リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年1月~その2

2010年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
極楽とんぼ亭: 簡単手抜きのもてなし料理

1月15日。思いがけず晴れ間がのぞいた日。食前酒を飲みながらおしゃべりに花を咲かせている二人におつまみを出したので、ディナーは軽い魚料理のコースにした。

今日のメニュー: スィートコーンとバーボンのスープ
         蒸したぎんだらの燻製とキャベツのソテー
         シーバスのキャシスリダクションソース、温野菜添え
         (サラダ)
         (デザート: チョコレートにディップしたいちご)

[写真] みんなコレステロールや塩に気をつけなければならない年代だから、調味料の加減が難しい。生のスィートコーンの実をこそげて、玉ねぎと炒め、チキンストックで似てピューレ。バーボンで味をつけ、クリームは入れないでさらっとしたあっさり仕上げ。

[写真] キャベツロールを作ろうと思っていたけどめんどうくさくなった。そこで、刻んだキャベツをソテーして、ごくごく少量の粉末かつおだしとちょっぴりの醤油で味をつけ、軽くスモークしてあるぎんだらを何も手を加えずにそのまま蒸して載せた。付け合せはブロッコリとしめじ。彩りはかいわれ。小さい方のお皿で。

[写真]  シーバスも軽く塩こしょうして焼くだけにした。ぎんだらを食べている間に、スライスしたゴールデンビーツとアスパラガスを蒸しておいて、南フランスの甘いリキュール、キャシスをリダクション。トーストしたカレシ特製のハーブパンにイタリアの黒トリュフのタペナードを載せてアクセント。

極楽とんぼ亭シェフが得意な簡単手抜きであっさりの「おもてなし」料理・・・

あ~あ、3人とも千鳥足・・・

1月16日。予想外にいい天気になった土曜日。デイヴィッド、カレシ、そしてワタシの順に起き出して、順繰りに朝食。

(中略・・・大々的に中略)

 地下鉄でダウンタウンへ夕食に出かけて、それぞれビールを2パイント。ホッケーの試合のせいで割りと空いていたGeorgeでカクテルを2杯ずつ。3人そろって楽しく千鳥足で帰ってきて・・・(続く)

自分の街で一日観光客

1月17日。また雨模様の「普通の冬」に戻って、どよっと暗い。けさはPCまでがスローモーション。なんでPCの方が二日酔いみたいなんだろうな。デイヴィッドが遠い郊外のジムのところに移るのに、日曜日のブランチをすることになって午前7時に起床・・・のはずが、カレシがワタシを起こして「外にまだ車があるけど、起きなかったのかなあ」。片目を開けて見た時計は午前7時20分。ワタシは「起きてるんじゃないのかなあ」とむにゃむにゃ。カレシが起こしに行ったら、どうやら身支度ができて出るところだったらしい。じゃあ、またあとでママのところで・・・

さて、きのうの続き。朝のうちはまぶしいくらいの晴天で、デイヴィッドが地下鉄の高架部分を見たいというので、空港まで行ってみることにした。ダウンタウンへ行くよりずっと短いのに、リッチモンド側に入るからか、運賃は「2ゾーン」だけど、平日午後6時以降と週末は全区間が1ゾーンになるらしい。新しい地下鉄は私たちの駅のひとつ南から高架になる。リッチモンドも空港も川の中州だから、地下水面が高すぎてトンネルを掘れないからだろう。電車は私たちが若かった頃に住んでいたタウンハウスのあるあたりから地上に出る。交通の激しい幹線道路の側でうるさかったけど、その上に電車の通過音が加わって住みにくくなったんじゃないかなあ。リッチモンドの分岐点の駅は大きなカジノリゾートの外。そこから空港ターミナルまでは駅が3つで、最初の駅は新しい巨大な駐車場のそば、次はエアカナダのオペレーションのビルの外。月曜日からが空港から切符を買って乗ると5ドルの追加料金がかかるけど、どうもタクシー業界に配慮した政治的な料金の感じがするなあ。

空港ターミナルに着いて、降りずにそのままダウンタウンまで行くことにした。終着駅のウォーターフロントまでは25分。昔はカナディアンパシフィック鉄道の駅だったところで、廃止になって寂れた駅舎はやがてオフィスに改装され、86年の万博でスカイトレインの終着駅ができ、バラード入り江を渡るシーバスのターミナルができ、朝と夕方だけ既存の鉄道を走る通勤列車が入るようになり、そして今度は新しい地下鉄の終着駅。一部再現された全盛時代の華やかな装飾やひっきりなしの人の流れはニューヨークのグランドセントラル駅の独特の雰囲気を片鱗だけながら醸し出していて、なかなかいい感じ。そこからガスタウンの方へ歩き、甦ったウッドワーズの「W」を見に行く。外郭だけ保存した元の建物の屋上に鉄塔を作って、その上に赤いW。高層ビルの少なかった昔はいろんなところからよく見えていたけど、今は43階建てと32階建てのタワーに挟まれて、近くまで行かなければ見えない。それでもやっぱりなつかしい気持になるから不思議だなあ。

ウッドワーズからチャイナタウンへ回ってペンダーストリートを西へ。高層ビル街に出る手前に(外国人向けの)何とかカレッジと名づけた英語学校や専門学校が固まっているような一画があって、あたりは安さが売り物のピッツァ屋、スシ屋、インターネットカフェ、コンビニが並んでいる。大学のダウンタウンキャンパスもあるから、まあちょっとした学生街的なところなんだけど、目立つのは安っぽさだけ。たぶん学生街らしい「性格」を確立できないまま、この次に建設ブームが来たときには高層ビルやマンションに建て替えられるだろうな。ダウンタウンにたむろする短期滞在組はバンクーバーはダサいとこぼすけど、安さを要求する語学留学生やワーホリが大勢やって来て、それに対応する安いビジネスがダウンタウンに集まってしまったんだからしょうがない。まあ、次のブームではキャンビー橋を渡ってブロードウェイを越えるあたりが新しい「ダウンタウン」としてバンクーバーっ子で賑わいそうな予感がするんだけど。

こんなふうに自分の住み慣れた街で「一日観光客」をやるのもなかなか乙なもので、ノスタルジアもさることながら、新しい発見にびっくりしたり、感心したり。カレシとデイヴィッドは「あのバーへはよく行ったなあ」、「あそこに○○があったっけなあ」と、血気盛んだった若き日を懐かしむことしきり。今でこそ悪臭の漂うスラム街になってしまったけど、半世紀近く前の「あの頃」のダウンタウンイーストサイドは商業や娯楽の中心街だったから、前夜の「W」の点灯式に集まった大勢のバンクーバーっ子たちと同じくように、カレシ兄弟にとっても子供時代から青年時代にかけての思い出が染みついたところなのだ。

ちょっとしたセンチメンタルジャーニーの午後を過ごした後は、Rodney’sで生牡蠣の夕食。ドラフトのエールを飲みながら、「干潮スペシャル」の牡蠣を3ダース平らげて、デイヴィッドとワタシはクラムチャウダー、カレシは海鮮サラダ。エール/ビールの2パイントはほぼ1リットル。ほろ酔いになったところで、Georgeをのぞいたら空いている。みんなホッケーの試合を見に行っているんだろう。カウンターに座って、カクテルを注文。最初の1杯を飲んでいるうちに、テレビに映るホッケーの試合は第1ピリオドで1点リードされていたバンクーバーが同点に持ち込んで、グラスが空になった頃にはいつのまにか逆転して2対1。車じゃないから酔ってもいいかと、同じカクテルをもう一杯注文して、飲み終わった頃にはスコアが5対1になっていた。そこで切り上げて地下鉄で帰館。駅から家までの道のりは3人とも千鳥足。とにかく歩道がまっすぐになっていない。右に傾いたり、左に寄ったり・・・。

