「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」
Ⅰコリント 8章 3節
まず知っておきたいことは
神を知るのではなく、神に知られているとあります。愛するご自分の子どもとして、知られていることを。
少しおませな子、少しおくての子、少しヤンチャな子、少し消極的な子、突走てしまう子、賢い子、楽しい子、愉快な子、
できる子もできない子も、み~んな、私の子。
でも、私としては少しもどかしく思うと神は言われる。
子たちよ、何故、私の前に出るのに、取り繕っている、何故、構えて私の前に来てまで、善い子ぶるのでしょう。
こんなにも、私はお前たちを愛しているのに。さあ、そのままでいいからその笑顔を私に、見せておくれ。
愛するすべての子達へ 天の父より
まず神が私を愛された、私が神を愛したからではなく、私の良い所だけを見られたのでもなく、善い所も悪い所もすべて知ったうえで、私を招いてくださっています。
いや、私だけではなく、この記事に目を留められたあなたも神はそのままで良いから来なさいと招いておられます。
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