☆ビートルズとアメリカ・ロック史(フォーク・ロックの時代)
中山康樹・著 河出書房新社
先日、ジョン・レノン分析本(?)が面白かった中山康樹の著作が、市の図書館に何冊か置いてあったので、借りてみた。その一冊。
これは、1960年代の半ば、ビートルズをはじめとするイギリス勢にヒットチャートを”乗っ取られた”形勢のアメリカン・ポップス界が、フォークロックなる新しいサウンドをもって反攻に出た、そんな時代を検証した作品である。
フォークロックの嚆矢となったバーズの”ミスター・タンブリンマン”がどのような成り行きで出来上がったか、ボブ・ディランの”ライク・ア・ローリングストーン”でアル・クーパーはいかにしてオルガン奏者の席にもぐりこんだか、などなどを著者は、きわめて綿密に事実を追い、伝説に分け入り、どのような経緯で”フォークロックの時代”の真相に迫る。
何しろこちらはそんなシーンの進行を駆け出しの洋楽ファンとして、ラジオのヒットパレード番組を追いかけ、あるいはなけなしの百円玉数枚を握り締めてレコード店に走りなどして、まあこちらの気持ちとしてはきっちり並走しつつ見届けたわけだから、当時のヒット曲一曲一曲の裏側にどのようなドラマが展開されていたかを知るのは、非常にエキサイティングな思いだった。
著者の、まあ妥協を許さず、実証を求めてしつこく記録を穿り返す姿勢には感嘆するやら辟易するやら(?)そして、こちらがロック雑誌などで見知っていた表の歴史とは若干様相を異にするフォークロックの時代の真の姿が全貌を現す。これが面白い、面白い。
(輝かしき夏の思い出・・・それにしてもバリー・マクガイアは可哀相な奴だ。ママス&パパスの”カリフォルニア・ドリーミン”のヒットの影で、こんなひどい目にあっていたとはなあ。そういえばママス&パパスのジョン・フィリップスって、すごく鋭い奴なのかと思っていたんだけど、その実態はただの時代遅れのフォーク野郎だったんだ。デビッド・クロスビーはともかく自分勝手な奴で、こんな奴とは一緒にバンドは出来ないなあ。とはいえ、もしかしたら青春時代の自分は、周囲から見たらこんな奴だったかも知れん)
・・・などと青春時代の思い出に酔っていたのだが、終盤、”フォークロックの時代”のあっけないエンディングに唖然とする。バーズが”ミスター・タンブリンマン”をレコーディングし、フォークロックの歴史が始まるのが1965年の春、というか初夏の頃であり、そして1967年にはすでにフォークロックそのものに秋風が吹きかけていたのだ。そうか、2年足らずの命だったのか。
その波に便乗すれば一山当てられた時代はあっという間に過ぎ去り、フォークロックはすでに古臭い音楽と目されるようになっていた。67年にはもう、ヒットチャートからその種の音楽は姿を消している。音楽ファンの関心は、ジェファーソン・エアプレインやドアーズ、ジミ・ヘンドリックスといった、次の時代のヒーローに移っていた。
ロックの3大フェスティバルにかけて、「モンタレーは結婚、ウッドストックは離婚、オルタモントは葬儀」なんて言葉が引用されている。幸福な時代は、実は本当にあっけなくこの卑しい地上を去って行ったのだ。ウッドストックが”離婚”?あれからすべてが始まった、と信じ込んだ時代もあったのだったが。
そしてまた思い出されるのが、鈴木いずみのあの言葉。「皆は1969年をすべての始まりの年と思っているが、本当はあの年、すべてが終わったのだ」と。
中山康樹・著 河出書房新社
先日、ジョン・レノン分析本(?)が面白かった中山康樹の著作が、市の図書館に何冊か置いてあったので、借りてみた。その一冊。
これは、1960年代の半ば、ビートルズをはじめとするイギリス勢にヒットチャートを”乗っ取られた”形勢のアメリカン・ポップス界が、フォークロックなる新しいサウンドをもって反攻に出た、そんな時代を検証した作品である。
フォークロックの嚆矢となったバーズの”ミスター・タンブリンマン”がどのような成り行きで出来上がったか、ボブ・ディランの”ライク・ア・ローリングストーン”でアル・クーパーはいかにしてオルガン奏者の席にもぐりこんだか、などなどを著者は、きわめて綿密に事実を追い、伝説に分け入り、どのような経緯で”フォークロックの時代”の真相に迫る。
何しろこちらはそんなシーンの進行を駆け出しの洋楽ファンとして、ラジオのヒットパレード番組を追いかけ、あるいはなけなしの百円玉数枚を握り締めてレコード店に走りなどして、まあこちらの気持ちとしてはきっちり並走しつつ見届けたわけだから、当時のヒット曲一曲一曲の裏側にどのようなドラマが展開されていたかを知るのは、非常にエキサイティングな思いだった。
著者の、まあ妥協を許さず、実証を求めてしつこく記録を穿り返す姿勢には感嘆するやら辟易するやら(?)そして、こちらがロック雑誌などで見知っていた表の歴史とは若干様相を異にするフォークロックの時代の真の姿が全貌を現す。これが面白い、面白い。
(輝かしき夏の思い出・・・それにしてもバリー・マクガイアは可哀相な奴だ。ママス&パパスの”カリフォルニア・ドリーミン”のヒットの影で、こんなひどい目にあっていたとはなあ。そういえばママス&パパスのジョン・フィリップスって、すごく鋭い奴なのかと思っていたんだけど、その実態はただの時代遅れのフォーク野郎だったんだ。デビッド・クロスビーはともかく自分勝手な奴で、こんな奴とは一緒にバンドは出来ないなあ。とはいえ、もしかしたら青春時代の自分は、周囲から見たらこんな奴だったかも知れん)
・・・などと青春時代の思い出に酔っていたのだが、終盤、”フォークロックの時代”のあっけないエンディングに唖然とする。バーズが”ミスター・タンブリンマン”をレコーディングし、フォークロックの歴史が始まるのが1965年の春、というか初夏の頃であり、そして1967年にはすでにフォークロックそのものに秋風が吹きかけていたのだ。そうか、2年足らずの命だったのか。
その波に便乗すれば一山当てられた時代はあっという間に過ぎ去り、フォークロックはすでに古臭い音楽と目されるようになっていた。67年にはもう、ヒットチャートからその種の音楽は姿を消している。音楽ファンの関心は、ジェファーソン・エアプレインやドアーズ、ジミ・ヘンドリックスといった、次の時代のヒーローに移っていた。
ロックの3大フェスティバルにかけて、「モンタレーは結婚、ウッドストックは離婚、オルタモントは葬儀」なんて言葉が引用されている。幸福な時代は、実は本当にあっけなくこの卑しい地上を去って行ったのだ。ウッドストックが”離婚”?あれからすべてが始まった、と信じ込んだ時代もあったのだったが。
そしてまた思い出されるのが、鈴木いずみのあの言葉。「皆は1969年をすべての始まりの年と思っているが、本当はあの年、すべてが終わったのだ」と。