたビジネスバッグはとてもあの時間帯ではもって乗ってはならない物だと言う事を知った。
女房が現場に行った代わりに自分の仕事は実に静かだった、休みの間に仕上げた仕事をメールで送り電話を何本かやり取りした程度だったので昔の写真を整理してみた
中学を降りて働き始めて直ぐに写真に興味を持った、最初買ったのはミノルタのハイマチック7と言うファインダーカメラでその頃は未だモノクロが殆どだ、
富士フィルムのネオパンSSとトライXだった、カメラは次にオリンパスペンFと言うハーフカメラになる、オリンパスペンはハーフカメラの代表格でFはレンズ交換の出来る珍しいハーフの一眼レフだった、持ち歩きが便利なのと枚数が倍撮れるので此れを使っていたが段々大伸ばしをしたくなって次に買ったのはミノルタの一眼レフでSR7と言う機種、レンズは「緑のロッコール」と宣伝していたレンズで確かに除くと薄い緑色に見える、このレンズとコダックの400が実に相性がよく、黄色が素晴らしい色に出た、25歳前後から段々病膏肓になってきてアサヒ光学の6×7になる、
中版カメラで一眼レフそれもファインダーと言うのは此れだけだったので此れにする、しかし一寸した運動会や宴会に頼まれると此れでは重過ぎるしブローニーだと焼き出しも結構大変でもう一台同じアサヒ光学のペンタックスSRを買った、しかしカタログを見ていると6×6も6×4.5も欲しくなる、そしてマミヤの6×6とゼンザブロニカの6×4.5も購入、一番多かったときはカメラ本体が5台と各々のレンズを合わせると20本位になった、
時代が過ぎて来てデジタルカメラが進化して来るとやはり此方に移行して行き今では全部の銀板カメラはオークションで処分してしまったが今考えると持っていた方が良かったような気もする

浜名湖の夕陽は35mm、多分28mmだったと思う、30年位前


御前崎の夕陽の方は6×7此れは恐らく150mm(35mm換算だと80mm位)


お会式の纏は35mmmペンタックスの標準50mmでストロボ



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