無事に帰り着いて、試合の残りをテレビで見始めた兄弟。ワタシはブログを書き始めて・・・だんだん眠気が。ちょっと横になろうと上がっていったら、おや、二人ともテレビの前でそろって沈没。ワタシはそのまま二階のベッドにごろり。突然目が覚めたら「11時50分」。一瞬、あっ、寝過ごした・・・と思ったけど、外はまだ夜。リビングへ降りていって、カレシを起こして、朝が早いデイヴィッドを起こして、3人はまた千鳥足でそれぞれのベッドへ・・・おやすみ。

だけど、どうやら誰も二日酔いにならずに済んだのはなにより。さて、まだちょっと寝たりない感じもするけど、これからパパの90歳の誕生日を祝う昼食会・・・

浅川マキが死んでしまった

1月17日。浅川マキが死んでしまった。

日本にいたときから彼女の歌が好きだった。彼女のアルバム『浅川マキの世界』は後生大事にカナダまで持って来て、今でも大切な宝物。北海道の二十歳のワタシには、東京のアングラ劇場はまさに遥か遠い異国の夢の世界のようなものだったけど、彼女が歌い続けてきたことを知ってからは、いつか、必ずいつかライブを聴きたいと思っていた。その「いつか」が来ないうちに、彼女はさっさとあの橋を渡って、遠くへ行ってしまった・・・

浅川マキ。享年67歳。泣きたい・・・

どこへも行かずに時差ぼけ

1月18日。いやあ、ものすごい嵐だった。風の音で目が覚めて、つい「おい、屋根、大丈夫?」と心配してしまったくらい。起きた頃には風も止んでいたけど、あちこちで停電したり、大木が吹き倒されて道路を通せんぼしたりで、朝の通勤ラッシュはかなりの難儀だったらしい。こういうことがあるたびに、勤めてなくて良かったなあととつくづく思うから、人間てのは勝手なもの。

さて、月曜日。きのうは浅川マキの訃報にちょっと落ち込んだ気分になって、おまけに金曜日から早起き続きだったり、飲みすぎたり、遠出したりしていたおかげで、さすがにお疲れ。3時間もあればできる仕事が終わらず、期限の今日になってねじり鉢巻。無事に完了して、間に合って送ったと思ったら、今度は別のところからなんだか急いでいるらしい大きな仕事の打診。一応OKの返事をしておいて、やれやれ。と思ったら、今度はマイクから「明日の朝から作業を開始します。9時くらいには到着します」というメール。うはっ、いよいよ本格的に「早起きモード」。

ま、丑三つ時までやっている営業時間を昼間に移動するわけだけど、実際は昼間の方がずっと効率が上がるような気がする。オフィスはベースメントの内側だし、すぐ外は塀なので昼間だからといって日が差すこともないんだけど、あんがい、体内時計ならぬ「脳内時計」のようなものがあるのかもしれないな。それでも、生活時間をシフトしてから最初の2、3日は、生理的なリズムが狂うせいで、いつも低めに出る血圧もちょっぴり上がって普通の「正常域」になるし、中途半端な時間に大あくびを連発したりして、もろに「時差ぼけ症状」になる。ということは、旅行で重宝した時差ぼけ防止のサプリを飲んだら効くかもしれないってことかなあ。

カレシも同じように大きなあくびを連発しながら、「なんか寝不足のときよりも頭が重たいなあ」と首をかしげていたけど、ほんとうに徹夜したりして寝不足になったときの眠さとは眠気の感覚が違う。あくびは出るけど、すぐに眠れるかというとそうはいかない。寝ようとしたとたんに目が冴えてきてしまったりする。つまりは、時差ぼけの直接の原因は長時間の旅行による寝不足じゃなくて、生活時間がシフトして体内時計が狂うことなんだろうな。どこかにそういう説明があったような気がするけど、この体内時計ってやつ、針を指先でぐるっと回して現在時刻に合わせれば済むってもんじゃないからやっかい。でも、どこへも行かないで、家にこもっているのに時差ぼけってのはおもしろい。

「時差ぼけ」って何なんだろうと好奇心にそそられて調べてみたら、外界のリズムと体内のリズムがシンクロナイズしないためい起こる現象だという。主な症状には「睡眠障害」があるのはわかるとして、「昼夜逆転生活」というのもある。ありゃ、私たちはもう10年も「昼夜逆転生活」をやっていて、日本標準時以外の外界のリズムとはあまりうまくシンクロナイズしていないんだけど。それがあたりまえなもので別に睡眠障害もなかったのに、今回はそれを逆転させて世間一般のリズムに合わせようとするから時差ぼけ症状が起こるんだけど。ふ~ん、なんだかよくわからない。まあ、ワタシは得意の「ケセラセラ」方式でけっこう順応できるけど、カレシは大丈夫かなあ。時差ぼけの症状がなくなっても、「家の中で工事」というストレスは残るからちょっと心配だけど、そこはケセラセラ・・・

改装工事、初日・・・

1月19日。起床午前8時30分。早めに寝て何とか「寝不足」にならない程度の睡眠時間は確保したけど、窓から朝日が見えたときの違和感ときたら。夏の間なら、そろそろ日の出という頃に寝ることもあるけど、実際には徹夜でもしないと朝日そのものを拝むことはないからなあ。

午前9時20分。マイクが2人の若い人を連れて到着。なかなかイケメンのウェスとダレル。話をしていると、きっと2人とももてるだろうなと思うくらいのまじめな好青年たち。人を見る目があったケンの下で長い間プロジェクトマネジャーをしていたマイクだから、きっと人事の方もケンの哲学を受け継いだんだろう。住宅関係の工務店のプロジェクトマネジャーってのは端から見ていてもキツイ。私たちはもう何回目かの改装で勝手がわかっているから、作業スペースを明け渡して、後は質問がなければ「おまかせ」。自分の領域である家に赤の他人がいるとストレスになるカレシでさえ、今回はあまりイライラしていない(まだ初日だけど・・・)。これが初めての改装工事だったら、あれこれ口出しをする施主もいれば、神経質になって作業している人の周りをうろうろする施主もいる。住人が住んでいるままでの工事だから、かなり神経が太くないとストレスがたまってしょうがないだろうな。

マイクから作業の説明を聞いた2人。さっそく、バスルームの中を取り壊しにかかった。小さな部屋だから身動きもままならないと思うのに、2人一緒に入って、埃が外に出ないようにとドアを閉めてくれている。トイレを外して運び出し、キャビネットを外して運び出し、シャワーのガラス戸を外して運び出し。ガレージを通って、レーンにおいたトレーラーに残骸を積むから、その間、裏のドアは開けっぱなし。これが去年の今頃だったら家中が「厳寒の地」になってしまっただろうけど、エルニーニョのおかげで3月並みの暖かさ。オリンピックは心配だろうけど、こっちはラッキー!

