#仮刑律的例 #12死刑の外処置方伺い
(明治元年十二月、近江彦根藩からの伺)
【伺い】死刑については、政府に伺いを致しますが、その他の刑事事件は、政府に伺いをしなくてよろしいでしょうか。
【返答】
そのとおり。死刑の外の刑事事件は、政府に伺いをしなくてもよい。
以上はかなり要約したものなので、元のテクストに即して、できるだけ詳しく訳してみました。
#仮刑律的例 #12死刑の外処置方伺い
近江彦根藩の井伊中将より明治元年十二月の伺い
【伺い】天下は府藩県の三治制との仰せであり、藩を治めるにあたっては朝廷の政を遵奉することと承知しております。
さて、死刑の外の刑事事件は、政府に伺いをしなくてよろしいでしょうか。租税など会計のことは違算がないように、従前のとおりその筋へ伺いや届けを致しますが、刑事事件につきましては死刑以外については伺いはどうでしょうか。その点を伺うよう中将が申し付けております。以上
【返答】
刑事事件に関しては伺いのとおりであり、死刑以外については政府に伺いをしなくてよい。
【コメント】
・近江彦根からの伺い。近江彦根藩は井伊家が藩主。明治初年の藩主は井伊直憲。井伊直憲は井伊直弼の子で、このときは中将。
・前回高知藩の伺いを紹介しましたが(#11刑律問合)、高知藩は非常に挑戦的な伺いだったのに比較して、近江藩は甚だ気弱な伺いとなっています。幕末のそれぞれの藩が抱えていた事情が色濃く反映されているのでしょう。
・近江藩の伺いの要点は、「死刑の外の刑事事件は、政府に伺いをしなくてよろしいでしょうか」ということなのですが、それ以外は無駄な部分が多い。
・やたら政府に気を遣ってます。
冒頭の「天下は府藩県の三治制との仰せであり、藩を治めるにあたっては朝廷の政を遵奉することと承知しております」等は、わざわざ我藩は朝廷の政を遵奉致しますとっているのであり、言わずもがな。
・「租税など会計のことは違算がないように、従前のとおりその筋へ伺いや届けを致します」←伺いは刑部省に対してのものなので、会計のことに言及する必要はありませんし、言及しても刑部省が回答できないのは明白。政府の返答が「刑事事件に関しては」という限定を付しているのは、この余計な伺いの一文の故でしょう。
・この伺いから近江彦根藩の当時の立場をうかがい知ることができるのは興味深い。
・この伺いが仮刑律的例として記録された意味。
⇒このときの明治政府の方針が死刑判決に限定されているということです。
裁判担当能力の限界を自白しているといってもよいかも。明治政府が回答できるのは、死刑に関してだけであり、それ以外の刑事裁判は府藩県に任せるしかない、それだけの実力しかなかったということが明白です。
・明治初年のこの時期、明治政府がコントロールできるのは死刑だけであって、そのほかは一切コントロールしないし、できないというのが明治政府の限界であったわけです。
・府藩県の方でも対応に温度差がありました。日本法制史の教科書では次のように指摘されています(牧英正外『日本法制史』)。
「廃藩置県までの新政府の指示は各府藩県により遵守の時期とその態度においてかなりの相違がみられ、各府藩県は政府の方針に従いつつも、比較的自由にその管轄内の刑事司法を実施していた」