マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

待っている神

2015年06月12日 | 日記

「 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 」

                                      ルカの福音書 15章 19節

「 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」                                            同 17~18

人生にはいくつかの転機があります。その中のあるものは、苦痛を伴うものであります、しかし、人間とは、すぐに心が高ぶる生き物なので、祖と言うことがないと自分の本当の醜さを気づかないでいます。何処から自分が転落したか分からない、自分勝手な生き方が自由な生き方であると思い込んでいる人たちがいつの世にも多くいるのです。それは、神を神としないところから来ています。だから彼は、「天に対して罪を犯」したと言っています。

さて、ここに二人の息子がいました。弟の方は、父が存命中であるのに、財産の分け前が欲しいと申し出ます。中東では、父は死ぬかその権利を放棄するまで、その財産を管理することになっていました。弟は、父に早く死んで欲しいと言っているのと同じです。財産をもらった弟は、遠くへ行き放蕩の限りを尽くし、やがて飢え死にする寸前まで追い詰められます。しかし、この弟は光をみました。お父さんに謝ろう、と思ったのです。もう息子の資格はないから雇人の一人にしてもらおう、そこまで自分の罪を深く自覚したのです。

父親は、遠くに息子が見えたとき、走り寄ったのです。中東では、老人は走らないそうです。その老人が走ったのですから、お父さんの喜びはどんなに大きかったことでしょう。天の父も、私たちが自分の罪を悔い改める時、走り寄り赦して下さいます。罪は全く赦され、新しい出発を始めることができるのです。 

 

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