調度類を運び出してしまうと、今度はドンドン、ガンガン、ドタン、バタンと石膏ボードの壁と天井を剥がし、シャワーストールの壁をタイルを張ったまま剥がして、バスルームはがらんとしてしまった。天井を剥がしたもので、断熱材が落ちてしまって屋根裏が見える。床のビニールタイルもすっかり剥がして、残った接着剤の上を歩くとペタペタ。家の中に古くなった材木の匂いがほのかに漂ってくる。

早起きしたので正午過ぎには空腹。週末にデイヴィッドが泊った部屋にある簡易キッチンにひと口の電気コンロと鍋を持ち込んで、インスタントラーメンを作り、それぞれのデスクで食べた。勤め人時代を思い出すようなランチ風景。ウェスとダレルは「空気がいい」と寒いガレージでラジオを聞きながらランチを食べていた。ランチバケットに温かいコーヒーの入った魔法瓶。ふ~ん、誰か毎日お弁当を作ってくれる人がいるのかな・・・?

午後2時過ぎにはバスルームはもうすっかり空っぽになってしまって、後片付け。体を使って労働する人たちの1日は午前7時に始まって午後3時に終わる。残骸は釘1本でもていねいに拾って運び出して、廊下のカーペットに掃除機をかけてくれて、翌日の作業に使う材料の寸法を測って、「明日の朝は午前8時から始めます」と言い残して帰って行った。ということは、目覚ましは7時半・・・。

静かになって、英語教室へ行くカレシのために早い夕食を作っていたら、国際電話で「今日中にやって~」という超ラッシュの仕事。きのうの急ぎ仕事は期限を延ばしていいというから、それなら何とかなりそう。カレシを送り出して、ねじり鉢巻で突貫作業。納期の時間ぎりぎりに間に合って、ほっ。ほんとに時差ぼけしているヒマもない。さあて、明日の朝はもっと早いから、今日は真夜中を過ぎたらさっさとベッドに入らなきゃ・・・

改装工事、2日目の成果

1月20日。水曜日。午前7時30分に目覚ましが鳴って起床。日の出まで後30分ほどで、地平線が明るい。今日も雨は休みモードでいてくれるらしい。高いびきで寝ているカレシはそっとしておいて、メールをチェックしたり、新聞を読んだり。8時15分にウェスとダレルが到着。ガレージを開けて、裏から資材を搬入。この2人、感動するくらいにてきぱきと仕事を進める。10分後にはトンカチの音・・・。

カレシが目を覚ましてきて、朝食。裏口から出たり入ったりするので、ちょっと外の冷たい空気が入ってくるけど、天井からの放射熱で体が温められるから、特に寒いとは感じない。ワタシは相変わらず素足のまま。かなづちの音、ドリルの音、ガレージからは電動鋸の音。だんだんに新しい材木の匂いが強くなってきて、ちょっとワクワクする気分。廊下には裏口からバスルームまで泥除けのシートを敷いてあるし、大きなゴミ入れも置いてある。人が住んでいて生活しているすぐ側で工事をするというのはけっこう神経を使うだろうなあ。朝食が終わったワタシとカレシはさっさとベースメントのオフィスに引っ込んで、stay out of their way・・・。

昼近くにマイクが残骸を積んだトレーラーを引き取りに来て、シャワーヘッドをどっち側にするかを相談。最初に予定した場所は外壁なので、省エネなどを考慮して反対側に変更して、ついでにトイレの周りのスペースを広げるために二階からのランドリーシュートの奥行きを縮めることにした。こういうのを「スペースを盗む」と表現するからおもしろい。シュートは「細く」なるけど、今までは奥まで手が届きにくかったし(それなのにソックスは一番奥に落ちる・・・)、底を床まで下げてもらうので容量としてはあまり変わらない。ついでにバスルーム側の投入口のドアを外して、キャビネットとおそろいのを作ってもらうことにした。何よりも、いかにも場違いにとってつけたような安っぽいドアが消えてくれるのはうれしいなあ。

オフィスに陣取って仕事を始めたものの、気が散ってばかりのワタシは、バスルームの調度器具のディーラーのサイトでカタログショッピング。中を覗いて動かしてみて・・・というものでもないので、まず斜めに設置する場合を考えて、タンクの幅が狭いトイレを選定。便座の位置が高くなったものが多い。標準的な椅子の高さだそうで、これも高齢化社会に対応したデザインらしい。シンクはカレシが角ばった長方形のものを選んだ。普通の埋め込み型のシンクと違って、いうなればカウンターの上に「手水鉢」を置くような新しいデザイン。カレシが選んだのは蛇口はカウンターに設置するタイプなのでデザインが限られてくる。おまけに冷水と温水のハンドルは別々がいいというので、あれやこれやと見て回ってちょっとテクノデザインっぽいのを見つけた。次はシャワーヘッドだけど、カレシはこれまた「大きいのがいい」と注文。ワタシは固定せずにハンドシャワーとしても使えるタイプが希望で、蛇口と同じメーカーのもので直径が15センチというのを見つけた。同じモデルには直径が20センチという固定型もあって、雨のように頭の真上からシャワーが出るデザインになっている。さて、後は取り替える照明器具の選定。これは数が多いから大変そうだけど、出向く前にカタログを見られるネット時代は便利でいいな。

[写真] きのう、石膏ボードを剥がして、断熱材が脱落した後の天井。梁は2×10。左上の縞模様の部分は放射熱暖房の電気パネル。電気屋さんが来て取り外すことになる。改装では床暖房になるので、お役目ごめんになる。予備に取っておいてもいいけど、どうしようか。

[写真] トイレとシャワーの排水管を配置転換するためにバスルームの下にあるカレシの園芸ルームの天井を外したところ。金属のダクトは常時換気装置の排気管と給気管。他に排水管、冷水と温水の給水管もあって、さらに左端の肘の形の白いパイプはセントラル式掃除機の集塵パイプ。白いワイヤは電気系統。茶色のワイヤは暖房の温度調節系統。これだけのものを通すために、この部屋だけ天井が低くなっている。たまたまバスルームの真下にあったのはラッキーだった(と、設計したワタシの背中をポン・・・のつもり)。

[写真] 新しいシャワーストールのベース(敷居)とベンチの枠組みができた。機械をおいてあるのがベンチ。座ってのシャワーでリラックスしたり、ハンドシャワーで足だけを洗ったりできる。年よりにやさしいデザインとして推奨されているらしい。脚立の陰になった壁に間柱の空間を利用したニッチがあって、シャンプーや石鹸を置ける。ストールの中はタイル張りで、囲いは枠なしの分厚い強化ガラス。いいホテルにあるシャワーストールのような感じになるのかな。きっちりフィットさせるために、まずは固定部分を取り付けてから、開口部分のサイズを正確に測ってドアを作るんだそうな。

[写真] ポケットドアを入れるために間柱を取り外されて石膏ボード1枚になってしまった廊下側の壁。左は元シャワーがあったところで、ここにトイレが入る。右奥は洗濯室兼パントリー。突き当たりは裏口。

今日の作業終了は定時を過ぎた午後3時半。ランドリーシュートの枠を組み直すのに材料が足りなくなったとか。残りは明日の午前中に完了の予定。ということは明日もまた午前7時半起床か・・・。

ふたつの「女の一生」

1月21日。早起き3日目。今日はちょうど日の出の頃で、曇り空の下、東の地平線のあたりだけが晴れていて、朝焼けがまぶしいくらいに鮮やか。カレシも起き出してきたので、ポテトとベーコンと卵のコレステロール一杯の朝食を作って、ちょうど食べ始める頃にウェスとダレルが到着。例によって、ドンドン、ガンガンとハンマーの音が響く中で、食べ終わったらさっさとオフィスへ退却。今日は残っていたランドリーシュートの枠組みだけなので、正午前には作業完了。あとは電気屋と配管屋のスケジュールしだいで、来週前半くらいまでは静かで、夜更かしの朝寝坊ができそうかな。まあ、まだなんとなく時差ぼけしたように変な時間に睡魔が襲って来たりするから、どうなることか。

