リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年1月~その1

2010年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
今年も食べて飲んで楽しく

1月1日。雨の元旦。起床は正午過ぎ。年越しの残りのシャンペンを朝食のオレンジジュースに入れたミモザで一応改めて「明けましておめでとう」のご挨拶。ま、1年経ったところで、ポチッと「。」を書いて、また次の1年・・・て感じかな。たとえば、きのう39才だった自分が今日から40才だからといって何が変わるわけでもないのと同じで、きのうまで2009年だったのが今日からは2010年と言っても、新しいカレンダーに替えたくらいで、世界はきのうと何にも変わっていない。オフィスにかけた今年のカレンダーはよくアートポスターなどで見かけるジャック・ヴェットリアーノの絵。この人の作品は昔の映画の場面をカットしたような実に不思議な雰囲気のある絵が多くて、じっと見ているとドラマチックな感情がむくむくと呼び起こされて来る。頭や心が疲れたときにじっくり眺めてストーリーを想像するのも楽しいだろうな。

ゆっくり晩餐の時が過ぎたところで、さっそく今日から仕事始め。日曜日の夕方が納期の仕事に手をつけた。久しぶりの英日だけど、どっち方向でもやりなれた内容だからさして時間はかからないと高をくくる。でも、原稿は東南アジアの某国で書かれた英語だから、気をつけていないとでんぐり返しになりそう。英語が実質的に世界の共通語になったのはいいとしても、英語圏の外ではそれぞれに土地柄が投入された英語になって、解読するのにきりきり舞いすることがある。まあ、謎解きをするようでおもしろいし、その国の思考や文化を垣間見られるのも楽しいおまけなんだけど、それは期限が迫っていないときの話。ま、今年も商売繁盛を期して、がんばろっと。

カレシはと見ると、きのうからずっと何やらHTMLのコードをいじっているらしいけど、マイクロソフトだかアップルだかなんだかのアプリケーションから邪魔が入るとかで、思うようにことが運ばないとイライラ、カリカリの欲求不満。ついにはこっちにまでネガティブなオーラを飛ばしてくる。もう、正月早々からイライラしていたら~と言いたいけど、まあ、正月早々にイライラしていたら1年中イライラすることになるなんて考える文化じゃないからなあ。だけど、まったく別々のPCで、設定も使用目的もやっていることも何もかも違うんだから、ワタシにはイライラをなだめようにもなだめようがないの。メモリが足りないと愚痴っているかと思えば、新しいマシンを買うの、ラップトップを買うの、あ~だのこ~だの。子供じゃあるまいし、さっさと行動を起こしなさいってば。おかげで、こっちはもう正月早々から疲れて来ちゃったよ。1月1日なのに。あとまだ364日もあるのに。もう・・・

それでも、夕方には気を取り直したのか、解決のめどがついたのか、鼻歌まじりにサラダを作り始めたので、一応の「新年の祝い膳」を整えて、まずはめでたし。

[写真] ごく簡単に、ジャンボほたてにレモン醤油を塗ってバターで焼き、びんとろとししとうをグリルで焼き、水にさらしたねぎを盛り付けて、ご飯は大根おろしといくらを載せたお椀。(このご飯がおかわりしたいくらいおいしかった・・・。)今年も、機嫌よく、おいしいものを食べて、楽しくやって行こうね。

リタイアしたら若返るんだって

1月2日。今日も雨。カレシは正午前に飛び起きてそそくさと着替え。つられて目が覚めたワタシは寝ぼけまなこで、え、どうしたの?「月曜日だよ」とカレシ。え?まっさかあ。まだ新年第1号の仕事を納品してないってのに、今日が月曜日だったら納期を外しちゃったってことじゃないの。冗談じゃない。「ブロックウォッチの引継ぎをするんだろう?」とカレシ。まさかあ。それは月曜日だけど、今日は月曜日じゃないでしょうが。きのうは金曜日だったんだから、フツーだったら今日は土曜日でしょうが。寝ぼけているのはどっちなの、いったい。「なんだ、そうか」とカレシ。せっかく着替えたのに、また脱いでベッドにごそごそともぐり込んで来て、二人して寝なおし・・・

ローカルのテレビ番組表をまとめた週刊誌に、地元でテレビやラジオで「ドクター・アート」として知られるお医者さんの健康コラムがある。この先生、テレビで見るとめっちゃおもしろい人で、コラムでも「健康」について軽快な切り口でごくまともなあたりまえのことをわかりやすく説明してくれる。最新号のコラムは「引退は健康にいい」という話で、退職した人たち(ここでは男性の話)は平均して8年くらい若返った気分になり、その効果は飲み食いや宝くじの大当たりや24才との結婚なんかよりずっと大きくて、しかもそれが退職後7年くらいは続くんだそうな。ただし、24才(の女性)との結婚ではほとんどが逆に老け込んでしまうんだそうな。 つまり、仕事やキャリアのストレスから解放されて、心身ともにリラックスするからだろうな。あたりまえといえばあたりまえだけど、アート先生曰く、「引退は健康にいいとは言っても、そこの20代のお若いキミたちはまず仕事といえることをやってからじゃないとね」と。そうだなあ。働いていなければ引退はないし、そもそも若返りを楽しめるような年金だってないだろうしね。

たしかにカレシも早期退職してからはかなり若返ったような感じだな。オンナノコとの恋愛ごっこに夢中だったあの頃は、カレシにとっても人生の中で解決せず(できず)にため込んだいろんな問題が一気に噴出してストレスが病的に高じた時期だったんだろうけど、50代半ばだというのに、写真を見たら愕然とするくらい、まるで10年も20年も老け込んだ顔をしていた。それが、定年を待たずに退職して年金生活に入って、それまで重圧と感じていた要素がなくなったら、ものの見事に若返ったというわけで、実際のところ、頭のてっぺんから後頭部へ広がっていたハゲが目に見えて小さくなったからオドロキ。胃の調子が悪いと言っていつも「食べていた」制酸剤にほとんど手をつけなくなったし、睡眠の質がぐんと改善されたこともたしかだし、アート先生の言葉を待つまでもなく、引退は健康にいいという証拠を見ているようなもんだなあ。

そこで、65才の定年まであと3年とわずかになったワタシはどうするかということになるんだけど、どうしようか。たしかに明日はどうなるかわからない「一匹狼稼業」のフリーランスの仕事は生活に区切りをつけにくいところがあるけど、けっこう好きでやっていることだし、お金を稼ぐことだって好きだし、それに「すわ!」というときには腕をまくって張り切ってしまう性質で、そうやって充電どころかせっせと自家発電しているようなところもあるしなあ。カレシの問題がストレスになってうつ病になっていた頃はワタシもやっぱりぞっとするほど老けて見えたけど、この10年の間に人生で今が一番健康だと思えるくらいに元気になった。そんな跳ねっ返りワタシが引退なんかして大いに若返ってしまったら、いったいどんなことになるのやら。どうしよう。しらないよ・・・

