「 神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。」
詩編 60編 14節
神に任せきり、神と共に歩むとき、私にだって力ある働きができるのです。
それでは「力ある働き」とはどんな働きでしょうか。
第一に、エネルギーに満ちた、生き生きとした働きではないでしょうか。
朝ごとに、神から、愛や慰めや励まし、いのちの力を頂いて目を輝かせて働くのです。
第二に、世間の言う大事業、大成功とは違うかもしれませんが、人の役に立つ、
神に喜んでいただける、永遠につながる価値のある働きではないでしょうか。
神の目から見る偉大さと、人間の考える偉大さは何と違う事でしょう。
イエス・キリストは偉大な者になろうと思うなら、仕える者になりなさいと言われました。
私たちは、神を信じることによって、神に祈ることによって、また神を愛し、神に従うことによって、
「力ある働き」ができるのです。
神は、私たちに神に依存することを学ばせるためにさまざまな窮地へと陥れるようです。
ダビデも王になる前も、王となってからもこのことを学ばされました。信仰の歩みには卒業はありません。
イエス様は言われました。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
このくらいのことだったら自分にもできる、と思ってしまうことが私たちには無いでしょうか。
また、パウロの書簡には、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」とあります。
自分で勝手にできないと思い込んで、主のみこころを求めるのを止めてしまうことはないでしょうか。
神によって、力ある働きをすることができます。頑張りの世界ではなかなか弱音を吐くことができません。
しかし、神の世界においては、自分の弱さを知り、認めることによってはじめて神が働かれる世界です。