江戸時代初期の無難禅師の歌だそうです。
生きながら 死人となりて というのは 死ねということではなく
執着を棄てよ ということだそうです。
芸能(パフォーマンス) また 芸術 にも ピタリ あてはまることばです。
能の極意に 桐の箪笥 になれ というのが あります。
いい 箪笥 なかが からっぽの ..... ということ
執着がない 野心がない すなわち 無我 になって はじめて いい芸と
なる。もちろん それには 肉体を鍛え わざをつみ うつわとしての準備
が必須 ですが。からっぽだと 神さまにつながりやすいですよ。
また 脱線しました、芸をはなれて 人生をかんがえたとき 執着の究極は
本能 おのが命 生きたいという欲望でしょう。そして ひとによっては
愛するものの存在でしょうか。。いのちを捨てる覚悟は できても もしおの
が命より 大事なものが 失われるとしたら....それほど悲しいことはありません。
コロナ・ワクチンは ひとの本質を あぶりだしてしまうようです。
まず 直観力 知識 性格 友人関係 .....
打ってないひとに なぜ打たなかったか 訊いて いちばん多かったのが
「あんなの なにが はいってるかわからない」
そして コロナ(お金)に 群がる ひとたち
いのちを守る 崇高な使命をもった医者が ひとりいくら のために打つ...
産婦人科学会 小児科学会は ことに 醜悪です。妊産婦や生後6か月から
の子どもに 打て というのです。毒をです。
日本の医療は終わりました。
しかし なかには 打つな という 良心的医師もいます。
企業もおなじです。
政府からの補助金(もとは税金)に むらがり 大手企業さえ 補助金サギに狂奔
ヤマサ 明治ファルマ シオノギ タケダ NTT つくって
いるものが どんなものか わかっているのでしょうね。
露骨な 差別もありましたね。
病院や企業 執着(お金)へのあさましさ! 人間の醜悪さ
これを 機会によく見ておきましょう。
そのなかにあって きらりと 光る ひとの うつくしさも。
多くの人が 選択を 迫られています。
生きたい ひととして生きたい 生きるために なにを すべきか?
たいせつなものたちのいのちを守るために なにが できるか?
それを 執着とは いわないと思います。 それは 願い です。
たいせつなものを 守る願いです。いのり です。
それは 自分のいのちを超えて 家族の 民族の ひとという種を守る
祈り です。
秋から XBB が はじまります。
起きていることは 審判 でしょうか? 発現 でしょうか?