南斗屋のブログ

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「馬加」が「幕張」となった経緯

2023年01月19日 | 歴史を振り返る
(はじめに)
「幕張」が、千葉県にあることはご存知の方が多いのですが、「幕張市」だと思っておられる方も少なくないようです。
「幕張」は千葉市にあります。
もっとも、千葉市に編入されたのは、戦後のことです。また、江戸時代には、「幕張」という名前はありませんでした。

(幕張は、江戸時代は「馬加」)
「幕張」は江戸時代は「馬加村」(まくわり)でした。読み方も今とは微妙に違います(今は「まくはり」)。
馬加村では、青木昆陽によってサツマイモが試作されています。
試作地は、馬加村だけではなく、江戸小石川の養生園(小石川植物園)、不動堂村(山武郡九十九里町)でも行われていますが、馬加村では種芋17個から2石7斗6升の収穫を得ることができたということや天明、天保と続く大飢饉の時にもサツマイモによって多くの人が救われ、昆陽神社が建てられたことで、有名になったようです。
現在は「青木昆陽甘薯試作地」として、千葉県の指定史跡とされています。

青木昆陽甘薯試作地

千葉県



(明治に誕生した「幕張」)
明治になってもすぐには変化のなかった馬加村ですが、1889年(明治22年)4月の町村制施行により、馬加村は、武石村等と合併して「幕張村」の一部地域となりました。ここで初めて「幕張」の名前が歴史に登場したのです。旧馬加村は、「幕張村大字馬加」として地名が残りました。
1896年(明治28年)4月、幕張村は町制が施行されて「幕張町」となり、戦後までこの状態は変わりません。

(幕張町の千葉市への編入と「馬加」の消滅)
変化があったのは戦後で1954年(昭和29年)7月で、千葉市に編入され、千葉市幕張町(まくはりちょう)となりました。ここにおいて「馬加」の地名は消滅してしまったのです。

下記リンクは1882年の陸軍地図です。馬加村の海は浅瀬になっていることがお分かりいただけるでしょう。ここが埋め立てられ、現在の「幕張」(海浜幕張駅周辺)が形成されていくのです。

千葉縣下總國千葉郡馬加村 | 古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)

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