オリンピックが来たら逃げよう

1月3日。日曜日。たまたま元旦が金曜日だったもので、何となく「正月三が日」のような週末。ま、カレンダーの上でそう見えるだけで、実際はホリデイシーズンの終わりの週末ってことなんだけど。ひと足先の日本では今日から「仕事始め」。すぐに仕事がぞろぞろと入って来ることはないだろうから、おまけの休みということにして、しばしのんびりしておくか。

寝る前に仕上げて送っておいた仕事、「受け取りました」というメッセージが成田空港から来た。年末年始の一時帰国から任地に戻る途中だったらしい。ふ~ん、大変なんだなあ。それにしても、今年の初仕事のあの原稿、すごく「難解な」英語だった。まあ、グローバル化時代だから英語もいろいろなんだけど、教科書英語では意味が通じないらしい。日本の文書で多用される「等」をそのつどていねいに訳したような文体だったので、日本語英語なのかと思ったけど、作成者を見たら日本人にはありえない名前(半分日本人ということはありえるけど)。だけど、実に日本語的な英語。出所は日本じゃないけど、日本のお金が入っていそうなところ。あんがい日本語として読んだ方がわかりやすいかもしれないけど、日本語思考で読んで日本語訳なんて、そんな器用なことはできないしなあ。ワタシは日本流にいえば学歴がないから、教科書英語はやっていないも同然。そのせいかどうかは知らないけど、なぜか教科書に出てこない英語はしっかりわかるもので、たまに社内の教科書英語がわかる人がさじを投げた仕事が回ってくるらしい。たかが英語、されど英語、だけども英語・・・。

でも、お正月早々で成田は混んでいるかもしれないけど、日本から出る飛行機は混んでいないだろうな。日本ではどこかの高速道路で延々と30時間も都会へ帰る車の渋滞が続いたとか。少しずつは前に進めるんだろうと思うけど、途中でトイレに行きたくなったらどうするんだろう。サービスエリアはずっと一杯だったそうで、やっとたどり着いても入れないだろうし、ほんとにどうするのかなあ。それにうまく駐車場に入れても、今度は渋滞している道路には出られなくなるだろうな。数年前にサンフランシスコからシリコンバレーを抜けて行くのに、猛烈な渋滞に出くわしたことがある。あれはたまたま月曜日が祝日の三連休に入る金曜日の午後だったせいもあるけど、片道数車線あるカリフォルニアのハイウェイをどこまでものろのろ、のろのろ。目的地に着くのに「通常」の3倍以上の時間がかかったけど、あんな状態なのかな。やっぱりトイレに行きたくなったらどうするのかが気になるなあ。

オリンピックまであと1ヵ月とちょっとで、バンクーバーのあちこちで駐車禁止に停車禁止に通行禁止。なにしろ「オリンピック様のお通り」だもんなあ。泣く子も黙るオリンピック様だから、市民の生活なんか目には入らない。ダウンタウンでは駐車禁止のおかげでメーター料金の収入が何億円も減ってしまうというということで、市役所は料金値上げと稼働時間の延長を打ち出した。はあ、オリンピック様のために、またもや市民は財布からなけなしのお金を抜き取られるってことか。だから、ワタシはオリンピックなんて金食い虫のブランド品と同じだからやめときなって言ったんだけどなあ。ま、人間て、商業的であろうがなんであろうが、華々しいことになると、つい浮かれて乗ってしまうもんなあ。

カレシはオリンピックの間バンクーバーを脱出して、モントリオールとケベックシティに行こうと言う。冬のケベックシティかあ。風情がありそうな感じがする。トロントでデイヴィッドとジュディが合流して、モントリオールまで汽車の旅。それもいいなあ。だけど、ケベックシティはマイナス20度になるって話だよと言ったら、「道産子だから平気でしょ」だと。それは昔の話。バンクーバーの冬に慣れきった今では、氷点下と聞いただけで、うう、さむっ!

カナダ式新年の仕事始め

1月4日。月曜日。午前11時20分にセットしておいた目覚ましが鳴る前に目が覚めた。今日はブロックウォッチのキャプテンと副キャプテンの引継ぎの日。この「ブロックウォッチ」というのは、警察の防犯課と連携した町内の防犯グループみたいなもので、私たちのグループは住所の上二桁が同じ(1ブロック)家が8軒と、隣接する未組織のブロックの家4軒で構成する「コ」の字型になっている。結成して登録してから、キャプテンのカヨと副キャプテンのワタシで15年ほどやってきたのが、今度裏のワイリー家の後に引っ越してきた一家の奥さんのミシェルがキャプテンを引き受けてくれることになった。そのキャプテン交代を報告する過程で最新のメンバー地図が必要になり、折りしも仕事が忙しいときに地図の更新をやっていたら、カレシがのんきに「ボクがやろうか」なんて言ったもので、ワタシも渡りに舟とばかりに副キャプテンを(有無を言わさず)バトンタッチ。

やっと4人の時間調整ができて、引継ぎのミーティングをしようということになったのが今日。午前11時45分。寝ぼけまなこのカレシを引っ張って3軒先のカヨの家に。(日本的な名前だけど、カヨはセルビア系。)新キャプテンのミシェルは8ヵ月の男の子がいるママで、なかなか活発そうな人。別姓の夫氏は警察官で、今日は非番で赤ちゃんのお守りをしてくれているそうな。ヘレンから家を買った大学教授がその家を賃貸に出して、なんだか胡散臭い人たちが何人も入居したところで、この住人たちを地図に含めるかどうかを話し合って、家の部分に「賃貸」とだけ表示し、住人には地図を渡さないことに決めた。なにしろ、各戸の住人の名前や電話番号、緊急連絡先といった「個人情報」が書かれた地図だから、定住者とはいえない人たちに渡すのは危ない。ミシェルが住んでいる家が賃貸だったときには麻薬のディーラーや、どうも「盗品故買」をやっているとしか見えない家族が借りていて、なぜか近所で空き巣が多発した経緯があるもので、防犯上やむをえなしという判断。

任務の引継ぎは30分ほどで終わって、朝食。銀行へ行き、野菜を買いに行き、帰りに大みそかの日に不在通知が入っていた小包をとりに行った。通知には「翌日午後1時以降」に引き取り可能と書いてあるから、「翌」営業日は今日のはず、だよねえ。だけど、カナダポストはあてにならない。早めに帰ってしまう人が多い大みそかだったからよけいにあてにならない。そう危ぶんでいたら、案の定、「まだ来ていませんね」と。やっぱり、配達トラックに積んだままデポへ直行して、さっさと早帰りを決め込んだな、このやろ。「明日には来ると思います」って、大みそかの最後の仕事を新年の初っ端に回しちゃってどうすんの?よくあることだけど、肝心のものがそこにないんだから、受け取るだけの人に文句を言ってもしゃあないか。たぶん注文してあった本だろうし、15日間保管しておいてくれるから、まっ、そのうちに・・・。

