マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

感謝の上に

2016年07月15日 | キリスト教


「 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、

                     目標を目ざして一心に走っているのです。」

                            ピリピ 3章 14節

 

知れば知るほどに深くかかわりたい主の愛と恵みが、この目指して一身に走る動機となっています。また、

自分の達しているところを基準として、他人と自分を比べて一喜一憂する信仰生活ではなく、

ただ、神を見不上げて生活するです。感謝と喜びの故に、自発的に自我と戦い、自己訓練し、神に仕えたい。

さて、あなたは「お前やる気があるのか」と言って叱られ、はっとしたことがおありでしょうか、

「なぜ、なんのために、こんなことをやるのだろう。」 と考えているうちに、やる気満々ではなく、

やる気ノンノンになってしまったのです。

人はさまざまで、エンジンをかけて待機している車のように「やるぞ」という気持ちがみなぎっている

人もいれば、ガレージに収まった感じで、やる気を起こさせるのに手間取る人もおられます。

与えられた性格、素質なのかもしれませんが、人生それではすまされない。

その点でもキリストの弟子パウロは偉大でした。この人はサウロと呼ばれ、イエスとその教えに反対し、

キリスト信者を捕らえたり、処罰したりしていました。しかし、イエスに出会って百八十度転換してからは、

過去を振り返って気落ちしたり、人目を気にして躊躇したりせず正しいと分かったことに全力を

傾けて努力しました。私たちも、今持っているすべてを持って自分の最高を捧げたいものです。

聖書から

「 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、

私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 」  Ⅰコリント 9:25

 

「 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、

私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって

走り続けようではありませんか。」             ヘブル 12:1    

 

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