マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

主に従う者は

2018年02月09日 | キリスト教

「 主に従う人が持っている物は僅かでも、主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。」

                               詩編 37編 16節

 

「ひとりの正しいものの持つもの」とは一体何でしょうか。豊かないのち、豊かな心ではないでしょうか。

自分を正しいとし、人にも正しいとされていたパリサイ人と、自分を罪人だと自覚し、

人にも罪人だと思われていた取税人が、二人並んで神殿の前で祈りました。

パリサイ人の祈りは「この横の取税人のような罪人ではないことを感謝します。神様、

私は何事も正しくやってきました。」でした。

 主イエスは軍配を取税人のほうにはっきりとされたのです。

罪を悔い改めて神を恐れ、神に新しい心を頂いた正しい人の心、そのいのちこそ豊かなのです。

私たちが持っているものは少なく、僅かに見えるかもしれません。

しかし、そのわずかに見えるものをもって、主は支えてくださいます

キリストの教会は、イエス・キリストの福音というわずかなものしか持っていません。

しかし、罪から救う力を持っています。したがって、わずかなのですが全てを持っています。

ですからこの僅かなものを精一杯用いていき、父からよくやったと言われたいものです。。

 

 

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