梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

意図的に論戦はすれ違う、

2011-09-24 11:56:10 | 雑記
国連で開発途上の国とフランス、アメリカ、そして日本が原発推進に手を上げた、「経済の発展の為には原子力発電は不可欠だ」と言う趣旨の発言がされて日本の発言はこの被災の最中からの発言だからかなり重さが違う、
しかし、世界は脱原発に向かって大きく動いているように感じられる、
推進派と撤退派の論議は対立すると言うよりすれ違っている、意図的にすれ違わせているとも取れるが撤退派が話しているのは「命」の話なのだが推進派の話は「経済」の話である、詰まりかねの話だ、
「命は金に換えられない」のは原初からの道理の筈なのだが、
「豊かな暮らしの為には廉価で効率の良いエネルギーが必要」「原発を止めると経済が停滞し国は貧しくなる」と言うのが野田政府のコメントだが撤退の理由は「多くの人間の命を危険に晒す」と言う事だ、此れに関しては「より安全な方法で」と言うだけで具体的に撤退派の意見に反論しているわけではない、
幾ら安くても、それで経済が潤っても子孫にこの危険を引き継ぐ事は出来ないと言っているのだがその答えが
「原発を残さなければ経済が」と言う回答なのだ、
家計が豊かになるから健康を諦めて下さいと言っているのに等しいではないか、と言っているのだが其れに関して
「絶対に大丈夫だから」と言う返事も無い、仮にそう返事が有っても我々はその根拠を要求する事は当然だが「絶対では無いが限り無くゼロに近い」と言う話だとしたら「万が一」は有ってはならないのだ、今回の事故で解るように「万が1」所では無く被害者は数百万の影響を出している、
経済は「他の手」を探す事は可能だが「命」には他の手は無いのだ、
推進派の人達はもしもの時に我が子や孫達がこの危険に晒されないと言う自信が何故有るのだろうか
私達は等しく負担しなければならない不便さは健康や命の危険を避けるためなら喜んで引き受ける事は出来る。為政者はこの事を良く理解して欲しい