南斗屋のブログ

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夷隅事件と予審終結言渡書

2021年07月30日 | 歴史を振り返る
(夷隅事件とは)
 千葉県いすみ市というと、最近は都会からの移住先として注目されていますが、明治時代は自由民権運動の盛んであったところであり、以文会という結社がありました。明治17(1884)年11月以文会の幹部ら12名を爆裂弾製造の容疑で拘束した自由民権運動への弾圧事件が夷隅事件です。

(夷隅事件予審終結言渡書)
 夷隅事件の予審終結言渡書(明治18年1月31日付)が「夷隅町史資料集」に収められています。
 同資料集の見出しは、「夷隅事件予審調書」としていますが、予審調書と予審終結言渡書とは別物ですので、この見出しは正確ではないでしょう。


(夷隅事件の公訴内容)
公訴を提起され、被告人とされたのは次の12名です。
井上幹、松崎要助、河野嘉七、岩瀬武司、吉清新次郎、久貝潤一郎、石井代次、田中恒次郎、高梨正助、君塚省三、中村孝、田辺庸吉
公訴を行ったのは、千葉始審裁判所詰検事補の磯好道及び山本辰六郎。
公訴内容は、
①被告人らは、官許を得ずに、破裂薬を製造した
②被告人らは、官吏である戸長の職務に対し侮辱をした
③被告人吉清新次郎及び松崎要助は、軍用の銃砲を所有した
というものでした。

(予審の結果)
予審は、辻淡千葉軽罪裁判所予審判事補が担当しました。
辻淡裁判官の判断は次のとおりです。
①の破裂薬製造罪については、被告人ら全員について、犯罪を起こしたとする証拠は不十分。
②の官吏侮辱罪については、被告人のうち8名(井上幹、松崎要助、河野嘉七、吉清新次郎、久貝潤一郎、岩瀬武司、石井代次、田中恒次郎)が行ったことは証拠十分であるが、その他の被告人についてはそのような行為を行っていないものもあるし、証拠が十分でない。
③の銃砲所有については、被告人吉清新次郎及び松崎要助が犯罪を行ったことは証拠十分である。
 被告人らは、爆裂弾製造の容疑で拘束されたのですが、この容疑については証拠は不十分で免訴とされています。

(判決)
 明治18年4月20日に、千葉軽罪裁判所にて、被告人ら8名について、重禁錮4月罰金10円の判決が言い渡されました(夷隅町史通史編)。
 予審終結言渡書は史料として残っているので、夷隅町史資料集に収められているのですが、判決は残存していないようであり、夷隅町史通史編では、朝野新聞を判決の史料としています。
 同書では、「明治18年11月1日、4か月の服役の後、井上幹ら8名は東京鍛冶橋監獄署を出獄した。」とするのですが、4月に判決でそのまま服役していたら11月出獄は計算があいません。控訴をしたのか、又は罰金を払わずに、労役上留置とした関係で出獄時期が11月になったという可能性がありますが、この点は明らかではありません。

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