先に期限が来る仕事の方に少し集中して、ランチタイムまでまじめに「勤務」。その後はやっぱりだれてきて、また蛇口だのシンクのカタログ検索。カレシがカウンターの上におくシンクはやっぱり気に入らないと言うので、シンク探しは白紙に戻って、別のディーラーのサイトでカウンターの下に取り付ける長方形のを見つけた。深さが20センチもあって、水を跳ね散らかす人にはうってつけ。蛇口の選択肢もぐんと広がって、ワタシも文句なし。

今日はイアンとバーバラの夫婦と一緒にディナーと芝居。二人はRodney’sが希望だったけど、先週行ったばかりなので、劇場のすぐ近くになるルイジアナ料理のビストロにした。ルイジアナの中間をとって「Ouisi」という。ジャズをテーマにしたポスターや絵がたくさん。絵は地元のアーティストのものらしく、売値がついていた。新装なったバスルームにいいかも。ここは量が多いので、前菜のほうれん草サラダをカレシと分け合って、メインはクリオール料理を代表するジャンバラヤ。けっこう辛いけど、その辛さがおいしい。

芝居はカナダの劇作家ジョアナ・マクレランド・グラス作の『Mrs. Dexter and Her Daily』。突然未亡人になった隣の仲良しをイタリア旅行に誘ったために夫を取られてしまったミセスDことイーディスと、通いのお手伝いさん(デイリー)のペギー。第一幕は、優雅なセレブ生活しか知らないでお手元不如意になったデクスター夫人が家を売り出すことになり、掃除にアイロンかけにサンドイッチ作りと忙しいペギーのモノローグ。(庭で本を読んでいるデクスター夫人とときどきドアを開けて言葉を交わすけど。)年金をもらう年になって物忘れはするし、足腰も肩も痛い。どうやら男運が悪くて、1人で子供を育てながらさんざん苦労して生きてきたらしい。だけど、工員だった経験から電気器具の修理などお手のもののバイタリティ溢れるおばあちゃんで、子供たちの(女たらしでろくでなしの)父親が2つ年金をもらっているので、便宜上また一緒になって、嫌いな福祉住宅を出て普通のアパートを借りようとしている。ペギーを演じるのはバンクーバー演劇界のピカイチのニコラ・キャヴェンディッシュ。

第二幕は、ペギーが帰った後1人になったデクスター夫人のモノローグ。もう午後なのにまだネグリジェにガウンのまま。まずお酒を注ぎ、庭から摘んで来た花を生けたり、冷蔵庫の掃除を始めたり、息子に電話でお金の無心をされたり。夏はいつまでたっても夜が来ないから辛いと嘆く。その間に、夫を奪った仲良し友だちが住んでいた家の方に向かって癒されない苦しい心のうちをぶちまける。いっしょに旅行に出かけたイタリアのポルトフィーノで、友だちとできてしまった夫に「一生モノの恋をした」と言われて、「なぜ?」と問い続けたというイーディスに、夫は「単調さ」が嫌になったと言った。夫は「加齢」という現実が怖かったのに、だったらなぜ30才や40才の若い女じゃなくて、60才の女なのよ!と叫ぶイーディス。フロリダに移っても「北の単調さ」が「南の単調さ」になるだけなのにと。

なに不自由なく育って、結婚して上流の暮らしをして来た人生が、夫の裏切りで崩れてしまったセレブ夫人のイーディスと、社会の底辺で十代の頃からろくでなしの踏みつけにされながらもしぶとく生き抜いてきたペギーはどちらも60代。モノローグ2つで構成された芝居はまさにpoignantという形容詞がぴったり。「痛切」、「身にしみる」、「胸に刺さる」といった意味合いのフランス語由来の言葉だけど、最後には涙が出そうになったくらい、心に激しく響いた作品だった。

仕事の雨も降れば土砂降り

1月22日。よく寝た。早起きしなくてもいいと思うと、やっぱり就寝が遅くなる。元のリズムには戻りやすいってことだろうな。寝酒をやりながら、シャワーのタイルの色やデザインの相談をして、就寝は午前2時半。そのままぐ~っすり眠って、目覚めは午前11時。まあ、朝が早かったから、くたびれていたということもあるけど。外を見ると今日もいい天気で、気温はまだ平年より高い。スノーボードの会場などあちこちで地肌が露出して目も当てられない。いっそスケートボード競技に切り替えるとか・・・?

どうしても土曜日のような気がしてしょうがないけど、カレンダーを見るたびに「まだ」金曜日なんだ、と安心する。この週末は仕事ラッシュ。改装の方に気を取られているうちに、ど~しよ~という状況になってしまった。ああ、ど~しよ~、ほんと。そんな状態なのに、メールをチェックしたら、マイクから「月曜日に電気屋を連れて行く」とのメッセージ。おまけに「早急にショールームに行ってシャワーの器具を選んでおいて」と。メーカーごとに、モデルごとに配管の位置が違うから、工事をする前に決めておかなければならない。ということは、電気屋に続いて配管屋が来るということか。まあ、天井がないのでじわ~っと外の冷たい空気が入ってくるから、作業がどんどん進んでくれるにこしたことはない。シンクも蛇口もトイレもほぼ決定したので、土曜日に目で見て確認した上で注文を入れておくと返事。シャワーシステムについてはドイツのグローエの製品がお奨めということで、ヘッドだけは決めたけど、蛇口ハンドルのデザインはやっぱり現物に触って、操作してみないわからない。この後に鏡やタオルバー、ペーパーホルダー、照明器具等々の品定めが・・・。

今日はとにかく仕事を進めておかなきゃと、ねじり鉢巻を締めてかかったら、「ひとつ入れてあるのはわかっているけど」といいながら別件の仕事。え、社長から直々にお仕事って?とメールの送信時間を見たら朝の7時前。「案件が多くてパンクしそうだ~」と。それはこっちも同じことで、ただ今3つのお手玉を操っているんだけど。いいのかなあ、こんなに積み上げちゃって。ひょっとしたら、もうパンクしてしまっているかもしれないのに。まあ、今頃の時期から4月までは、めちゃくちゃに仕事が入って来てINBOXは堤防決壊、脳みそは百年洪水の状態になるのが恒例行事のようになっている。日本では予算消化の季節で、特に2月は不眠不休の修羅場になったりする、いわば鬼門なんだけど、今年はちょっと修羅場の始まりが早いような気がする。やれやれ、先が思いやられるなあ。月末までにはサボって来た9ヵ月分の帳簿を整理して、2009年度の決算もしなければならない。う~ん、この分だとねじり鉢巻を10本くらい用意しておかなくちゃならないかなあ・・・。

降れば土砂降りとよく言うけれど、仕事の雨も降り出すと土砂降りが多い。会社に属さないフリーの身だから、このご時世には仕事の方からやって来てくれるのは、ワタシがよっぽどの「強運」を持っているからなのかな。だとしたら、せっかく運が運んで来るものをむだにしたらバチが当たるな。よ~し、この週末は、完成した新装バスルームで慈雨のごとくやさしく降り注ぐシャワーを浴びながら、ベンチに腰掛けてゆったりと瞑想に浸っている自分の「ほっこり」イメージをニンジンみたいに目の前にぶら下げて、一心(もしかしたら二心?)不乱にがんばろう。