今日月曜日はカナダも新年の仕事始め。新聞記事によると、カナダの上位企業100社のCEOは、午後1時1分現在で、カナダ人の平均給与1年分($42,305)を稼いでしまうんだって。おいおい、今日が1年の初日でしょ。それなのに、その初日にランチタイムが終わるまで、つまり半日でもう普通の人の1年分の稼ぎってのは、ちょっとばかりもらい過ぎじゃないのかなあ。この平均給与、今のレートで日本円に換算すると約380万円。ワタシもあのまま勤めていたらこのくらいの年収ってことなのかな。それを「CEO」という肩書きがついただけで、たかだか4時間で稼ぐ人たちがいるんだなあ。時給にしたら100万円!やっぱり、桁が違いすぎるわ・・・。

今日届いた家と土地の評価通知。我が家は6%高くなっている。バブルの頃は東京のマンションを売ってバンクーバーに大きな家が2軒買えたという話だけど、今はこの家を売ったら東京都内にマンションか小さな家を2軒は買えそうだなあ。20年で大逆転か。ふむ、1970年代の技術移民ブームでカナダに来た人たちはほとんどが定年退職している年代だろうから、円安でカナダの年金の価値も増えているし、バンクーバーの家をたたんで日本で悠々自適の老後をということも考えられなくはないだろうな。口癖のように日本に帰りたいと言う人たちも多い(実際はどっちかというとバブル以降に移民して来た若い世代が今から「異国での老後」を思いやって心配しているケースが多いようだけど)。でも、この人たちの子供たちはカナダで育って成人して、たぶん孫たちもできている頃だろうから、はて、望郷の念と、子供や孫に囲まれての老後への期待と、どっちが強いのかなあ。ワタシはま
だ現役だし、子供も孫もいないし、まあ、元々から机上の空論だけど・・・。

殺されたら自由も何もないよ

1月5日。予定されていた仕事がキャンセルになって、しめしめ。ん、ほんとはそんなことを言っちゃいかんのだけど、本音はやっぱりしめしめ。なんとなく休み気分が抜けていないような・・・。

今日はカレシの英語教室再開の日。いつものように早めの夕食をして、出かけて行った。と思ったら、すぐに「エンジンがかからない」と戻ってきた。ははあ、またバッテリが上がっちゃったなあ。最後に使ったのは2週間前。その前もドライブに行かなきゃいいながら、結局は週2回、10分先の教室に行くだけだったもんね。「サービスを呼んでおいて」と言い残して、教室へはエコーで。放っておくと引きこもりになりそうな2人に2台も車はなくていいんだけど、カレシはトラックを手放しそうにないし、ワタシは身の丈に合わないトラックを運転するのはイヤ。それで結局は2台ってことになるけど、こんなときには2台あって良かったね、ということになる。

とにかく、カレシが帰ってくる時間あたりにサービスが来るように見計らってトヨタの緊急番号に電話。車がスタートしないと言ったら、第一声が「あなたはセーフですか」と。え、セーフかって?あ、そっか。夜だし、女性の声だから、暗い夜道で立ち往生していたら危険だということかな。もしも道端にいると言ったら、車の中でドアをロックして待っていなさいとか言われるかもしれないな。30分くらいで来るというけど、家の外に来るまでは電話を離せないので、トイレに行くのにも手に持ったまま。なんとなく中途半端でうろうろしていたら、カレシが帰って来た。相変わらず電話を片手に、後について外に出てみたら、トラックの室内灯は点くけど、エンジンをかけようとすると怪しげな音がするだけ。ははあ、完全に干上がったわけではないらしい。そうこうするうちにサービスのトラックが角を曲がってきて、フードを開けて、ポータブルの電池をつないで、キーを回したら一発。やれやれ。

そのまましばらくドライブ。たったの2週間で・・・とカレシはおかんむりだけど、近頃の車は駐車しているときでもいろんな電子装置が電気を使っているからなあ。あまり走らないのも問題かもしれないけど、一番の問題は盗難よけのアラームだと思う。イモビライザーがついているので、自動車泥棒がよくやるようにワイヤをつないでエンジンをかけることはできないから、トラックそのものが盗まれるリスクは低い。アラームは窓を割ったり、ドアをこじ開けたりしたときに鳴るわけで、そのときには車を修理することになって、アラームがあってもなくても結果は同じ。まあ、実際に防犯の役目をしているのは「アラームがついているぞ」という表示ランプなんだけど、この青いランプがピコピコしているのは装置がバッテリの電気を使っているということでもある。と、走りながらあれこれ議論をして、とりあえずアラームはセットしないことにした。ハイテク時代、便利さもほどほどなりや・・・。

ハイテクといえば、カナダでも主要空港にボディスキャナが導入されることになった。これだと全身がヌードになって見えてしまうもので、さっそくいわゆる「市民的自由主義者」の団体がプライバシー侵害だ、市民的自由の侵害だとうるさい。テロリストを刺激するだけだから無意味という「エキスパート」もいる。たしかに、ハイテクに頼ろうがどんな人道的努力をしようが、テロを防止することは不可能だろうな。二十一世紀のテロリストは狂信的に殺せといわれて殺すのが目的で、自分たちと相容れない人間を殺すことしか考えていないんだから、隠れみのに使われる神様だって迷惑していると思う。そういう理不尽な暴力から100%身を守れる方法はない。ないんだけど、できるだけのことはやらなきゃならないのだ。まあ、こういう活動家タイプは、プライバシーや自由を盾にして、「自分」には好きなようにする権利があるんだから、それを規制するなら「自分」の迷惑にならないようにやれと言って
いるようなもので、じゃあどうすればいいかということは知ったこっちゃないらしいけど。

機械が導入されたら、ボディスキャナを通るか、検査官の身体検査を受けるか選択させてくれるらしいけど、去年空港で「実習モデル」にされて、徹底的に身体検査をされたワタシはささっと数秒で済むスキャンを選ぶ。スキャナの映像は機械の側にいる人たちには見えないそうだから、大勢が見ている中で(胸もお尻も)体中をモミモミされて調べられるよりは気分的に楽だもん。プライバシーだの何だのといっても、要するに知らない人に自分のボディを見られるのがイヤだ(恥ずかしい?)ってことなんじゃないのかな。そういう人たちだって、ビーチに行けばきっと裸同然のボディを人目にさらしてはばからないんじゃないかと思うけどなあ。まあ、市民的自由主義者が何を言おうとそれは彼らの言論の自由。ワタシとしては、宗教が、人種が、価値観が違うからというだけで理不尽に人生を破壊されたり、命を奪われたりすることこそが究極の自由とプライバシーの侵害だと思うんだけど。

