マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

くびき

2020年06月19日 | キリスト教

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、

       わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
        

                       マタイ 11章 29節

 

この当時のガリラヤで使われていた「くびき」とは、二頭の牛に農具をひかせるための道具でした。

二頭の牛がしっかりとくびきとくびきに繋がれて働くのと同様に、イエスのくびきには、

私たちの重荷に苦しむものがしっかりと結び付けられ、力を合わせて重荷を引きずっていくことになります。

そのために私たちの重荷は軽いものとされ、再び編み続ける力を取り戻すこともできるのです。

イエスはさまざまな重荷にあえぐ私たちを招き、十字架の死によって、私たちの重荷を引き受け、

重荷から解放してくださっていることを心にとめ、歩んで行きたいものです。

 


「わたしのくびき」とは、イエスがこしらえたくびきであり、イエスがあなたのために立てられた計画の

ことをさしています。したがって、「わたしのくびきを負いなさい。」と言うのは、

イエスの支配にゆだねなさい、という事です。私たちは、聖書を読んで、知識を蓄えればイエスのことを

知ることができると勘違いをしてしまいますが、

イエスに従わなければこの方を知ることはできません。そして、イエスのくびきは、

「負いやすく、私には軽いからです。」とあります。使徒ヨハネも、「神を愛する事は、神の命令を守ることです。

その命令は重荷とはなりません。(1ヨハネ5:3)」と言いました。

ですから、イエスに自分を奉げることは、実はとても楽なことなのです。

 

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