意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
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赤熊の芸術論

2013年01月07日 | スタンス
1年とちょっと前にこんなニュースが。

らばQ  8600万円が台無しに…清掃員が汚れと思って掃除したら芸術作品だった
http://labaq.com/archives/51711471.html

消されたのはこの作品のようです。


・・・・・こんなものに8600万円の価値なんてないと思うのだが。
そんな気もしますが、見る人が見るとそれだけの価値があるんでしょうね。

そもそも現代アートってなんなのでしょうね?

現代アート・・・基本的には印象派から始まってるっぽい。
その前のアートといえば、


レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ(1503年)



レンブラントの夜警(1642年)

とかの古典だよね。
比較的理解しやすい・・・というか、何書いてんのかわかる。
もう少し新しく、印象派の前までとなるとロマン主義かな?


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『氷の海』(1824年)


ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』(1830年)


有名な絵ですね。
何を書いてるのかはっきりわかりますね。

この後、1800年代後半に印象派が出てきて、ここから大きく絵のタッチが変わります。
タッチと言うか、絵がぼやけてるようになります。


モネの『印象、日の出』(1873年)


セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』(1904年)

明らかに絵の方向性が変わりますね。
それでもまだ何を書いているのかわかりますけど。

なぜ、このように変わっていったかというと、この時代にどうやら写真ができたっポイ。
写真ができたのが1800年代の初め、一般普及しだしたのがだいたい1800年代の半ばあたりですね。
それまで絵は写真だったわけです。
だから写実性が重視されていたけど、その必要性がなくなったと。
「写真でいいじゃんwww」だったんでしょうね。

ちなみに1800年代の半ばあたりはちょうど万博で紹介されたジャポニズムが流行ります。
何で流行ったかと言うと、単に異国趣味と言うだけでなく日本の浮世絵などが写実性を無視した絵だったからだと思いますね。
陰影法を無視したり、遠近法の取り方とか、デフォルメ具合とか・・・そういう技法がなかったり概念が違っただけですけど、それなのに芸術として成立している。
そこがうけたんでしょうね。
まぁ、確かに写実性を否定され腐ってたところに、全く新しい概念の絵を見れば熱狂もするか・・・。
そのおかげで写実性を追及しない印象派などの作品が成立するわけです。

この後、ピカソの訳の解らん女の絵(キュビズム)とか、ダリの熔けた時計の絵(シュルレアリスム)とかの理解しがたいもの、または漫画チックにリトグラフなどへと進化していくのです。

ま、その辺は置いとくとして、現代アートの話に戻すと、その走りはマルセル・デュシャンの『泉』(1917年)らしい。



・・・ただの便器にサインしただけのものです。
あと有名なのはアンディ・ウォーホルのマリリン(1967年)かな?



・・・・・・どこがアートやねん!!
ただの便器と写真に変わった色つけただけじゃねぇか!!
まぁ、『これぞ現代アート』って気もしますが、理解の範疇を超えてます。
いえ、理解がどうのというより、良し悪しすらわからないというか・・・。
何がいいのかさっぱり・・・うーん・・・。

別の現代アートの絵を見ても、だいたい同じ感想ですね。

多分ですけど、写真により写実性が否定されたので、写実性以外のものが重要視された結果なのではないかと思います。
要は写実性・・・つまり現実的でない秘められた精神性というか別解釈が必要になってるんじゃないかな?

ほら、あれですよ。
『ボールを見て、宇宙を感じろ!!』とかそういうやつ。
茶道で宇宙を感じるうんぬんとかさ。
無理だろとか言いたくなる、そういうの。

要は『前から見たら丸だけど、実は横から見たら四角形だったんです』みたいな?
見た人の視点を変えさせるもの、常識を変えるものこそが芸術になったのではないかと思います。(逆に言うと、視点を変えさせるものならばすべて芸術になる?)

なるほど、一般人には理解できないわけですね。
そんな視点がないからそもそも理解されないわけで、理解されるのなら現代アートじゃないのです。

・・・・あれ?
本末転倒じゃね?

いやいやいやいや、それを理解させるために視点を変えさせるものがアートなわけですよね?

ならば、今の赤熊には理解できるはずだ。
よし、これを踏まえて一番上の現代アートをもう一度見るんだ。
そうすれば現代アートのなんたるかが解るはずだ!!







・・・・・・一般人の赤熊には無理でした。(完)


あ、この記事は全て赤熊の勝手な解釈であって、美術史的に違う可能性が高いです。はい。
赤熊、美術は専門じゃないのであしからず。
違うって言われたら『そうなんですね』とお答えます。

2012.01.12 補記訂正
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2 コメント

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嗜好の世界 (白猫)
2013-01-09 22:48:23
赤熊さん、こんばんは!

今年も宜しくお願い申し上げます。

さて今回の「芸術論」に付いてですが、芸術の範疇で
「美術」だけが「好み」で判断されると思われませんか?

他の文学も音楽も演劇も、読んだり聞いたり見たりすれば、大体「本物か」「否か」判別付きますよね。

過日故有って或る巨匠と呼ばれた絵描きの絵の値段を
調べてもらいましたところ、10数年前は8000万円だった代物が、現在価格100万円程との事でした。
訳を聞くと、流行りが終わったとか、現代人は絵を理解出来なくなっており、好まれるのは、写真の様な、安易な作品になって来たとの事でした。

縁故に一応芸術家がいるので、情報が入るのですが、選ばれる基準が曖昧なので、例えば政治家的な性格の絵描きとかは、出世が早く、頂点の芸術院会員も手中です。
しかも芸術院会員になると、絵の値段は上がるわ、年金が月25万入るわで、運動が自然と激しくなる様です。
国民年金とか厚生年金と違って、元手無しに25万円ですから、庶民の年金(収めた)を将来削るのなら、既に裕福な彼らへの年金をカットしたら?と思いますね・・・。

好みの世界なので、誰が誰を引き上げようと、作家の作品がどうであれ、文句の付けようが無く、一部の人間の思うままに、廻ってる世界です。

日本人は隣が良いと言うと、私もとなる国民性もあり、評論家や、雑誌の誉め様に素直ですね。

仏では、自分の意見が他人と違うことに意義が有るので、例えば道端で絵を描いていても、気に入られれば、評論家が付いてなくても買ってくれます。但しかなりシビアですけど。

赤熊さんの様に「解らない」と答えられる人、増えるといいです。
管理人 (赤熊)
2013-01-13 00:41:16
白猫さん、返信が遅れて申し訳ありません。

確かに美術は好みの世界ですね。
現代アートじゃないですけど、赤熊はミュシャや伊藤若冲が好みですかね。
単に綺麗と言うだけで好きなのですけど。

それにしても8000万円が100万円!!
物の価値は需要と供給ですから、需要がなくなれば安くなるのは当然ですけど・・・それにしては極端ですね。
趣味嗜好(需要)と言っても、それほど変わるものじゃないと思うのですけどね。

でも、どんな理由であれ、売れているものが正義・・・と言う意見も理解できないわけじゃないんですよね。
たとえそれが誰かの意図的なものでも。
極めて商業的な考え方ですが、需要がある・・・それを求める人がいるからこそ作られるわけです。
それはそれで、生み出される『もの』があるのですから良いことなのではないかな・・・と思います。
ものの価値と芸術性は別・・・必ずしも一致しないってことでしょうかね。

・・・商業性と芸術性が一致するとこんなややこしいこと考えなくていいのですけどね。(笑)
多分、写実性を追求してて時代はこんな葛藤は無かったんでしょうね。
基本的に技術ですし。


最後になりましたが、今年もよろしくお願いします。

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