”Sing Sung Saing”by Peggy Honeywell
近付いているという台風のせいだろうか、海沿いの国道は風が出ていて、ときおり霧雨が降りかかる。ヨットハーバーからは波に揺れる各艇の装具が触れ合ってカチカチと鳴る音が聴こえている。そして自分は海沿いのコンビニに買いものに来ているのだった。もはや気候は冬と変わらず、毎週のように花火大会が行われ観光客でごった返した海岸通りはその面影もない。ただうら寂しい街路灯の光の下で、シンと静まり返っているのだった。
さっきテレビの番組にエイベックスの社長と言う人物が出ていた。彼は言っていた、CDなどという時代遅れの商品に、今日を生きる企業はいちいちかまっていられないのだ、との持説を。
そうじゃないだろ、話が逆だろ、と思う。CDをプレスし、それを収めるプラケースを成型し、それを包むジャケを製作する。商品製作にそんな手間をかけるより、”ダウンロード”するシステムを置いておけば消費者は勝手にそこで自ら商品を製作し、代金をおいて行く。企業にとってそっちの方が断然、商売はおいしいものな。
だから君ら企業は消費者に、「ダウンロードの方がナウくてカッコいい」とする価値観を吹き込み、そして、とうの昔にいいなりになるのにすっかり慣れきっている消費者は、「それもそうかと思うげな(by添田唖蝉坊)」と言うわけで、「ダウンロード以外、考えられないね。なに、いまだにCDとか買っている人がいるの?信じられない」と大喜びで言うようになる、という作業工程だ。
買い物から帰ってぼんやりテレビを見ていた。「世界の車窓から」とかいう、数分の帯番組。映像のバックに女性の歌うフォークっぽい音楽が流れていて、それに妙に耳に引っかかる。
ほぼギター弾き語りみたいなシンプルなサウンドに乗せて、シロウトくさいか細い声で、彼女は歌っていた。ある意味素朴な、ある意味シュールな、みたいな、シンプルなくせしてどこか一癖ある独特のメロディが、歩き方を覚えたばかりの赤ん坊みたいなペースでユラユラと空間を渡って行く。
なぜか子供の頃見た冬の朝の光景が浮んだ。小学校の登校風景。差し入る朝日に皆の息が白く、水溜りに張った薄い氷を踏み破り、嬌声を挙げていた。
あれ、この歌、なんだか良くないか?と半身を起こすのに時間はかからなかった。さっそく歌手名を調べ、資料を探してみる。アメリカのシンガー・ソングライターのようだ。
Peggy Honeywellという名で歌手活動をしているが、別の名で画家稼業も行なっているそうな。そちらが本職なのかも知れない。CDのジャケも自分で描いている。なんだか北国版のアンリ・ルソーみたいな素朴画で、これもよい感じだ。これだけでもファンになる価値がある気がする。
が、残念なことに現在、彼女のアルバムはすべて絶版のようで、どこの通販サイトをあたっても購入不能である。新譜というのもないようで、もう歌手活動はしていないのだろうか?これは、いずれ再評価の時(あるはずである。その価値はある)を待つしかないのかも知れないが、くそう、じれったいなあ。欲しいよう、Peggy Honeywellのアルバムが。
まあ、もう少し、どこかで売れ残っていないか探してみようと思ってるんだけどね、どうしても”盤”が欲しい私としては。ねえ、どこぞの社長さんよ。
近付いているという台風のせいだろうか、海沿いの国道は風が出ていて、ときおり霧雨が降りかかる。ヨットハーバーからは波に揺れる各艇の装具が触れ合ってカチカチと鳴る音が聴こえている。そして自分は海沿いのコンビニに買いものに来ているのだった。もはや気候は冬と変わらず、毎週のように花火大会が行われ観光客でごった返した海岸通りはその面影もない。ただうら寂しい街路灯の光の下で、シンと静まり返っているのだった。
さっきテレビの番組にエイベックスの社長と言う人物が出ていた。彼は言っていた、CDなどという時代遅れの商品に、今日を生きる企業はいちいちかまっていられないのだ、との持説を。
そうじゃないだろ、話が逆だろ、と思う。CDをプレスし、それを収めるプラケースを成型し、それを包むジャケを製作する。商品製作にそんな手間をかけるより、”ダウンロード”するシステムを置いておけば消費者は勝手にそこで自ら商品を製作し、代金をおいて行く。企業にとってそっちの方が断然、商売はおいしいものな。
だから君ら企業は消費者に、「ダウンロードの方がナウくてカッコいい」とする価値観を吹き込み、そして、とうの昔にいいなりになるのにすっかり慣れきっている消費者は、「それもそうかと思うげな(by添田唖蝉坊)」と言うわけで、「ダウンロード以外、考えられないね。なに、いまだにCDとか買っている人がいるの?信じられない」と大喜びで言うようになる、という作業工程だ。
買い物から帰ってぼんやりテレビを見ていた。「世界の車窓から」とかいう、数分の帯番組。映像のバックに女性の歌うフォークっぽい音楽が流れていて、それに妙に耳に引っかかる。
ほぼギター弾き語りみたいなシンプルなサウンドに乗せて、シロウトくさいか細い声で、彼女は歌っていた。ある意味素朴な、ある意味シュールな、みたいな、シンプルなくせしてどこか一癖ある独特のメロディが、歩き方を覚えたばかりの赤ん坊みたいなペースでユラユラと空間を渡って行く。
なぜか子供の頃見た冬の朝の光景が浮んだ。小学校の登校風景。差し入る朝日に皆の息が白く、水溜りに張った薄い氷を踏み破り、嬌声を挙げていた。
あれ、この歌、なんだか良くないか?と半身を起こすのに時間はかからなかった。さっそく歌手名を調べ、資料を探してみる。アメリカのシンガー・ソングライターのようだ。
Peggy Honeywellという名で歌手活動をしているが、別の名で画家稼業も行なっているそうな。そちらが本職なのかも知れない。CDのジャケも自分で描いている。なんだか北国版のアンリ・ルソーみたいな素朴画で、これもよい感じだ。これだけでもファンになる価値がある気がする。
が、残念なことに現在、彼女のアルバムはすべて絶版のようで、どこの通販サイトをあたっても購入不能である。新譜というのもないようで、もう歌手活動はしていないのだろうか?これは、いずれ再評価の時(あるはずである。その価値はある)を待つしかないのかも知れないが、くそう、じれったいなあ。欲しいよう、Peggy Honeywellのアルバムが。
まあ、もう少し、どこかで売れ残っていないか探してみようと思ってるんだけどね、どうしても”盤”が欲しい私としては。ねえ、どこぞの社長さんよ。