意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

ゲームの自由度って

2010年10月01日 | 社会
前回、日本は洋ゲーが嫌い??というエントリを書きで、「知らないんだから洋ゲーが流行るわけがない」と書いたので、その続きみたいなもの。

昨日も触れたが、日本が「洋物ゲーム」を嫌う理由というのを読み、その中に気になる文がありました。
http://wiredvision.jp/news/201009/2010092821.html

>「シナリオ通りに進むゲームなんて、レールに乗った人生と同じだ」
>「ストーリーに変化がないのにもう1日やるのはムダだ!」

日本のゲームが一本道で、洋ゲーが自由度が高い・・・といいたいのだろう。
赤熊は洋ゲーをしたことないのでわかりませんが、自由度が高いゲームが素晴らしいゲームなの???
ここが非常に疑問。

というか自由度が高いゲームって、何さ?
とりあえずウィキペディアを読んでみた。

自由度 (ゲーム)

ふむ、これによるとマルチシナリオ・マルチエンディング、キャラクターメイキングなどのカスタマイズ性が高いこと・・・といったところ。
他にも序盤からの行動範囲の広さや、善行だけではなく悪行もできる要素も自由度に含まれるっぽい。
でも、どんな無謀な振る舞いを重ねようが、ストーリーを進めなければ、そこで進行が止まるわけです。
結局、エンディングを目指すしかなく、それらを『自由度』と言われても変な気がする。
となると自由度と言うものは存在せず、単に『プレイヤーの気持ちの問題』としかいえないのではないか?

まぁ、これだと実も蓋もないので、純粋なストーリー部分以外に楽しみ方ができる・・・というのが自由度なのでしょう。
他の楽しみ方といっても、縛りプレイとか、タイムアタックとかは自由度の面白さではないとは思いますが。

でも・・・1P用のコンピュータRPGに自由度の面白さを求めるのは酷だよね。
何でもできる・・・と主張しても「プログラムの範疇で」なのですから。
必ず帰着点があるわけで、それに沿って進めなければ、破綻します。
結局、ミニゲームを重ねる事くらいしか手立ては残らないと思います。

(ここでいうミニゲームというのは、おまけのゲームだけではなく、ストーリーを有利に進めることができるようになるものも含みます。例えば強くなるためのアイテムを作製するのに○○が必要とか、クエストを成功させると○○がもらえるとか、してもしなくてもいい部分のことです)

確かに作らなくてもいい、クエストを受けなくてもいい、という自由。
それは自由なんでしょうけど、ミニゲームと面白さは別だよね。
まぁ、そういうことを繰り返すことが楽しいのだ ということを否定しませんが。

・・・ゲームの自由度を考えてたら、「コンピュータRPGとは何か?」を・・・いや、それ以前に「ゲームとは何か?」とかを考えないといかなくなったので、だんだん面倒になってきた。(笑)

ゲームとは・・・一定のルール下においての反応を楽しむものなんだよね。
特に、相手の思いがけない反応を楽しむものです。
1人でサッカーをしてもつまらないし、2人用のゲームだとしても3目並べみたいに結果(反応)がわかっているゲームもつまらないのです。

RPGでなければ、2人プレイでの協力 or 殺し合いってところが面白いわけです。
マリオブラザーズとか、アイスクライマーとか。
対戦型のゲーム・・・格ゲーなどが、その分野を特化させたものでしょう。
コンピュータと闘ってても、すぐに飽きますもの。
けど、RPGだと殺し合いが 1Pですので、まず起きませんね。
仮に2Pにしたとしても、殺しあってたら物語が進まないだけです。

とすると、1人でするコンピュータRPGは行動を取った時のプログラムの反応・・・要するにシステムを楽しむのでしょうけど、ある程度こなれたら後は作業となる。
多分、そこはテトリスと同じです。
残るはストーリーを楽しむ以外にないのです。
ということはRPGをゲームと名前がついているけど、実は小説や映画と同じ分類だといえます。
下手にゲームと名前をつけるから勘違いしやすいけど、要するにサウンドノベル(ノベルゲー)と同一なのです。

というわけで、自由度というものがコンピュータRPGにない以上、「自由度が高いから面白い」という主張はあまり意味がないように思える。
同時に『一本道のゲーム、NO』というのも、全く意味がない。

いわゆる自由度の高いゲームとは、作業と感じさせない・・・という程度の意味なんでしょうね。
まぁ、自由度を楽しみたいのならMMOをした方がいいのでは?と思います。