アゴラの投稿にこういうのがあった。
大学生は勉強しなくていいのか
http://agora-web.jp/archives/793423.html
「コンクリートから人へ」とはいうけれど - 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/793924.html
内容を大雑把に言えば、
学生はもっと実用的でビジネスに使えるものを学ぶべきだ・・・と言ったもの。
確かに、若者・・・これから日本経済を担う存在に、実学(実用的で即戦力になる知識)を・・・と言うのは間違いではない。
即戦力にならないより、なる方が良いに決まっている。
それは否定しない。
でも、実学を教えることで学生が使える人間になるのだろうか?
もしそうであるのなら、企業は実学を専門に教えているはずのビジネススクール出を率先して採用しているはずである。
しかし、現状はそうなっていないし、そういう話も伝え聞かない。
この手の話題は、昨日今日、急に出てきたわけではなく、10年も20年も、それ以上前から囁かれている話である。
それなのに、一向に改善されていないのは何故なのだろうか?
企業・・・主に人事が昔ながらの方法で採用をやっているから?
それはちょっと考えづらい。
人事の人間だって、きちんと考えて採用・不採用を決めているに決まってる。
使えない人間を採用しても、文句を言われるのは人事なのだから、当たり前だ。
その証拠に、圧迫面接までやって採用を決めている。
そういう人達がなぜ、実学を学んだ人間を積極的に採用しないのか?
単に実学を学んだだけでは使えないからだろう。
実践を伴わない実学など、模擬に過ぎず、実践では通用しないからではないか?
どうせ社員教育を施さないと使えないのなら、見込みがありそうな人間を採用して教育するのが一番効率的なのだと思う。
だからこそ、ビジネススクール出を積極的に採用しないのだろう。
せいぜいビジネスマナーができていれば良いのではないだろうか?
そういうわけで、大学で実学を教えるなど無駄でしょう。
では、大学で専門分野以外、何を教えるべきだろうか?
答えを出すのは難しいが・・・あえて言うなら『教養』だと思う。
「教養なんぞ、何の役にも立たない」
多くの人が、そう言うと思う。
確かに、ゲーテやシェイクスピアや源氏物語などが、ビジネスに有効かと訊かれれば、何の役にも立たないと答えるしかない。
しかし、直接 役には立たないが、教養があるからこそ 新しいものを生み出せる糸口になるのではないだろうか?
例えば、ゲーテを知っている人は、知らない人と比べて、考え方が少し違うはずである。
その『ちょっとした違い』こそが、新しいものが生み出す着想や糸口につながるのではないか?
そういった他人との違いの積み重ねこそが、社会の発展に寄与するのではないか?
と思っています。
もちろん、確証はありません。
でも、偉人と言われる人の多くが、教養高いものです。
教養が高いから偉人になったのか、偉人だからこそ教養が高いのかは、わからないが、これは重要なことだと思う。
まぁ、教養があるから偉人になれるとは思えませんけど・・・。
だいたい、実学なんてものは仕事をすれば、実践で手早く学べるし、必要である以上、嫌でも身につくはずです。
それで身につかないのは、その仕事をやめたほうがよい。
才能がないのですから。
でも、教養は必要ではないので、自然には身につかないのです。
だからこそ、学生のうちに強制的にでも教える必要がある。
広く浅くでも教えておけば、後は自分の興味で自由に学んでいくでしょう。
存在を知らないものに興味が沸くことなどありえないのです。
それだけでも価値がある教育だと思う。
『役に立たない実学より、個人のための教養を』
人と違う+αがある人間を、沢山作ったほうが社会はより発展するのではないか?
赤熊はそう思っている。
大学生は勉強しなくていいのか
http://agora-web.jp/archives/793423.html
「コンクリートから人へ」とはいうけれど - 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/793924.html
内容を大雑把に言えば、
学生はもっと実用的でビジネスに使えるものを学ぶべきだ・・・と言ったもの。
確かに、若者・・・これから日本経済を担う存在に、実学(実用的で即戦力になる知識)を・・・と言うのは間違いではない。
即戦力にならないより、なる方が良いに決まっている。
それは否定しない。
でも、実学を教えることで学生が使える人間になるのだろうか?
もしそうであるのなら、企業は実学を専門に教えているはずのビジネススクール出を率先して採用しているはずである。
しかし、現状はそうなっていないし、そういう話も伝え聞かない。
この手の話題は、昨日今日、急に出てきたわけではなく、10年も20年も、それ以上前から囁かれている話である。
それなのに、一向に改善されていないのは何故なのだろうか?
企業・・・主に人事が昔ながらの方法で採用をやっているから?
それはちょっと考えづらい。
人事の人間だって、きちんと考えて採用・不採用を決めているに決まってる。
使えない人間を採用しても、文句を言われるのは人事なのだから、当たり前だ。
その証拠に、圧迫面接までやって採用を決めている。
そういう人達がなぜ、実学を学んだ人間を積極的に採用しないのか?
単に実学を学んだだけでは使えないからだろう。
実践を伴わない実学など、模擬に過ぎず、実践では通用しないからではないか?
どうせ社員教育を施さないと使えないのなら、見込みがありそうな人間を採用して教育するのが一番効率的なのだと思う。
だからこそ、ビジネススクール出を積極的に採用しないのだろう。
せいぜいビジネスマナーができていれば良いのではないだろうか?
そういうわけで、大学で実学を教えるなど無駄でしょう。
では、大学で専門分野以外、何を教えるべきだろうか?
答えを出すのは難しいが・・・あえて言うなら『教養』だと思う。
「教養なんぞ、何の役にも立たない」
多くの人が、そう言うと思う。
確かに、ゲーテやシェイクスピアや源氏物語などが、ビジネスに有効かと訊かれれば、何の役にも立たないと答えるしかない。
しかし、直接 役には立たないが、教養があるからこそ 新しいものを生み出せる糸口になるのではないだろうか?
例えば、ゲーテを知っている人は、知らない人と比べて、考え方が少し違うはずである。
その『ちょっとした違い』こそが、新しいものが生み出す着想や糸口につながるのではないか?
そういった他人との違いの積み重ねこそが、社会の発展に寄与するのではないか?
と思っています。
もちろん、確証はありません。
でも、偉人と言われる人の多くが、教養高いものです。
教養が高いから偉人になったのか、偉人だからこそ教養が高いのかは、わからないが、これは重要なことだと思う。
まぁ、教養があるから偉人になれるとは思えませんけど・・・。
だいたい、実学なんてものは仕事をすれば、実践で手早く学べるし、必要である以上、嫌でも身につくはずです。
それで身につかないのは、その仕事をやめたほうがよい。
才能がないのですから。
でも、教養は必要ではないので、自然には身につかないのです。
だからこそ、学生のうちに強制的にでも教える必要がある。
広く浅くでも教えておけば、後は自分の興味で自由に学んでいくでしょう。
存在を知らないものに興味が沸くことなどありえないのです。
それだけでも価値がある教育だと思う。
『役に立たない実学より、個人のための教養を』
人と違う+αがある人間を、沢山作ったほうが社会はより発展するのではないか?
赤熊はそう思っている。
教える人間がいないというのなら、なおさら教えなくていいと思います。
割が合いませんので。
教養は独学でも学べますが、その大学の出身者ならでは共通した教養なんて教えられたら、特色が出て面白いかなと思います。