カレシ、大いにこだわる

1月23日。土曜日。起床午前10時半。なんとなくぐったり疲れた気分でほぼ「平常」の時間に寝たのに、やけに早々と目が覚めてしまった感じ。やっぱりちょっと調子が狂っているのかな。

朝食を済ませて、さっそくマイクが指定したリッチモンドのショールームへ。工業地区にあって普通の小売店ではないのに、けっこう普通の人が入っているのは土曜日だからかな。まあ、自分でやろうという人にとっては土曜日しか時間がないということもあるだろうな。それぞれにカタログを見ながらで値段を調べてもらったりするから時間がかかる。セールスの人が空くのを待つこと20分くらい。やっと順番が回ってきて、これこれ云々でと探しているものを説明。のっけから「在庫がなくて、取り寄せは4週間くらい」という返事。でも、同じメーカーで少しだけ違うのがあると、倉庫から持って来てみせてくれた。どこが違うのかよくわからない。それでいいかと思っていたら、急にカレシが「サテン仕上げはないの?」と質問。鈍い光沢の仕上げのことで、普通の磨き上げたクロームめっき仕上げに比べて格段に値段が張る。残念ながらこのモデルはクローム仕上げだけ。

カレシは「ぴかぴかのは絶対にダメ」と、急にぷいっとどこかへ行ってしまった。となりで順番を待っていたおじさんは「おいおい」という顔。セールス君は「・・・?」。ワタシは「っとに男ってしゃあないわねえ」といった顔で、別のメーカーで同じようなスタイルでサテン仕上げのがないかと聞いたら、ハンスグローエはどうかと。ハンスグローエとグローエは元はひとつの会社だったのが創業者の2人の息子の代に別々の会社になったんだそうで、分家したのか、袂を分かったのか知らないけど、今では孫たちの代になっているらしい。見せてくれたのは高さを調節するバーがないだけでヘッドはグローエのとそっくり。いつの間にか再登場したカレシもシンプルでいいと気に入った様子。同じ仕上げの混合栓は3種類。温度調節と水量調節が別々なのは賢いけど、すっごい値段。だけど、カレシがサテン仕上げにこだわる以上は、う~ん、ま、いっか・・・と、それでも一番安いのに決定。

とりあえず、シャワーについて注文を入れて任務は遂行。カタログやショールームの展示を見て気に入ったものを注文しておくと、配管屋が必要なときにピックアップして代金を払い、それを請求された工務店が工事料に含めて施主に請求してくる仕組みで、業者価格は小売より2割くらい安いけど、最終的には小売とそれほど違わないだろうな。まあ、シャワーや蛇口は小さいけど、トイレやシンクをえっちらおっちら運ぶわけには行かないから、その代行料みたいなものと思えばいいか。とりあえず、これで配管屋のトニーに配管工事に必要な寸法データが届くから、また一歩前進か・・・。

それにしても、カレシはやけに「サテン仕上げ」にこだわるなあ。二階のメインのバスルームは照明器具まで全部が一緒に選んだぴかぴかのクローム仕上げなんだけど、一度も文句を言ったことはないのに、今回は「サテン仕上げじゃなきゃやだ!」と子供みたいに駄々をこねる。これからタイル選びもあるのに、この分だと、というよりはとっくに見積もり大幅オーバーだなあ。生活空間での工事というストレスの中で、デザインやスタイル、色、仕上げ、価格といったパラメータが絡み合う決定事項が多いところへ、工事日程を遅らせないようにというプレッシャーが加わるから、家の改装がきっかけで夫婦が離婚に至ったなんてのはよくある話。普通に仲良くしている夫婦だってついけんか腰になることがあるのに、すでに亀裂の入った夫婦は家の改装に夫婦仲の「改善」への期待をかけることが多いそうだから、結局は逆に亀裂が深まって破綻へと突き進むことになるのかもしれないな。まあ、見積もり予算なんておおまかな目安だと思った方が気が楽。ちょっとやそっとオーバーしても何とかなる。よ~し、カレシのこだわりのバスルームにしよう。

誰からも好かれる人って

1月24日。雨模様になって来た。つかの間の静けさみたいな日曜日。マイクがメールで、「月曜日は残念ながら朝寝坊はできません」と言ってきた。電気屋といっしょに午前8時半から9時の間に来て、配線工事を始めるという。うはっ、明日からまた超早起きモード。やっぱり早起きはなかなか慣れるのが大変だけど、「夜更かしの朝寝坊」へはあっという間に逆戻りするからおもしろい。。まあ、10年も昼夜逆転のような生活をやっていると、体のほうがそういう「標準時」になっているのかもしれない。

ワタシのスケジュールは月末まで満杯状態で、いったいいつになったら帳簿付けにかかれるやら。(なんていいながら、こんなところで油を売っていてはいかんではないか、おい・・・。)消費税の申告期限は1月31日。日曜日なんだけど、申告用紙にはちゃんと31日と書いてある。ちょっと前までは期限が日曜日の時は(銀行が閉まっているから)翌日の月曜日に繰り下げになっていたのに、オンラインで処理できるようになってからは、ばっちりと期限日の通りになってしまった。まあ、ずぼらしてサボってきたつけだから、自分で自分のお尻を叩いてがんばるしかないんだけど・・・。

それでもがんばる前にちょっと息抜き(!?)。ブログの画面にあった『意味がわからない昭和語ランキング』がおもしろそうだったので覗いてみたら、あら、上位10のうち「キモサベ」と「BG」の2つしかわからない。ワタシはもろに昭和の人間なんだけど。でも、考えたら、ワタシは昭和50年までしか日本にいなかったのだ。わかる2つはどっちも昭和でもワタシが子供だった頃の昭和に聞かれた言葉だから、「アラカン」とか言う年令以上でないとわからないだろうな。「BG」ってのも古い、古い。大戦後にオフィスで働く若い女性をかっこよがって「ビジネスガール」ともてはやし、略してBGといった。つまり(もう死語かもしれないけど)「OL」の前任。ところが、「英語の本家では売春婦をbusiness girlと呼んでいる、これではまずい」ということになって、ワタシが高校生ぐらいの頃に「オフィスレディ」に変わった。そこで「女性会社員」とせずに、あくまで和製英語にこだわったところがおもしろい。均等法なんて言葉さえない時代で、お茶くみやコピーの雑用係兼企業戦士の花嫁予備軍みたいなものだったから、「会社員」としては扱われなかったということか。

おもしろついでに、『誰からも好かれる人の傾向ランキング』というのも覗いてみた。トップテンは「気が利く」、「聞き上手」、「人に不快感を与える行動をしない」、「約束は必ず守る」、「相手によって態度を変えない」、「明るくて元気な雰囲気を持っている」、「誰にでも親切に接する」、「優しいオーラが自然と出ている」、「自分のことより相手のことを考えて行動している」、そして「人と接する時は笑顔」。ふ~ん、なるほど、日本でこういう人が「誰からも」好かれるってことか。11位以下を見ても、「他人に迷惑をかけない」、「愚痴をこぼさない」、「弱音をはかない」といった性向が並んでいる。このあたりがなんとなく釈然としない。約束を守る人や、明るい人、いつも笑顔の人はどこでも誰からも好かれる。でも、気が利いて、聞き上手で、人に不快感を与える行動を取らず、優しいオーラ満開で、自分のことより相手のことを考えて行動し、他人に迷惑をかけず、愚痴をこぼさず、弱音もはかない人・・・そういう人が「誰からも好かれる」、ということは、このランキングに投票した人たちはそういう人間が「好き」と思っているってことで、なんだか「自分にとって都合のいい人」を求めているような感じがしないでもないな。まあ、ワタシは八方美人じゃないから、誰からも好かれるってことはまずないだろうし、それはそれでいいんだけど・・・。

下位のランキングには「何ごとにも一生懸命に取り組んでいる」、「常に前向き」、「自分の意見をしっかり持っている」、「話し上手」、「積極的に話しかけてくる」といった性向も上がっているけど、これもなんだか釈然としない。少なくとも、小町横町の住人の間ではこういうポジティブな人は好かれない傾向が見える。自分の意見を言うと「上から目線」と批難され、前向きの姿勢だと「自分に都合のいいように考えている」、話に熱中すると「自分ばかりしゃべる」、積極的に話しかけると「うっとおしい」と言われて、評価が低い。だけど、こういう人たちはあんがい「おんぶにだっこ」ちゃんたちに都合がいいと思われるのかもしれないな。よくわからないけど。実際のところ、そういうポジティブな性格の人は好かれるの?好かれないの?いったいどっちなんだろう・・・?

