北足立9条の会による戦跡ツアーが実施され、東京大空襲・戦災資料センターと第5福竜丸展示館を見学してきました。参加者は大型バスで46名でした。
小学生が郊外学習で来ていました。第五福竜丸の学芸員の説明はわかりやすく授業のように集中して聞いていました。
第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験に遭遇し、船員23名は全員被曝した。実験当時、米国が設定した危険水域の外で操業していたが、放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、危険区域で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被曝者は2万人を越えるとみられている。無線長の久保山愛吉さんは半年後に亡くなった。
マーシャル諸島のビキニ環礁付近の地図と水爆実験の被害地図
被曝した船体は、政府が引き取った後、東京水産大(現東京海洋大)が練習船として活用したが、67年に廃船となり、江東区の埋め立て地、夢の島湾岸に放置された。「原水爆被害を伝える平和遺産として保存しよう」と、保存運動が全国に広がり、76年、東京都は第五福竜丸展示館を開設しました。
小学生が郊外学習で来ていました。第五福竜丸の学芸員の説明はわかりやすく授業のように集中して聞いていました。
第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験に遭遇し、船員23名は全員被曝した。実験当時、米国が設定した危険水域の外で操業していたが、放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、危険区域で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被曝者は2万人を越えるとみられている。無線長の久保山愛吉さんは半年後に亡くなった。
マーシャル諸島のビキニ環礁付近の地図と水爆実験の被害地図
被曝した船体は、政府が引き取った後、東京水産大(現東京海洋大)が練習船として活用したが、67年に廃船となり、江東区の埋め立て地、夢の島湾岸に放置された。「原水爆被害を伝える平和遺産として保存しよう」と、保存運動が全国に広がり、76年、東京都は第五福竜丸展示館を開設しました。