小町横町のへ~話会議

1月6日。もう水曜日か。目が覚めたときはまあまあの明るい空模様。ちょうど朝食を終わったところで、シーラとヴァルが掃除道具を持って到着。シーラがスーパーのIGAからただでもらったVilleroy & Bochのウィスキータンブラーを使いようがないからと使ってと持ってきてくれた。掃除のお客が集めていないからとスタンプをどっさりくれたんだそうな。ワタシがもらったリキュールグラスと同じシンプルなデザインのタンブラーセット、アイスクリームやソルベを出すのに使えるからとありがたくもらった。前は我が家では買わないから不要の七面鳥のクーポンをもらってきてシーラにあげ、彼女はそれを息子にあげていた。ま、こういうものはほんとに誰かの役に立ってなんぼの回りものだから。

今日はちゃんと一発でトラックのエンジンがかかって、カレシは予定通り英語教室へ。ワタシの方は来週の仕事の予告があったりして、休みぼけモードも今週限りになりそうな雲行きなので、今のうちに休みぼけを満喫しておこうと、のんびりと小町横町をそぞろ歩き。小町はトピックのタイトルを見るだけでも「へ~」の連発になる。えっ、そんなことが悩みなの?(へ~)。えっ、そんなことで激怒するの?(ひぇ~)。う~ん、「~ですよね/ではないですよね(同感しなさい!)」って言われてもなあ・・・(うへ~)。ちょっと見には「専業主婦対兼業主婦」、「子なし対子持ち」などなど、相変わらずの角突き合いの二項対立社会だけど、小町の井戸端はまさに「へ~話(わ)」会議の場。

少子化の影響なのか、最近の日本では「妊婦様」なる種族がいばっていて、「妊婦バッジ」とか「マタニティマーク」とかいうものをつけてお通りになるそうな。最初にタイトルで見つけたときはナチがユダヤ人に付けさせた「ユダヤ人マーク」を連想してしまったけど、どうやら現代版「葵の紋所」のようなものらしい。で、無事ご出産と相成ったら、「子育ては大変なんだから(好き勝手していいでしょ)」という子連れ様のお通りということになるらしい。うへっ、人口ってのは頭数さえ増えればお国の将来が安泰ってもんじゃないと思うんだけど。

「婚活」という流行言葉に続いて、「離活」なんてコワイ言葉が出てきたと思ったら、おやおや「恋活」なんてのもある。結婚する前にまずは恋愛をしとかなきゃってことなのかなあ。(結婚してから「恋愛」する人だってたくさんいるけど。)まあ、「恋愛がした~い」というのは今も昔も変わりないんだろうな。恋愛そのものがしたいのか、1人の人を夢中で愛したいのか、そのあたりは不明だけど、恋活もやっぱり「初めに条件ありき」なのかな。その婚活ってのも、年収とか職業とか年令とか、諸条件に会う相手を選び出すのがなかなか大変なことらしい。で、めでたくご成婚となったらなったで、今度は「結婚生活ってこんなものですか?」と失望が芽生え、やがてお金の悩み、浮気の悩み、義家族の悩みなどなど、結婚生活にまつわるありとあらゆる悩みが湧き出してきて、「へ~話」は続く・・・。

今「お気に入り」に入れてあるのが『他人のイライラする行動について』というトピック。タイトルの通り、何につけても他人の「ささいな行動」にイライラしてしまう人の「お仲間探し」。まあ、大都会だったら狭いところにいろんな人間がひしめいているから、「おい!」ってことは誰にもあるだろうし、カレシみたいに狭いところじゃなくてもしょっちゅう他人の行動にイライラしている人も多い。他人の行動がいちいち気になってイライラしてしまうのは、実は他人が自分の想定通りに行動しないことにフラストレーションを感じるからで、その根底には自分の周りに他の人間が存在すること自体を鬱陶しいと感じる心理があるのかもしれないな。あんがい自分でも気づいていない「人間嫌い」だったりして。

源氏物語の解説を読んでいたら、あの時代の高貴な女性たちは家事も育児も、それこそ何もすることがないから「想像を絶するような単調さと倦怠」の中で生きていて、物質的な贅沢を超えて、感情だけをふんだんに消費するという究極の贅沢ができたという、目からうろこのようなくだりがあった。たしかに一日中座っているしかなければ自由に動かせるのはたしかに感情だけかもしれないなあ。ということは、最近は「号泣」、「激怒」、「謝罪」、「土下座」、「どっと疲れる」といったなんか大げさな表現が増えて、イライラ、カリカリしている人が多くなったと感じるのは、単調と倦怠と物質的な飽食の中で感情を贅沢に消費できる社会になったということなのかな。てっきり漢検とかいうブームのせいかと思っていたけど、まあ、なんたらかんたら言いながらも平和だってことなんだ、たぶん・・・。

言葉や文化の壁って何なの?

1月7日。木曜日。いい天気だ。暖かい。きのう飛び込んできた仕事はきのうのうちに仕上げて、今日はまためでたくプー太郎ワタシ。今日は仕事の持越しなんてやってる場合じゃない。ヘアカットとハイライトの予約が午後1時。午前11時半に目覚ましをかけて、朝食もそこそこに出かける。

奥さんのアンナがカラーを入れて、夫さんのジュゼッペがカットという手順。サロンにはまだ自分の店をもっていなくて、椅子を借りているドレッサーが何人かいて、その人たちとお客が揃うと英語、イタリア語、ロシア語、中国語が飛び交って、バックにフラメンコの歌が流れていたらにぎやかなことこの上ない。2時に予約を入れていたカレシが来てアントニオの椅子に座り、最近の諸々の税金値上がりをめぐって喧々諤々。カッカしているアントニオを家ではテレビを相手にカッカしているカレシが「まあまあ」となだめる役に回っているもので、聞いているワタシはおかしくてくすくす笑い。カットだけだから先に終わったカレシが「お金、持ってる?」と言ってきたので財布ごと渡したら、中を見て「うわっ」。おいおい、そんなところでヘンな感心をするもんじゃないでしょうが。そばに来ていたアントニオは「ここにもかかあ天下の仲間がいる」と言いたそうな顔でにやにや。

イタリア、カナダ、日本と、出身国が違っても話が弾むのは、年代が同じだからかもしれない。つまり、国なり、地域なり、ひとつの文化や制度、習慣の中で長いこと生きて来れば、それなりに共通の人生経験を積んで、互いに共感しやすくなるとういことかな。つい先だってカレシと寝酒をやりながら、小町の国際結婚トピでは「国際結婚は言葉の壁、文化の壁に阻まれて失敗しやすい」(だからやめておけ)という意見(助言)が定番だし、その壁の高さを嘆いている人もいすぎるくらいたくさんいるけど、「その壁の反対側から見たらどうなの?」と話題を振ってみた。生まれ育った国も文化も言語も違うんだから、そういう「壁」があってもおかしくないけど、2人の間にあるものなら両方が存在を感じるんじゃないのか、結婚でなくても、カレシの英語教室に来る生徒たちはそういう「壁」があると感じているのか、と。

