ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

金星の雨の夜

2010-10-04 04:55:59 | アンビエント、その他
 ”Moondawn”by Klaus Schulze

 夕食を終え、テレビを横目で見ながら寝そべっているうちに寝込んでしまい、目が覚めたら夜中だった。まあ、私にはよくあるパターンなのだが。Tシャツだけで寝そべっていたので肌寒く、慌ててジャージなど着込んでみたのだが、鼻がグシュグシュしていて、風邪を引いたのかもしれない。悪化せぬ事を祈るのみ。
 とりあえず起き出してみたのだが特にやることもなし。気が付けば雨が降っていた。明けて明日も降り続くのだろうか。明日の午後、ブックオフへ売り払う本の山を引き取りに宅急便がやってくる手はずになっているので、なんとか止んで欲しいのだが。降り続いていた場合は宅急便の担当者のプロ根性に期待するよりない。

 などとぼんやり考える間も雨は降り続いている。こんな風にただ雨音を数えるばかりで時が過ぎて行く状態を、私は「ああ、金星の夜が来たなあ」とか思ったりする。こんな話を分かってくれるのは私と同年代のSFファンくらいなのだが。
 私がSF読み盛りのチューボーの頃、金星を”水で覆われた星”と想定したSF小説に何冊も出会っている。そのすべてが子供向けに訳された外国のSF作品だったのだが、執筆年代はいつ頃だったのだろう。ともかくその頃の天文知識ではそのように考えられていたようだ。厚い雲に覆われた星ゆえ、その下は常に雨が降っているのだろう、なんて安易な空想から、それらの小説は舞台設定がなされていた。

 惑星まるごとが大海に覆われた星。その海の上にも終わりのない雨が降り注ぐ。それが金星。地球からやって来た人々は、その海に浮べた巨大な居住ステーションで生活をしている。そんな想定で、どんな事件が起こるのかはもう忘れてしまったが、水に覆われた惑星に休みなく降り続く雨の描写だけが記憶に残っている。
 こんな夜は感覚鋭敏というか過剰気味のミュージシャンが一人でスタジオに篭り、延々と時間をかけて多重録音で編み上げたシンセサイザー音楽の浮世離れた世界に耳を傾けるのも一興だろう。

 と言うわけで取り出した、ドイツのロック寄り電子音楽の開拓者、クラウス・シュルツェの、名盤と名高い1976年度作品である。
 シンシンと降り注ぐシークエンサーの雨、硬質な電子音の幻想。執拗に繰り返されるリズム・パターンやメロディの断片反復の狭間を縫って駆け抜けて行く信号音。不吉な暗雲のように湧き上がり、天を覆う効果音の響き。
 陰湿な思いに塞がれた夜は、思い切り陰湿な音楽にずぶ濡れとなり、水の星・金星で過ごした日々の思い出に浸るに限る。
 電子音楽の作者数あれど、このシェルツェの70年代作品が私には一番肌に合う気がする。その音に含まれる刺激度、リズム感覚など、もたらされる酩酊度の深さは他と比べものにならない。

 ところで、私の買ってしまったシュルツェの70年代作品のCD化盤のほとんどは、”ノイズ、音飛び、音割れ、音のバランス異常”が多発していると悪名高いドイツSPVから出た”リマスター盤”のシリーズがほとんどなのであって。これはなかなか苦しい。
 そんな悪評はすでに買ってしまってから知ったのだが、もちろん気持ちは良くない。この時代、そんなものは即回収され正常盤と差し替えられそうなものだが、そうなってもいないとは、何かね?
 くそ、ほんとにひどい状態だったら交換を要求しようか、などと消費者運動の炎を掻き立てつつ聴いたのだが、とぼけたことに私の耳には、このCDに特に問題と思える箇所は今のところ聴き取れないのだった。

 まあ、オーディオ趣味まったく無しの私が安物のCDラジカセで聴いているのだから、しかも異様な音の連発であるシュルツェ作品なのだから、異常があっても気が付かなくても不思議はない、という話もあるのだが。
 これは実に中途半端な気分で、これぞ金星の夜の醍醐味である。