「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
マタイ 11章 29節
この当時のガリラヤで使われていた「くびき」とは、二頭の牛に農具をひかせるための道具でした。
二頭の牛がしっかりとくびきとくびきに繋がれて働くのと同様に、イエスのくびきには、
私たちの重荷に苦しむものがしっかりと結び付けられ、力を合わせて重荷を引きずっていくことになります。
そのために私たちの重荷は軽いものとされ、再び編み続ける力を取り戻すこともできるのです。
イエスはさまざまな重荷にあえぐ私たちを招き、十字架の死によって、私たちの重荷を引き受け、
重荷から解放してくださっていることを心にとめ、歩んで行きたいものです。
「わたしのくびき」とは、イエスがこしらえたくびきであり、イエスがあなたのために立てられた計画の
ことをさしています。したがって、「わたしのくびきを負いなさい。」と言うのは、
イエスの支配にゆだねなさい、という事です。私たちは、聖書を読んで、知識を蓄えればイエスのことを
知ることができると勘違いをしてしまいますが、
イエスに従わなければこの方を知ることはできません。そして、イエスのくびきは、
「負いやすく、私には軽いからです。」とあります。使徒ヨハネも、「神を愛する事は、神の命令を守ることです。
その命令は重荷とはなりません。(1ヨハネ5:3)」と言いました。
ですから、イエスに自分を奉げることは、実はとても楽なことなのです。