ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

南洋中華仏前ポップス

2010-10-26 01:18:45 | アジア


 ”Voice of Peace and Purity”by Callie Chua

 マレー半島在留華人の、と言いますか、私が勝手に作った呼称を使えば、”南洋中華街ポップス”の歌い手でありますカリー・チュア(蔡可荔)が新譜を出しました。またも仏教歌集であります。
 もともとは彼女、中国民歌やら日本のナツメロ演歌やら洋物ポップスやらのゴタマゼ世界を中国人の好きなチャチャチャのリズムに乗せて陽気に弾ける、いかにも赤道近くの中華の屋台から流れて来るに似合いの王道B級ポップスを聴かせてくれるイカしたお姐さんだったんですが、この数年、すっかり宗教付いて、仏教歌といいますか、御仏の教えを褒め称えるための歌ばかりを歌うようになってしまっています。
 仏教歌、まあ概要としては、お経の文句にフォークロック調の美しいメロディをつけ、敬虔に歌い上げる、という感じなんですが。

 これの機能する世界の実際がどのようなものか分からないんですが、昔はよくソウルシンガーが人気の絶頂で引退を表明して「私は神に奉仕する道を選ぶ」とか宣言してゴスペルシンガーになってしまうとかありました、あんな感じなんですかね?
 ともかく、カリー・チュアは仏門歌手となってしまった。どうも中華世界にはジャンルとしての仏教歌というものが存在しているようで、彼女以外にも何人もの歌手が御仏の教えを歌ったアルバムを発表しています。その中にはディスコアレンジがなされた般若心経、などという私らの感覚で言えば言語道断な代物も含まれており、その世界の全体像、これまた想像を絶します。
 まあ、文化を異にするこちらとしては唖然として見ているしかないんですが、この音楽、もともと宗教そのものには興味がないくせに宗教歌には惹かれる変な感性を持っている私などにとっては、なかなかにおいしい代物でありまして、その過剰な線香臭さには目を瞑りつつ、「う~癒される・・・」などとウワゴトを。

 それにしてもカリー・チュア、ジャケ写真など見ますとますます本気、といったところで、これまでの仏教歌アルバムのジャケではまだまだ”クラブで歌っているお姉さんが地味目の化粧をしてしおらしく蓮の葉の間に佇んでいる、なんて意匠だったんですが、今度の彼女はそれどころではないぞ。
 芸能人らしいドレスはきっぱり脱ぎ捨てまして白一色の簡素なもの一枚を羽織り、髪は短くして後ろに束ね、化粧もますます地味になっています。顔の表情もいかにも信仰に生きる人のものとなり、こりゃ仏教歌を本気で歌っているのはもちろん、日常生活も完全に”信徒”のそれに移行してしまったのではないかと思わざるを得ません。
 音楽の方も、これまでのプロの歌手っぽい技巧は捨て去った感じで、ただ素直に御仏の教えを褒め称える気持ちだけが表れた、木綿の手触りとでも言いましょうか、質素な美しさが溢れるものとなりました。う~ん彼女、行くところまでいっちゃったかなあ・・・

 ああ、この音楽にどこまで付き合って行けるか、私にも分からない。と言うか、世俗のポップスを歌っていた頃のカリー・チュアが結構良い女だっただけに、なんかもったいないような痛々しいようなものを感じてしまうのですな。何がきっかけでこのような歌の世界に飛び込んでしまったのかしらないけどさ。なんて感想も、俗世の穢れた価値観に過ぎないんだろうなあ。
 それにしても。ラストで歌われている、これはカリー・チュアの父祖の地である福建の民歌なんですかね、彼女にとっては歌い馴染んだ曲なんではないでしょうか、”不老歌”って曲。この曲で彼女は、他の収録曲のようにストイックな表情ではなく、ホッコリと春の花がほころんだみたいな明るい歌唱を見せてくれ、何だかすっかり救われたみたいな気持ちになったものです。うん、この歌は普通に大好きだ。微笑を含んだ彼女の歌い口を聴いていると、彼女がそれで幸せならそれでいいじゃないか、なんて気持ちにもなって来たのでした。

 このアルバムの収録曲はまだ、You-tubeには上がってきていないので、下には以前のアルバムからの曲を貼ります。まあ、仏教歌とはこんな感じのもの、と分かっていただければ。この歌は中国民歌調ですが、全体としてはもっと洋楽フォークっぽいものも多いです。