カレシの見解は、言葉や文化習慣の違いから来る誤解やコミュニケーションのもどかしさのことを言うのなら、「壁」と言えるものはあるんだろうけど、それを「乗り越えよう」と考えるか、「阻まれた」と考えるかは個人の問題。外国人との結婚には破綻したときにそういう体裁のいい口実があるというだけの話で、文化や言葉の違いには責任はない。曰く、「壁、壁って、まるでこっちがベルリンの壁みたいのを作ってのけ者にしているようなことを言うけど、それは違うだろ?要は、自分の言葉や文化や習慣じゃないから思い通りに機能できないのがおもしろくなくて、それをこっちの文化や言葉のせいにしているんだろ?つまり、壁を作っているのは文句を言っている方じゃないの?」と。ふむ、ちょいとキツイ言いかただなあとは思うけど、その通りかもしれないなあ。人間ひとりひとりの性格が違うように国だってそれぞれに性格が違うから、人間と国の間にも「相性」のようなものがあって、それが悪いもので「壁を作られた」と相手をなじるようなことを言うのかもしれないな。うん。

サロンでの話から、あの夜の会話を持ち出して、今まで二人の間で言葉や文化の「壁」を話題にしたことなかったね、と言ったら、「違いがどうのこうのと言う前にキミがさっさと壁を通り抜けてしまったんじゃないか」と、カレシ。へえ、そうだったんだ。ワタシは言葉や文化の違いに苦労したのかどうか、もうずいぶん昔のことで覚えていないんだと思ってたんだけど。てことは、二人の関係がうまく行かなくなっても「壁」のせいにできないし、どっちか、あるいは両方がその壁を取り除く努力をすれば修復できるという道も期待できないってことか。もっとも、「適者生存」と言うから、一緒になって35年も経つのにまだ文化の壁だ、言葉の壁だとぎくしゃくしている夫婦なんかいないだろうけど。

いうなれば松の内明け

1月9日。土曜日。寝たのが遅かったのにしてはカレシはずいぶん早起き。きのうトヨタディーラーにトラックを持って行って、整備のついでに荷台にカバーを取り付けてもらったので、取りに行きたくてうずうずしていたらしい。弟のジムがつけているのを見て「ボクもほし~」と言い出し、ストックにない色ということで特注したのはいいけど、どういう仕組みになっているかを聞かず、調べてもいなかったので、実際に取り付けてもらう段階になって「ひょっとしたら不便になるかも。やめておいたほうが良かったかも」と、くよくよ虫がわいていたらしい。あ~あ・・・。というわけで、朝食もそこそこに「運動がてら」とか何とかいいながら、小雨の中をひとりで歩いて出かけた。いつもだったらディーラーまでエコーで送れというはずだと思うけど、ふむ、いったい何を考えているやら。

昼のニュースを見ていたら、かって老舗のデパートがあったところを再開発した「ウッドワーズ・ブロック」の建物の頂上に赤い「W」を取り付けている様子を流していた。「ウッドワーズ」はバンクーバーの商業発展の歴史そのもので、ワタシが来た頃には商業の中心が西へ移ってしまって、かなり寂れていたけど、地下にあった大きな食品売り場には自社ブランドのものも多く、カレシが子供の頃はピカイチのデパートだった。レンガの建物で、床は木造らしく、歩くとコトコトと音がしたし、まだ木製のエスカレータもあって、バンクーバーよりずっと大きな都会の札幌から来たワタシの目には「ど」がつくほどダサ~く見えた。実際に、ダウンタウンの中心が移動するのを見過ごしたために急速に貧困地区になったダウンタウンイーストサイドに取り残され、しまいには同族経営による「お家騒動」で経営が混乱し、「創業百年」を祝ってまもなく、ベイに売られて「Woodward’s」(1892~1993)は姿を消した。その本店の跡地が「ウッドワーズ・ブロック」として再開発されて甦り、あの「W」も戻って来たというわけ。[写真]

ゆっくりと回転していた赤い「W」は、ショーウィンドウのモーター仕掛けのクリスマス飾り、毎週火曜日の「Dollar-Forty-nine Days(1ドル49セントセール)」(とそのコマーシャルソング)と共に、いわばバンクーバーっ子の原風景のようなもので、十数年の紆余曲折を経て、分譲コンドミニアムと公営アパート、大学キャンパス、劇場や娯楽施設、ショッピングセンターなどを網羅した総合開発の仕上げとして、昔と同じエッフェル塔風のタワーの上に戻って来たというわけ。ただし、オリジナルの「W」は老朽化が激しかったため、地上に展示されることになり、塔の上に取り付けられたのはアルミとLEDライトのモダンな複製だそうな。よそから来た人には「こんなものに何で騒ぐの」と言われそうな、ごく単純なデザインの何の変哲もない赤い「W」なんだけど、バンクーバーっ子にはいろんな感慨を呼び起こすシンボル的な存在で、ワタシにもやっぱり懐かしい。来週末には「点灯式」があるとか。

トヨタのディーラーまでは歩いて30分程度なので、「じゃあね」とカレシを送り出して、ワタシはクリスマスツリーの解体作業。クリスマスから12日目にあたる1月6日の「Epiphany(顕現日)」の前夜にツリーの飾りを外す習わしがあって、ちょうど日本でもお正月気分が抜ける頃でもあり、ワタシもだいたいは6日あたりにツリーを片づけることにしているけど、今年はそれが週の中日だし、きのうの金曜日はマリルーとママとマリルーの親友で引退したばかりのブレンダがディナーに来ることになっていたので、週末まで待つことにしていた。まずはツリーから外した飾りをテーブルいっぱいに並べ、ガーランドとライトを外してから、上下に分れるツリーをたたんでそれぞれ紐で縛る。飾るときは1週間もかかったけど、ここまではあっという間。飾りを段ボールにしまいこむとなると話は別。年々数が増えるのを同じ箱に格納しようとするから、立体ジグソーパズルをやっているようなもの。それでも今
年はまだ全部ひとつの段ボール箱に収まった。[写真]

これでクリスマスに始まったホリデイシーズンは終わり。いうなれば松の内が明けたようなものかな。年をとるほどに時間の足が速まるような感じがするけど、次のクリスマスまで、できるだけゆっくりと穏やかに時が過ぎてくれるといいなあ・・・。

羽ばたけない鶴丸の翼

1月10日。日曜日か。日本ではもう(というか、またもや)三連休の休みということで、今日は静か。だからというわけじゃないけど、目が覚めたら午後12時半を過ぎていた。二人してなんと9時間もぐっすり眠ったことになるから、驚くべきか、呆れるべきか。ワタシはおかしな夢を見ていた。会議の会場みたいで、知っている人だったか知らない人だったか覚えがないけど、いろんな人と(どっち語だったか覚えがないけど)おしゃべりをしていた。どこかのフードコートでのランチタイムだったらしい。ふだんはフードコートのようなところ食べることなんてないのに。これだから夢ってのはおもしろい。だけど、せめて春の会議でやるプレゼンのヒントになるような夢だったらもっと良かったのになあ・・・。

