梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

隔世の感あり

2024-06-18 17:13:31 | 昭和の頃
少子化に対応してイクメン、育児休暇と言うワードがとびかっている、
男も育児に参加しなければいけない、その為の休暇は父親にも当然与えるべきだと言う趣旨だろう
特に違和感もないし特に「時代が変わったな」などとも思わない、
思わないが昭和の農村で生まれ育った時代と思い返すとやはり隔世の感はある、
尤も育児と言う様な改まった考え方は無かったし大体三世代が当たり前だから比べる事も出来っこないのだが
農村では多くは祖父祖母(なんて言うもんじゃなくジジババとおとっちゃんおっかちゃん)が朝早く近くの農地に出て行って、昼には飯を食いに戻って来て
又出て行って暗くなったら帰って来ると言う生活だから子供も勝手に野原で駆け廻っていたり、親の手伝いをしたりだから子供を遊びにどこかに連れてゆく事自体が無い、
公園デビューどころか村に公園なんてもんは無い、第一必要が無い
オムツも紙おむつなんかは無く浴衣の端切れか手ぬぐいをリング状に縫い付けた布で、汚せば洗って使う
ミルクの時間なんかはある筈はないほとんど母乳だ、親父が手を貸せるわけはない、
足らないと貰い乳、後は重湯だったがそれでも結構育ったもんだ、
江戸時代は乳児死亡率が高かったと言うが戦後時代はそんな話は無かったな
飯の支度は確かにお袋か婆の仕事だがその為に先に引き上げるのは当たり前で全体の仕事に組み込まれていた
夕飯が終えた後の片付けは女手に決まっていたし、たしかにそれを言えば男どもは偉そうだった、偉そうだっただけで実際の実権は女たちが握っていて酔っぱらいを上手に煽てたり宥めたり、しかし実態はやはり爺も婆には頭が上がらないのが実情だった、
「親父と遊んでもらった記憶」なんかは恐らく当時の村の子供には皆無じゃないのかな、まあお袋に遊んでと言うのもほとんどないだろけど
当時の村には子供には子供の社会が有り、その子供はやがて若い衆になって青年団に入る、
上の子は下の子の面倒は責任をもって遊ぶのが当然で、中学を下りるとやがて青年団に入る、
青年団に入る前の1年は予行入団みたいな事もあって公民館か寺の本堂に一晩みんなで寝る、そこで酒も女の話も教わる
(女子青年団もあったが当然男の我々にはどういう世界か解らない、がまあ同じようなもんなんだろな)
大学まで行くのはほんの一握り、長男が家を継いで次男以下は家を建てて共同の農業をしたがこの頃になると殆ど就職していった
終戦後の「産めよ、増やせよ」の時代だったがどん底に落ちた経済はどうなってもこれ以上は落ちない、朝鮮戦争で景気は急激に上昇する
幾ら子供を産んでも(もっといい世の中になる)と安心して苦労が出来た時代だった、
子供を産んでもらうために政府がいろんな旗を振るが「きっとこれからもっと酷い世の中になる」としか思えないのでは育休でどうこうなる話じゃあないよな

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