「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
マタイ 5章 10節
「正義」「平和」という言葉がよくつかわれますが、それは社会的に大きなことだけに使われることとは限りません。
人と人との関わり合いにもそれは必要です。お互いにかけがえのない兄弟であり、
社会を作っていく仲間であるということを全面的に認めたときに、
好き嫌いによって過大評価をしたり、過小評価をする資格や権利のないことがわかると思います。
そこに正義があります。感情的または生理的な好き嫌いは、一生付きまとうかもしれませんが、
お互い欠点を持ち、迷惑をかけながらも一人一人を大切にし、支えになっていこうとするとき、
平和が訪れるのではと思います。
それは、キリストの兄弟である小さな一人に、自分のほうから隣人になっていくという積極的な姿勢と、
毎日毎日、自分自身の矛盾と闘いながら、少しづつ前進していく努力です。
この努力なしにこれでよいと思うのなら、それはただの自己満足で終わってしまうのです。
人を愛するということは、もうこれでよいというときは決して来ないものではないでしょうか