どうやら日本航空が会社更生法を申請するらしい。上場も廃止になるらしい。株主優待を目当てに株を買ったらしい個人株主が38万人もいるんだとか。そういえば亡き父もどこのか忘れたけど、そういう特典をくれる株を持っていたような気がする。「株を買って○○をもらおう!」みたいなのは聞いたことがないから、きっと日本独特のものなんだろうな。あんがいそういうのもこのご時世では足かせになったのかもしれない。退職したパイロットの年金は相当なものらしいけど、給料だって相当なものだったらしい。バブルの最盛期に日航の機長がバンクーバー線で飛んで来るたびに投資物件はないかと電話をかけて来た。日本に億単位の資産を持っているという話で、円高だったものでまさに「お金がうなっている」という感じ。ついぞ顔を拝むことはなかったけど、ワタシがカナダで見た典型的なバブル日本人のひとりだった。へえ、日航の国際線機長の給料ってそんなにすごいんだ~と、半ば呆れていたっけ。この人も今頃はきっと年金の30%カットに同意するかどうか、苦渋の決断を迫られているかもしれないなあ。

航空業界に寒風が吹き始めたのは、たぶん世界的に規制が外されて運賃の値下げ競争が始まったあたりからだろうな。安ければそりゃあもっとたくさんの人が利用できるようになる。たくさんの人が手軽に世界のどこへでも行けるようになる。人が世界の隅々までどんどん動き回るようになる。人の交流がどんどん広がる。だけど、その代わりサービスの質はどうしようもないくらい低下した。この世に本当に安くて質の高いものはないから、安いということはそれなりの理由がある。安くするには経費の削減が不可欠で、それは削減できるところから始まる。1970年代くらいの日航はサービスで世界ナンバーワンだった。日本語をしゃべらなければ、もう感激してしまうほど良かった。(日本人客と外国人客では本当に態度が違っていた。)それが、おととし乗ったときには、日本人が最低だと文句をいう欧米流の「サービス」があたりまえになっているワタシでさえ「なってない」と呆れるような水準だった。あのときにはすでに凋落の坂の下まで来ていたということだろうなあ。

もしも、仮に昔のように運賃の規制を復活させて、今よりもずっと高くなったらどうなるんだろうな。大昔のように客船で1週間くらいかけて海を渡るようになるのかな。(ワタシが子供の頃にはまだそういう船会社があったのだ。)急がない人にはそれも悪くないかもしれないけど、今はどこを見てもみんな携帯やブラックベリーを耳にセカセカ、スタスタだから、時間の感覚をリセットしなきゃダメかな。まあ、観光客はかなり減るだろう。ワーホリやお留学もやりにくくなるだろうな。国際結婚組は毎年の最低1回のお里帰りが難しくなって、「おうちがだんだん遠くなる」か。気軽に実家へ帰れないとなると、「外国暮らし」の魅力も半減するかもしれないなあ。いずれにしても、人の動きが淘汰されるってことなんだろうけど、テロリストもやりにくくなりそうだから、あんがい空の旅は今よりも安全で快適になるかもしれない。まあ、ネットの時代の今は空間を越えた人の交流を可能にする技術が山ほどあるんだから、別に物理的に何千キロも移動しなくたって「国際交流」はいくらでもできるんじゃないの?その方が化石燃料を燃やしてぶんぶん飛び回るよりはずっとエコでいいと思うけど。

さて、4月の日本行きは、やっぱりエアカナダだな。サービスは元からあってなきがごとしだから気にならないし、日航に乗っだって英語でも日本語でもサービスがなってないんじゃ、もう同じことだしね。逆に、ワタシにとっては(かなり質は下がったとはいえ)おすましサービスよりも、エアカナダ流の客室乗務員とスモールトークができる「ため口」サービスの方が絶対的に居心地がいい。空の旅も変わったけど、時代も変わったし、ワタシも変わったし・・・

身につくか、ビジネス習慣

1月11日。ちょっと寝つきが悪くて、やっとぐっすり眠ったと思ったら、外で轟音。月曜日だから、仕事日だということはわかるけど、何なんだ。同時に目を覚まして、ムカッと来たらしいカレシ。起き出して窓の外を見たと思ったら、そそくさと着替え。そこでワタシはまた眠ってしまったらしく、またの轟音で目が覚めたら、いつのまにかそばにカレシがいる。夢でも見ていたのかなあと、しばしうとうと。結局は「轟音」がしつこく行ったり来たりするので起きてしまった。犯人は道路清掃の車。この大雨の中をごくろうさなまことだけど、家の横の歩道に立っている標識はたしか寝た頃にはまだなかったような。カレシによると、目が覚めて外を見たらいつの間にか標識が立っていて、清掃車が見えたから慌ててトラックをどかした。でも、標識には道路を清掃する日時が書かれていないとか。今までだったら遅くとも金曜日には標識を立てるのに、ちょっといい加減だと思うけど、市役所。

夜来かなりの大雨だったらしい。まだ大雨注意報が出ている。まだあと50ミリくらい降るって、と言ったら、「50ミリってどれくらい?」とカレシ。う~ん、2インチくらい。「うへっ」。パイナップル特急は団子で来るからなあ。午後の気温は摂氏11度で春のような陽気。。だけど、オリンピックでフリースタイルスキーやスノーボードの会場になるスキー場では大雨で解けた雪が流されてしまって、あちこちに地肌が出ている。道路は川、駐車場は湖。あ~あ、オリンピックまであと1ヵ月だってのにどうするのかなあ。いっそのこと、水泳選手や陸上ホッケーの選手を連れて来て、夏のオリンピック種目でもやってみる?ひょっとしたら2年後のロンドンで雪が降るかもしれないし・・・

というわけで、ヘンな起きかたをしたせいか、外が暗いせいか、仕事のない1日はだ~らだら。ブログの画面を開いたら、ランキングの欄に『2010年に身につけたいビジネス習慣』というのがあった。日本のビジネスピープルはどんな習慣をつけたいのかなと、ちょっとのぞいて見たら、何だか耳の痛そうなこともあるなあ。まずナンバーワンから検討してみるか・・・

1. 朝早く起きる ― これは最初っからアウトだな。もっとも就寝時間から見たらけっこう早起きしているうちに入るだろうけど。
2. 「目的」を常に考える ― 目的観のないビジネスは立ち行かないと思うけど。
3. 机の上は常に整理整頓する ― 年末の大掃除?をしながらそう思ったことでもあるし・・・。
4. 新聞を読む ― いつも読んでるからOK。ビジネスに世界情勢や経済の知識は不可欠。
5. 気持を切り替えるために趣味を持つ ― 趣味には困らないんだけど、やる時間が・・・。
6. 言われたことはすぐやる ― あ、いてっ。
7. チャンスに対して自分から手を上げる ― うん、そうしよう。積極性はかなりあるんだし。
8. 人の話を最後までよく聞く ― 人の話を聞きながら同時進行で対応を考えていたりするのがワタシの得意技(でもないか)。翻訳・通訳の訓練と関係があるのかどうか・・・。
9. ビジネス書を読む ― 誰がこうして成功したとか、こうすれば成功するとか、めんどくさ・・・。
10.定期的に振り返りをする ― 私生活に関してならけっこうよくやっているけど。

ついでに・・・
11.もらったメールにはすぐ返事をする ― せっかちだなあ。ま、本当に急ぎなら「大至急」の赤丸をつけて送って。
(12~19は省略)
20.短い昼寝をする ― なんで20位なのか知らないけど、大いに励行したいこと第1位かな?

