ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

香港暮色

2010-10-15 02:27:37 | アジア

 ”TEN TALES OF LOVE”by Liang Yurong

 もう何度もした話ですが、香港が99年間の租借期間を終えて、イギリス政府から北京政府に”返還”される前の何年間か、香港のポップスを夢中になって聴いていました。
 「”借り物の時間”はもうすぐ過ぎ去り、この夜の闇に浮ぶ宝石のような奇蹟の輝きに満ちた香港の街は、我々の都市は、その夢物語は、過酷な現実の前に消え去ってしまうだろう」・・・そんな香港市民の焦燥感が、香港から届けられる、ある種刹那的な響きのかの地独特のポップスの中で悶え踊っているように思え、連日、取り付かれたようにCDを廻したものです。
 まあ、お前の勝手な思い入れだろうと言われればそれまでですが、しかし、その時期の香港ポップスに一種独特の熱が宿っていたのも、確かな話なのです。

 そして返還の日は容赦なくやって来た。その頃になって中国人としての愛国心を強調した曲をリリース、なにをいまさらの人民服を着て歌ってみたり、なにかと北京政府におもねるような姿勢が目立ってきた香港ポップス界に私はなんだかガッカリしたといいますか、急に憑き物が落ちたように関心を失ってしまった。
 返還後も香港の歌手たちは生きて行かねばならない、そのための彼らなりの努力をする権利は彼らに当然あるんで、私が文句を言う筋合いじゃないんですがね、これも。でもそんな訳で私は”返還”後、香港のポップスにはまるで興味を失ったまま今日に至っている次第で。

 さて。これは”返還後”なんて言い方ももはや意味ないくらい時が過ぎてしまった香港で2003年に製作された、広東省曲芸家協会副主席とか国家一級演員なんて物々しい肩書きを持つ女性歌手の梁玉榮女史のアルバムであります。
 どうやら中国人民の魂の安らぎともなるべく作られた、ホームソング集とでもいうんですかね、そんな意図のうかがえる作りのアルバムです。弦楽四重奏やらアコースティック・ギターやらの響きを生かした安らぎに満ちたサウンドにのって、しみじみとした手触りの落ち着いた曲調のメロディばかりが歌われて行きます。
 梁玉榮女史の歌いぶりは、なにやらクラシック調にかしこまった、いかにも昔ながらの共産圏の政府お墨付きの歌手、といった感じで、ヤクザなノリの広東語ポップスに馴染んで来た私には異様に感じられる。いや、一般のポップスは昔ながらの作りでしょうけど、その一方でこんなアルバムも出るようになった、ということでしょう。

 ところで、中国人民の魂の故郷と言ったって、収められている曲の半分くらいは中島みゆきや五輪真弓の手になる日本産の曲なんですが。もう、2曲目がいきなり谷村新二の昴ですもん。その他、”リバー・オブ・バビロン”なんて欧米曲のカバーが出て来たり、この辺は昔ながらの香港のノリといえばそうなんですが、不思議な気はする。日本人が”日本の郷愁”なんてアルバムを作ったとすれば日本産のメロディばかり普通は並べるでしょうから。
 14曲目に日本製のド演歌が出てきたのは意外でした。独自の演歌まで発展させている台湾などと違って、お洒落な香港のシンガーは演歌なんて歌わないものと思っていたんで。

 そういえば香港ポップスを聴きながら不思議に思ってはいたのでした。「街に溢れるのがこんなにお洒落なポップスばかりなら、香港の大人たちは何を聴いているのだろう?」と。
 この”ホームソング”集には、それへの回答らしきものがあちこちに見つかり。なんといいましょうかそれは、かっては最先端のファッションに身を包み街を闊歩していた香港の遊び人諸氏が、洒落たスーツをそっと脱ぎ捨て、中国南部の都市にふさわしいランニング姿になって夕涼みをしているみたいな。
 あるいは、昔はどうしようもない不良で鳴らしていた友人が、いまは子煩悩な父親となって娘の運動会で撮影係を喜々として演じるのを見るような。それでよかったような、でもそれはちょっと淋しいような。そんな奇妙な物悲しさに溢れた一幕でもあるのでした。

 このアルバムの映像はYou-tubeにはありませんでした。まあ、なくてもいいでしょう。というかなんというか。