ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

懐かしき寝汗の記憶

2010-10-10 02:51:42 | フリーフォーク女子部
 ”萬花鏡”by 佐井好子

 なぜかプログレ・ファンの一部からひそかに注目を集めていたりする女性シンガーソングライターの70年代作品。何となく興味を惹かれて聴いてみたんだけど、いやともかく1975年なんて時点で、こんな濃厚な異世界フォーク(?)がひっそりと作り歌われていたなんて、非常に不思議な気がする。
 エキゾティック&エロティック&ファンタジックな少女漫画調の、歌手本人の手になるイラストが飾られたジャケに包まれた歌世界は、夜の精がうろつき、地下道の壁にクレヨンで描かれた空に風が渡り、逢魔ヶ時に紅の花が血を流し、サーカス団の酔いどれ芝居に降って来るのは血まみれの緑色なのである。

 そんな懐かしい悪夢とでも呼びたい時の止まったような幻想世界が、オールドジャズっぽいブルーズィでレイジーな、そして時おり、幼い日の記憶の中から聴こえてくるような子供の遊び歌調にもなる物憂いメロディによって歌い上げられて行く。
 展開されているのはかなり奇矯な世界であるのだが、歌手の歌に向う姿勢はじっくりと腰を落とした冷静なもので、エキセントリックな叫びになることない。子供の頃に病床で熱に浮かされて見た幻を静かに振り返る、そんな語り口である。

 資料によれば歌手は大学に入ったばかりの頃、重い病で療養生活を余儀なくされ、その際に心の慰めとなった夢野久作、小栗虫太郎、久米十蘭などの小説の影響下に書き下ろしたのが、このアルバムで聴かれる諸作品なのだそうな。
 療養生活という自分の生体反応とじかに向き合うような日々において、癒しとして幻想小説の世界に心を預ける事。そのような特殊な環境が、このような不思議な地に足の付き方をした虚構の世界の成立を可能としたのか。などと想像してみるのだが。

 唯一無二な懐かしき悪夢の余韻と、その記述。目覚めてホッと溜息をつき寝汗を拭えば、遠くの山際に忍び寄る、仄かな朝焼けの気配。