これだけのビジネス習慣をしっかり身につけたら、ワタシもれっきとしたビジネスウーマン?あやしいもんだなあ。ま、気合いを入れて、がんばってみるけど・・・。

さすがはお役所仕事!

1月12日。朝、また早くから轟音で目が覚めた。カレシが起き出したけど、すぐに戻って来た。そっか、今日はゴミの収集日だったっけ、ということでまた眠ってしまった。正午過ぎで目を覚ましたら、雨、ひと休みの朝。着替えをして、何の気なしに窓の外を見たら、ありゃ、トラックがない!

きのう道路清掃のために歩道脇の芝生に立てて行った「駐車禁止」の標識はまだそのまま。でも、掃除は終わったのに、と思いつつカレシに「トラックがないよ」と報告したら、「盗まれたんだ!」と反応。「標識がそのままだから、市役所が勝手に動かしたんじゃないかと思うんだけど。起きたときに外を見なかったの?」と聞いたら、「見たけど、見なかった」。外は見たけど、トラックは見なかったのか、それとも見えなかったけどないとは思わなかったのか。どっちにしても、トラックがなくなっていることには気がつかなかったってことか。外に出てT字型の交差点を見渡して戻って来たカレシに、とりあえず、市役所の清掃課に問い合わせたら?と提案。

番号を調べて電話したカレシ、状況を説明しているうちにだんだんに語気が荒くなって来る。標識には「月曜~金曜」と書いてあったと主張しているらしいけど、カレシは「書いてなかった。いつだろうと思ってよく見たんだからまちがないない!」とやり返す。市が違法駐車の車などを牽引していく保管場にはカレシのトラックはないらしい。それじゃあどこへ持って行ったんだと聞いても、(牽引するのは市が委託した民間のトーイング業者なので)どうやら「わかりません」の一点張りのようで、ガッチャンと電話を切ったカレシはまた外へ出て行った。結局、トラックは何と2ブロック先の、しかも角を回った場所にあった。戻って来たカレシは今にもぶっちぎれそうな、まさにこれぞ本物の「激怒!」という顔をしているから、ワタシはそうっと退散。少ししてキッチンに現れたカレシ、「少し落ち着いたぞ。うん、落ち着いたぞ」と独り言をいいながら、再度市役所の清掃課に電話。かんしゃく玉を破裂させないようにがんばったようで、なんだかいとおしくなっちゃったけど、う~ん、キレるのも、キレないのも、血圧には良くないよなあ・・・。

かなり冷静な口調で、トラックを見つけたこと、清掃が終わったのに駐車禁止の標識はそのままなこと、標識には駐車禁止の時間だけで日にちが書かれていないこと、責任者と話したいこと、その責任者のタイトルは何なのか・・・。責任者の名前と電話番号をもらってかけ直し、ボイスメールに「かくかくしかじかの経緯につき、確認を取りたく、折り返し電話をください」とメッセージ。「駐車禁止の日付がない」という証拠を残しておこうと思い立ったワタシがカメラをつかんで外へ出てみたら、あれ、標識がなくなっている。よく見たら、1ブロック先の道路のど真ん中に市のトラックが止まっていて、標識を引っこ抜いているやつがいる。最初に問い合わせの電話をしてから15分も経っていないのに、何たるすばやさ。いつもこのくらい敏捷に動いてくれたら、市民生活はもっと快適なのになあ・・・。

端的に言うと、清掃が済んだのに標識を撤去しなかったため、清掃地域を回っていたトウトラックの運転手が移動させたという話。なにしろ清掃車を走らせる課と交通標識を立てる課が違うから、きっと清掃課の方は交通課が忘れたのが悪いと言っているんだろうな。まさにお役所仕事の見本みたいなもんだけど、おかげで「盗まれた!」と一瞬心臓が飛び出すような経験をさせられる方はたまったもんじゃない。それにしても、標識が立ったからトラックを移動させて、清掃が終わったのを見届けてから元の場所に戻したのに、市役所が標識を撤去しなかったのがそもそもの問題で、移動した場所は我が家の外と同じ居住者専用指定区域だから駐車違反チケットを切られるかもしれないと言われて、これ以上めんどうなことになってはいかんと、「即刻撤去」の指令を飛ばしたんだろう。

考えてみたら、清掃トラックを運転して通り抜けるだけの作業なのに5日間も駐車禁止にするってのもいい加減な話だけど、お役所仕事がいい加減なのは世界共通だもんなあ。それでいて、自己防衛となると、お役人はほんっとにすばしっこいのだ。やれやれ・・・

バブル時代の普通の人って?

1月13日。てんやわんやのきのうと違って、今日は穏やかな目覚めで、ちょっとのんびりの午後。若々しいつもりでいてもやっぱりそれなりの年令だもんで、どたばたするとくたびれるのだ。特に、ぶっちぎれずにがんばったカレシは「どっと疲れた」といったところだっただろうな。大人ってけっこう疲れるんだよね、ほんと。どうりで子供のままでいたい人間が多いはずだなあと思うけど、そうしてもらうわけにもいかないのが人類が築いてきた社会の要求・・・。

のんきに小町をのぞいていたら、『バブルOL世代って・・・』というトピがあった。アラサーとかいう世代のOLが後から入ってきた「バブル時代に20代だった」40代の人たちに何から何まで指示待ちで、言われたことだけをやって給料をもらうというのが多いと言っている。さっそく槍玉に挙げられたバブル世代が「偏見だ」と反撃し、「氷河期世代」はそれに反発し、果ては「ゆとり世代」を槍玉に挙げて、二項、三項入り乱れての対立。ある書き込みの曰く、「バブル世代、氷河期世代、ゆとり世代…まとめておけば楽だし、どこかに入らせてもらえば「時代のせい」「社会のせい」って言い訳がきく」と。なるほど。だけど、砂場の子供たちのけんかじゃあるまいし、どうしてこうもすぐ「組」に分れてそっちがこうだから、そっちこそああだからという非難合戦になるんだろうな。炎上するローマを眺めながら竪琴を奏でていたのは暴君ネロだったけど、日本の社会の背後に国民を二分して対立させて、高見の見物をしてほくそ笑んでいるやつがいるんじゃないのかなあ。それが政治なのか、ビジネスなのか、マスコミなのかは、ワタシにはわからないけど、「○○組対××組」の不毛な議論を見ていると、何となくそんな気がしてくる。

