マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

愛の眼差し

2017年07月14日 | キリスト教

「主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」

 と言われた主のおことばを思い出した。」      ルカ 22章 61節

 

イエス・キリストが徹夜の裁判を受けたときに、弟子の筆頭と言われているペテロとはどんな人であったのでしょうか。

ペテロがイエスなんか知らないと三度も否認した場面です。人は自分の身に危険を感じますと、

やはり自分を守るためにどんな嘘も、どんな拒絶も、どんな裏切りもすると言うことをまざまざと見せつけられました。

しかし、ペテロはそのことを知っておられたイエスの目と視線が合ったとき本当に激しく泣きました。

ペテロは知らなかったのです。自分の力で、自分の思いがどれだけ空しいものかを。

「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、 」出エジプト34:6 

主イエスがこの恵みに富んだ神であることを知り、その神に本当に出会って全てを委ねることの大切さを。

当のイエスは愛する弟子たちからも裏切られながら、愛の眼差しを持ってペテロを眺められたイエス、

人間関係の全ての裏切りをその身に受けて、十字架に向かわれたイエスを覚えて、

主を裏切ることのない生き方をしていきたいと思う。


Ⅱコリント 7:9 ~10

「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。

あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」

 

 

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