改装工事、また一歩前進

1月25日。というわけで月曜日。午前8時10分に目覚ましがなって、がばっと起きた。こういう起きかたをするとさすがに一瞬くらっとする。ささっと身づくろいをして、とりあえずオフィスへ。夜の間に来ていたメールに返事を書いて、送って、9時に近くなった頃にマイクが来た。電気屋のロウルはちょっと遅れているということで、水周りの配置の相談。電源つきの洗面キャビネットを提案したら、壁に埋め込めないから見映えが良くないと「却下」。うん、そこんところが引っかかっていたんだけど、何しろカレシが収納場所をたっぷりとって欲しいというので、どうかなあと思った。結局は、キャビネットと同じ縁の鏡を使うことにした。実際のところ、そのほうが格式が何段も上がるんだけど。

印刷して用意しておいたトイレの仕様書を見ながら、マイクはトイレがコーナーに45度に収まることを確認。シンクがフルサイズになったもので、ここが懸念事項だったけど、収まるとなれば後は特注キャビネットのサイズを合わせればいい。なにしろそれはそれは小さなバスルームなので、普通に配置するとカレシの膝がつっかえてしまう。そういえば、30年以上前に新婚旅行の京都で泊ったホテルでそういうトイレに遭遇したっけ。カレシがおもしろがって撮った写真が今でもどこかにあるけど、今だったら若い日本人だって膝がつっかえるだろうな。マイクにシンクと蛇口の仕様書も渡して、配管屋のトニーに回してもらうことにした。

カレシが起きてきて、朝食が終わったところで、ロウルが登場。ジャマイカの出身で、前回の二階のバスルームの改装でも電気工事を担当したので顔なじみ。まずは現場の点検。「スイッチをつける場所がないよ」。廊下側にしてもいいけど。「だめ。法律でシャワーから1メートル以上離すことになってるから」。はて、それは困ったなあ。入るときにつける照明のスイッチだから、手近なところにないとねえ。昔はそれでよかったのに、いつのまにか法律が変わったなんて、困ったねえ。「モーションセンサーをつけたらいいじゃない?」えっ、そんなものがあるの?「あるんだよ。ドアを開けたら鏡の両側のライトが点くようにして、後は必要に応じて天井の照明を点けられるようにすればいい」。へえ、なるほど。我が家が建ってから21年、技術の進歩はたいしたもんだ。

ま、日本にはドアを開けたら自動的にふたが開いて、ついでに音楽も流してくれるトイレがあるそうだから、同じようなアイデアか。なるほど。動きが感知されなくなったら自動的に消えるそうだから、これまでしょっちゅうあった消し忘れもなくなるなあ。よ~し、それにしよう。決定。「じゃ、これで問題解決」とロウルはにんまり。じゃ、あとはおまかせと言ったところで、今度はつるつる頭のトニーがコーヒーを片手に下見に登場。彼も前回も配管の担当だったので顔なじみ。マイクに送ったメールのコピーを持っていたので、トイレ、シンク、蛇口の型式と仕上げを確認。「じゃ、あした」と行って帰って行った。

ロウルが作業をしている間、ワタシはだんだんアコーディオンになってきた仕事をなし崩し(これがなかなか崩れてくれないんだけど・・・)。午後3時半にロウルが「じゃ、またあさって」といって帰った後でのぞいた現場は、ワイヤがスパゲティ状態。天井につけた3つのポット型照明は取り付け枠は大きいんだけど、実際は小さなハロゲンランプを使うもので、トイレの上のライトはトイレにこもって本を読む習癖のあるカレシの読書灯といったところかな。シャワーの中にもあるから、「防水の本があれば、シャワーを浴びながら本を読めるね」と二人で大笑い。もしかしたらスキューバダイビングのマニュアルとか・・・?[写真]

明日はトニーが来て、あさってはまたロウルが来て、とんとん拍子に進めば今週中に壁と天井の取り付け作業も可能かな。ということは、そろそろマイクから「シャワーと床のタイルを選びに行け」という指令が来るのかなあ・・・。

今日もまたびっくり玉手箱

1月26日。また午前8時に目覚ましが鳴って、一発で跳ね起きた。ほんと、こういうのは心臓に悪いような気がする。ちょっと血圧を測ってみたら、あ、やっぱり上がっていた。まだ「正常値」までは行ってないけど、上は110を超えたし、下も70を超えている。ということは、ふだんの暮らしがのどかすぎて血圧までだらけてしまっているってことなのかなあ。まさかあ。これで2日連続で6時間弱の睡眠で、寝不足が続くといつも手足の指先がじわっと冷たくなる。血圧の上昇と矛盾しているような気もするけどなあ。

けさもまだ高いびきのカレシはそのまま寝かしておいて、ワタシはオフィスへ降りて行って、とりあえず詰まって来た仕事。10時頃を過ぎてやっと起きてきたカレシは「なんか寒いなあ」と、よぶんのセーターを着込んでいる。うん、そういえばけさはちょっと冷えたのかなあと思った。サーモスタットを見たら、「要電池交換」なんてメッセージがヒカヒカ。現在時刻がぜんぜん違っている。これではヒーターが入らなくて、どうりで寒いはず。きのうロウルが30分くらいバスルームと廊下の系統の電気を止めたときに、停電時用のバックアップの電池が古くて機能しなかったために設定がすべてご破算になってしまったらしい。ねじ回しを持ち出して来て、なぜか3本という半端な数の電池を交換。カレシが朝食のしたくをしている間に、改めてタイマーと温度を設定し直し。タイマーは「週日」、「土曜日」、「日曜日」と分かれていて、それぞれの生活サイクルに合わせて、「起床」、「外出」、「帰宅」、「就寝」の4つの温度設定がある。設定さえすれば、生活時間を変えない限り、後は何もしなくても寒くなればヒーターが入り、設定温度になれば切れてくれるから便利この上ない。

朝食が終わる頃に資材を仕入れて来たトニーが登場。注文してあったシャワーセットだけでなく、トイレとシンクまで持って来た。それと、いったい何に使うのかセメントミックスの袋。ワタシは仕事に戻り、カレシは英語教室の準備。今日はまず排水管の移動と排水口の設置。壁の内側に収まるものを取り付けるので「ラフ・イン」と呼んでいる。頭の上で盛大にガリガリ、ゴリゴリ。そのうちにトニーがオフィスに来て、「トイレの仕様書、ある?」と言って来た。印刷してあったのを渡したら、首をかしげている。「どうもタンクが違うように思う」と言うから、上がって行って見たら、うん、タンクの形が少し違うし、蓋のデザインはショールームで見たのとまったく違う。トニーはさっそく交換に出かけた。きのうの照明スイッチの一件といい、ほんとに改装工事って、文字通り蓋を開けてみるまでは何があるかわからない「びっくり玉手箱」。

