マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

戒めとして

2015年06月19日 | 日記

 

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。

わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

                                                            ヨハネ 13章 34節

私たちはしばしば、おそらく無意識に、愛から何が得られるかを考えてしまう。私たちはそこから受ける幸福やスリルのことを考える

また、もしこの愛が破れ、拒稀るときに、そこから私たちが受ける空虚さや孤独のことを考えるので、

この愛が私に何をしてくれるのだろうとおもう。神の愛と私たちの愛の違いなんと違うことでしょう。しかしこの命令は、

イエス・キリストを通して示された神の愛に基礎づけられています。それはイエスの弟子としての特権でもあり、恵みでもあります。

物事を確信することは、救いの力だと言われています。レーナ・マリアもヘレン・ケラーも、この世で生きていくことは

不可能であったかもしれません。しかし、神の救いを信じていました。信じてきた人には、必ず救いがあります。

キリストの愛は、永遠に確信を持たせ、信じさせることです。信じることなくしては、上からの助けも、救いもありません。

イエスは、ご自身が死んで証しするためにこの世に来ました。また、永遠のいのちを与えるために生まれて、

この世に来た。と言われました。あらゆる宗教を信じる人々には、その救いの度合いは異なるかもしれませんが、

必ず救いがあります。確信を持って、その信ずるところに立ち続けて欲しい。

聖書から

「 そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、

初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。

  愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、

 あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。 」

                                      Ⅱヨハネ 1:5 ~6

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