「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、
その行いの実によって報いをするためである。」
エレミヤ 17章 10節
神が人を見る視点は顔かたちや、はでなパフォーマンスではなく、外に現れた現象に囚われず心深くに隠れた動機を探られます。
また、様々な試練を通して私たちの思いを知ろうとなさるのです。
ある意味で怖い話ですが、神に真実に従い、赤裸々に自分をさらけ出しているなら、
なにも恐れることはいりません。神は私たちを知り尽くしてそれぞれに応えてくださるのです。
ダビデはこう祈っています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」
そして彼は続けて、「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
傷ついた道を知らされることによって、初めてとこしえの道を歩むことができるのです。
私たちが自分の邪悪さを知ることによって初めて、本当に神の憐れみにすがり、
キリストの十字架のところに走っていくことができます。
人間には自分の心を知ることはできませんが、主は知っておられます。以下神の約束です。
詩篇 139 編 23~24節
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
1歴代28:9
「主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。」
箴言17:3
「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」
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