タンクの一件が解決したら、今度はシンクの排水管の問題。「キャビネットに引き出しがあったら邪魔になる。でも、移動するのは場所が場所だから大仕事。どうする?」と。どうする?う~ん、そこはまだマイクに任せっぱなしなんだけど、どうしよう?まあ、小物を入れるだけなら、ちょっと工夫すればいいから、キャビネットは引き出し抜きでもいいんだけど。今日も「どうする?」、「どうしよう?」の緊急会議で、仕事の時間がますます圧縮される(といいながらも気が散るのをやめられないのが極楽とんぼなんだけど)。今日の最後の作業はシャワーストールの床の仕上げ。バケツ一杯にセメントと砂を混ぜて、どばっと床に流して、ていねいに均してできあがり。[写真]

へえ、そうなんだ、シャワーの床はコンクリートなんだ。この上にタイルを貼るわけか。これなら水もりしそうにないな。前のは出来あいの強化プラスチックの「トレイ」だったけど、排水口から水漏れが始まったのはそのせいかもしれない。やっぱり手軽なものはそれなりってことかな。次は金曜日の9時くらいに来ると予告して、残った砂の袋をかついでトニーが帰ったのは午後5時。カレシを送り出して、静かになったところで、さ~て、ねじり鉢巻をきりりと締めて・・・

ああ、見渡せば期限だらけ

1月27日。水曜日。けさは目覚ましが鳴る寸前の午前7時57分に目が覚めた。ふむ、あと3分。どうしようか?あと3分だけど、たったの3分。目が覚めてしまったんだし、寝ていてもしょうがないから、起き出して着替え。早朝だから少し冷え気味だけど、今日もいい天気。

9時過ぎにウェスとダリルがポケットドアのフレームを持って現れた。ガレージを開けて、車を道路に出して、迷路みたいな庭の中をそろそろと家の中に運び込んだのはいいけど、なにしろ小さな空間。開口部と引き込み部分が反対になって入ってしまった。はて、この狭いところでどうやって180度回転させるか?いったん運び出して、正しい方向にしてもう一度運び込むか?だけど、今さら取り出すのもちょっと大変そう。どうするのかと見ていたら、二人してあっち側、こっち側と枠の中をくぐって往来しながら何とかバスルームの中で回転させてしまった。う~ん、えらいなあ。

フレームの取り付けが済んだところで、ガレージや庭に残っていた石膏ボードや材木、排水管の残骸をきれいに片づけ。フレームを積んで来たトレーラーに載せて、次の現場へと向かった。正午を過ぎてもロウルの姿はなし。ドアフレームの取り付け作業があるということで他へ行ったのかもしれないな。金曜日にはトニーが今度は給水系統の工事に来るから、ひょっとしたら明日か。住宅リフォームの税額控除の対象になる期間がこの日曜日までなので、みんな大忙しなのだ。自分でやるのならこの日までに資材を買い込んでおけば控除を受けられるけど、請負業者がやる場合はこの日までに終わった作業について控除を受けられるしくみで、みんな施主に急かされているだろうとは想像がつく。まあ、そういう事情があるから、税務署のほうも1週間やそこいらの工事終了の遅れには目をつぶってくれるのではないかという話だけど、はて・・・。

トンボの方はといえば、期限が迫り来る大きな仕事にうんうん。体内時計が狂っているから、ヘンなときに眠気がさしたり、脳みその思考回線のスピードが落ちたりして、やりにくいったらない。持ち時間は今夜と明日。明日も早起きとなれば、日中の数時間で追い込み。誰も来なければ、夜なべをして、明日はゆっくりと朝寝坊。まあ、金曜日にはまた早起きと決まっているから、誰も来なくても少しは早起きした方が規則的な生活の維持という観点からはいいのかもしれないけど、はて、いったいどっちになるのか。お~い、マイク、いったいどっちなの~?

12時間勤務の後は

1月29日。いつのまにか金曜日。配管工事のトニーが来るのは11時過ぎということで、起床はゆっくり10時半。まあ、寝たのは午前3時半で、必死でがんばって大きな仕事を終わらせて、とにかく一杯引っかけて心身の凝りをほぐしてばった~んぐう!という感じだったけど。

前の夜にマイクが「ロウルが木曜日の9時頃、トニーが金曜日の9時頃」という予定のお知らせメールをくれたので、夜なべするかわりに朝一番で胸突き八丁を乗り切ることにして、午前8時45分に起床。これで月曜日から4日連続して6時間以下の睡眠だから、さすがにちょっときつい。冷たい水をぐいっと飲んで、しゃっきりと目を覚まして仕事にかかったら・・・あら、カレシがむす~っとした顔で起きてきた。「目覚ましを止め忘れたから目が覚めてしまった」と。あちゃ、オフにする代わりに寝ぼけてスヌーズボタンを押しちゃったのか。ゴメン、ゴメン。だけど、止めてまた寝ればよかったのにと言ったら、「止め方、知らない」とひと言。そんなばかな。もう20年も使ってる目覚ましなのに。ふむ、カレシも寝ぼけてスヌーズボタンを押して止めたつもりだったな。ま、せっかく2人とも起きたんだからと、ここで朝食。あはは、まだ寝覚めの悪い顔してる・・・。

本格的に仕事を始めたところで、マイクから予定変更のメール。どうやらロウルが木曜日はトニーの出番と思い込んで他へ行ってしまったらしい。仕切りなおして、「トニーは金曜日の午前11時過ぎ、ゆっくり寝られるように、ロウルは月曜日の午前11時過ぎ」ということになった。しめしめ、1日仕事に集中できる。(携帯やブラックベリーがなかった頃にはこんなぐあいに連絡はつけられなかった。便利な時代になったもんだ。)スーパーの閉店が締切よりも早いから、カレシを引っ張って買出し。コーヒーもシリアルも切らしてしまったから、これも今日中に待ったなし。超特急でスーパーと青果屋を回ること1時間。ここから先は「仕事最優先」モードで、カレシがトドみたいな大あくびを連発したり、腹減った~とポテトチップをバリバリ食べたりして挑発しようとしても、「お母さんは忙しいん
だからねっ!」とばかりに一心不乱・・・。

どうなるかと思ったけど、とにかく間に合った!ほぼ2日分に近い量を何とか12時間勤務で仕上げて、やった、やったと自分の(仮想的)背中をポン!おしまいの方には10本の指がそろって脳みその言うことをきかなくなって、スペルチェックの赤い波線がぞろぞろ。あ~あ、やっぱり年かなあ。いざ仕事!となれば、頭の中は今どき風に言うならハイテンションで、たまには徹夜だって押せ押せ気分で腕まくりしてやっちゃうんだけど、タイプライターに始まって45年もキーを叩き続けてきた10本の指は「も~だめ~」と実に正直に白旗を揚げちゃっている。うん、ほんとに長いこと酷使して来たんだもんなあと、じっと手を見る。う~ん、なんかおばあちゃんっぽい手だなあ、これ・・・。

