マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

善を行ないなさい

2017年08月04日 | キリスト教

 

「そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

                                               ルカ 23章 34節

イエスの三十三年間は何一つ悪いことをしない生涯でした。ピラトは何一つとして罪を見出すことができませんでした。

にもかかわらず十字架につけよと叫ぶ群衆と十字架上のキリストとは「父よ、彼らをお赦しください」という、

執り成しの祈りによって神の愛と罪人の関係が生まれてきます。イザヤ53章12節にある。

「…… 。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」 主イエスは自分との利害関係のない

人のために十字架にかかり全ての人のために祈られたのです。

しかし多くの人たちはこの主の祈りに対して、無頓着となり自分本位の祈りに陥っているのです。

また、この祈りは、ルカ 6章27節で語られた「…… 、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。

あなたを憎む者に善を行ないなさい。」 とみ言葉を実践をされたのです。

相手のために「よかれと思ったことが却って悪い結果になる」こともありますが。それを拭い去ることは誰もできません。

イエスの十字架の死と、執り成しの祈りによって私たちは全て赦されるのです。

この十字架上の犯人はイエスの横に並んで今まさに生涯を終えようとしていました、

彼にとって本当にラスト・チャンスでした。主イエスはこの罪人の罪すら死によって償われたのです。

キリストの赦しには、同じ罪を二度と繰り返さない努力、人を許して受け入れようとする意志を生み出す力があります。

 

 

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