そうして一夜明けて、昼近くになってトニーが登場。今日は給水系統の作業なのでしばらく水道の元栓を閉める。その間、トイレは使えるけど、流せない。古いシャワーの配管を外してトイレ用の冷水パイプを1本。シンクに通す2本のパイプを新しいものに替え、二階のバスルームに通じる2本の給水管の途中に新しいシャワーの配管をする。古い配管は灰色のPVCパイプだったけど、新しいのは半透明のPEX(ポリエチレン)パイプ、昔は銅だった継ぎ手のクランプは、大き目の赤(温水)と青(冷水)のプラスチック。住宅建築の法律も技術も材料も、20年の間にいろいろと変わったってこと。おおかたの配管工事を終えたトニーは、1時間ほどの作業が残っているから月曜日の10時頃に来ると言い残して帰って行った。

ということは月曜日はまた早起き。よし、この週末はゆっくり寝て、のんびりして、鋭気を養うぞ。

ごり押し、五輪押し

1月30日。やっと週末。雨模様。小さな仕事をほぼ片づけて、ゆっくり寝酒をして、まともな時間に寝て、まともな時間に起きた。やっぱり慣れきった生活習慣に戻るのはあっという間。禁煙やダイエットを続けられないという人の心理もわかるような気もするな。あんがい自分の体と意志の支配権争いみたいなものかもしれないけど、相手が体内時計の場合はあんまり勝ち目がなさそうに思う。

目が覚めて一番に左手の親指の調子がおかしいのに気がついた。関節を伸ばすとカックン、曲げるとカックン。ああ、これ、きっと「ばね指」ってやつだ。ちょっとかしこまって言えば「弾発指」。もったいぶって言うなら「狭窄性腱鞘炎」。痛くはないけど、なんだかカックンとなるたびに気持が悪い。おまけに右手と比べたら間違いなく付け根が腫れていて、こっちはちょっとばかり痛い。まあ、他の指も似たようなもんだから、老化現象の関節炎なんだろうけど、水曜日は使いすぎたもんなあ。両手を並べて甲の方から見たら、元々短めの指がますますずんぐりむっくりになった感じで、小指なんかもろに曲がっている。うん、ワタシの手は30何年働いた手なのだ。少しは労わってあげなくちゃ・・・。

今日はまず日曜日に切れるトラックの保険の更新。キャンビーの通りを走っていたら、「オリンピック専用レーン」の標識。オリンピック関係の車以外は走れない車線で、市内のあちこちがオリンピック専用になっていて、タクシーの運転手も配達業者も文句、文句。だけど、オリンピック様は「世界の人が集うありがたいイベントなんだから文句などもってのほか。下におれ」と言わんばかりの知らんぷり。観光客や選手には恨みはないけど、IOCもVANOCも超上から目線の支配魔ぶりが度を越しているから頭に来るのだ。おまけに市役所までが服装からヘアスタイルからソックスの長短からスマイルの様式までを細々と「規定」した分厚いエチケットマニュアルを市の職員全員に配布したというから、ここまで来たらもう日本の「マナー警察」や「常識警察」といい勝負だろうな。なんとなくおかしな世の中になったもんだという気がするけど。

ポンコツ時代と違って新しいトラックは排気ガスの検査がいらないから、通知書を保険代理店へ持って行って、(保険を4つかけているので)すっかり顔なじみのミレアと軽口を叩きながら、ちゃっちゃと処理してもらって、1300ドルなり。新しい保険証とステッカーをもらって任務完了。その足でモールまで行って、主にきのう急いでいてあまり買わなかった果物類を集中的に仕入れ。車のトランクに入れておいて、今度は地下鉄に飛び乗ってWhole Foodsまで。ホームに「オリンピック期間中は電車に自転車は持ち込めません」みたいな看板があった。あっ、そ。ブロードウェイ駅で降りたら、出口への通路が2つに分かれている。まあ、混雑を予想しているんだろうけど、っとに、もう。

買い物をしての帰り、今度は交通警察が通路を通せんぼして切符の検査。ポケットをあっちこっちと探すワタシ。だから、最初から改札機を置けばいいのに、何にもないからどこに切符を入れたか忘れちゃったじゃん。やっとトートバッグのポケットにあったのを見つけて、ほら!と突き出したら、なんか愛想よく「OK」。あのさあ、当日限り有効なんだから、ちゃんと今日の日付になっているか、有効期限の時間を過ぎていないか、確認くらいしたらどうなの?ま、オリンピック期間中は人の輸送を円滑化するために切符の検査はやらないんだそうで、なんか無賃乗車天国になりそうな予感。ほんとに、世の中って、なんだかおかしなことになってるような感じ・・・

さて、帳簿を整理して入力して、2009年度の決算をして、1月分の請求書を書いて、ああ、忙し・・・。

人生は日々の積み重ね

1月31日。日曜日。なんだか知らないけど、いつのまにかひと月が終わり。というせりふも、まあ、毎月言っているような気がするけど、とにかく時の足は速まるばかり。考えてみたら、20年前の今日はフリーランスというまったく未知の世界に踏み出すべく、勤めを辞めた日。同じフロアの人たちがお別れランチに連れて行ってくれて、かなりたくさんの人がサインしてくれた「さびしくなるよ~。グッドラック」という大きなカードをもらって、さあ、明日からはどんなことになるんだろうと、ちょっとどきどき。早いものであれから20年・・・。

だけど、感傷に浸っているひまはない。やり残した帳簿付けを終わらせて、消費税の申告をやってしわなければならない。オンラインの申告は日曜日は午後1時30分(なんで「30分」なの?)から午後11時まで。今どきオンラインの処理で24時間体制じゃないのも不思議だけど、なにしろ税務署だから、時間が来たらキカイを止めて、入ってきた税金をざざ~っと大きな箱に空けている図を想像してしまう。なぜか「大判小判がざっくざく」のイメージだから我ながらおかしい。とりあえず通常の勘定を12月まで整理して、還付される消費税は42ドル。「売上」は2008年度より増えたけど、去年はコンファレンスが2つあって出張費が膨らんだので、減価償却の処理をしたら「純利益」は2008年並みかな。ふむ、この分だと所得税は増えずに済むか・・・。

帳簿が終わって、消費税の申告手続きをした後は、超特急で1月分の請求書を書いて、もう2月になっている日本へ送信。ああ、やれやれ。これで無事にひと月が終わった。せっかくの早起きなしの週末だったけど、まだ親指が痛いし、なんだかやたらとくたびれた・・・。

さて、明日はいよいよ「創業20周年記念日」。ほんとはちょっとしたお祝いパーティでもしようと思っていたんだけど、あたふたしているうちにその日が来てしまった。思い起こせば(といってもあんまり懐かしく思い出したいとは思わないけど)、「創業10周年」の時はまさに地獄の底。カレシの倍以上も稼ぐようになってしまったのもその一因ではあったけど、それで(表向きは喜んでくれていた)カレシがぶっちぎれたのは、心の奥に「○○のくせに」という憤懣やるかたない気持があったんだと思う。その「○○」が何だったのかはカレシしかわからないけど、あのときに山ほどの仕事があったおかげで、「外の世界」とのつながりにしがみつく形で、潰されてしまいそうな「自分」を何とか持ちこたえて来られたんだろうと思う。あのとき仕事をしていなかったらどうなったことか。それを想像するのは今でも怖い。

だけど、あれから10年。十年一日のごとくとは言うけれど、実際は1日1日と少しずつ変わって来たような気もする。仕事も20年の間にずいぶん変わったし、つまるところ、人間の一生というのは日々の「繰り返し」じゃなくて、果てしない「積み重ね」ということなんだろうな。