だけど、かの有名な「バブル」については、ほんとうにどんなものだったの、もっと知りたいと思う。そう思うんだけど、経済や政治の観点から見たバブルの記述はたくさんあって、中でもWikipediaの解説はかなりの量なので大いに参考になるけど、日本の社会という視点から見た記述はあまりないように思う。ワタシが出会った「バブル時代人」は札束を抱えて「ニッポン人様のお通り」と言わんばかりに肩で風を切って歩いていた成金投資家たちか、上司がワタシのアシスタントとして雇ってくれた(ひとりを除いてまったく使いものにならなかった)ワーホリのお嬢さまたち。ワタシに「日本人と結婚しないで損したねえ、あんた」とのたまわったおじさんもいたし、「白人のおネエさんのいるところ教えて」と夜遊びの相談を持ちかけてきたおじさんもいたし、毎回違う「奥さん」を連れて来たフーゾク成金のおじさんもいて、みんな「安い、安い」と不動産を漁っていた。ワーホリお嬢さまにいたっては、何を頼んでも「できな~い」、「わかんな~い」。遅刻して来ては「私ってこんな子じゃないんですよぉ」と悪びれずにおっしゃる。たがが外れっぱなしで、ワタシの仕事を増やしてくれただけだった。

だけど、なのだ。いくら日本が金満大国になったからといって、日本中の人があんな振る舞いをしていたわけじゃないはず。ひょっとしたら、バブル日本というのはバブル東京のことで、バブル人も東京に一極集中していたのかもしれない。それでも、東京中の人がみんな成金だったわけじゃないはずで、バブルのご利益に預からなかった人たちの方がずっと多かっただろう。そういう人たちは濡れ手にバブル踊りに浮かれていた人たちをどんな目で見ていたんだろう。冷ややかな目で見ていたのか、妬ましい思いで見ていたのか、関係ないやとそっぽを向いていたのか。どうなんだろう。バブルに踊らなかった、あるいは踊りの輪に入れなかった「普通の日本人」はどんな暮らしをしていたのか、ワタシはそこが知りたいんだけどなあ。

よけいなことだけど、書き込みを見ていたら、思わず膝を叩いた「誤変換」があった。「人権費削減でカツカツの職場環境・・・」というもの。労働人口の三分の一が非正規雇用とかで、おまけに派遣切りに育休切りに・・・。「人権費」の削減とは、言い得て妙とはこのことか・・・。

結婚は生活、生活はお金

1月14日。すごい雨。大雨注意報が出ている雨。山の雪、盛大に解けるだろうなあ。しらないよ、オリンピック。

この雨の中、工務店のマイクが見積もりを持って来た。まあ、我が家は改装プロジェクトはもう何回目かで慣れていて、およその見当はつくから、「まずは悪い知らせ」とマイクが差し出した見積書の合計数字を見て、「まあ、こんなもんでしょうね」。マイクの方が拍子抜けした表情で、項目ごとに細かな説明。小さなバスルームだけど、壁も天井も床もすべてを取り壊す全面的な改装なので仕事そのものはかなり大がかりになる。床暖房に切り替える電気工事も大がかり。シャワーは設置場所の寸法に合わせての特注だし、狭いところなのでシンクを置くキャビネットも特注。キッチンの窓の下におく本箱も特注。そんなこんなで、請負手数料や税金を加えると3万ドル。来週の火曜日か水曜日に開始して、工事の項目が移るときに多少のオフの日をはさんで約4週間。早起きモードに切り替えて、工事のある日は真夜中みたいな午前7時半起床。うはあ、大変だ・・・

マイクが手付金の小切手を持って帰った後、「この金額でどうなんだ?」とカレシ。うん、予想の天井をちょっと出たけど、特別仕様が多いからこのくらいにはなると思う。カレシは「ふ~ん」と納得したのかしないのか。まあ、ふだん家計管理をワタシに任せっぱなして、どのくらい流動資金があるのか把握してないんだからしょうがない。この口座にいくら、あっちの口座にいくら、ついでにINGにいくらで、合わせてこれだけ、と説明したらやっと納得がいったような顔になった。あの、イチャモンつけるの、もう遅いからね。でも、特別の税額控除が満額の1350ドルになって、4月の確定申告で半分ずつ税金から控除できるからいいじゃない。それに老後の算段ができた後は、お金を貯め込んで「こんなに貯まったぞ~」と数えたってちっとも楽しくないでしょうが。そういうお金は有意義なことに使って初めて価値があるんだから、役立つことに使って楽しまなきゃ。

それでもなぜかお金のことが頭から離れなかったのか、食事をしながら「ボクたち、お金のことでは一度もけんかしたことがないね」と言い出した。そうだねえ、ほんとにお金のことでもめたことはないよね。「カップルのけんかの最大の原因はお金なんだってさ」とカレシ。そうなんだって。それは洋の東西を問わないことらしい。たぶん、「自分のお金は自分のもの」と考えるようになって、「私たち」という観念が薄れて来たからじゃないかと思う。まあ、男女同権、機会均等の副作用なのかもしれないけど、ここでも互いに「損をしたくない」心理が働いているのかもしれない。まあ、結婚はたしかに「生活」だし、日常生活にはお金がいることもたしかなんだけど、近頃はその「結婚生活」を2つの「一人暮らし」のようにとらえて、それぞれが重なる部分の費用を「合理的に」配分しようとしているような印象もある。だから、「自分は~なのに不公平」とか「自分ばっかり負担して損だ」とか言い出すんだろうな。割り勘デートはいいとしても、結婚てのは割り勘では割り切れないもんなんだけど。

いろんなことにルーズで、特にお金に関して「ルーズ」を絵に描いたような母親の下で育ったカレシのパパは、結婚以来ずっとママに給料をそっくり渡して家計を一任していた。毎日食卓にご飯が出てきたらそれで良かったんだそうな。実際のところは、大人の人間として自立しないままだったんじゃないかと思うけど、ママは共働きしながら家事全部と家計管理と3人の子育てを背負わされていたようなもの。それを見て育ったカレシもあたりまえのように働いているワタシに家事も家計もそっくり丸投げしたんだろう。だけど、「結婚生活」をすべて相手に丸投げというのは、おんぶに抱っこの「依存症」ってことにならないのかなあ。それってちょっと危ないんじゃないかと思うんだけど・・・。

泊りのお客、遠方より来る

1月15日。夜の間、かなりの大雨だったのか、何度もめが覚めた。今日はデイヴィッドがトロントから来る日。朝の5時に起きて早朝便に乗って来るけど、時差が3時間遅れのバンクーバーでは午前2時で、少し早めに寝ようかという時間。目的はパパの90歳の誕生日祝い。(日曜日にホームのパーティルームを借りて家族が集まっての昼食会がある。)目覚ましを10時半にかけておいたけど、結局は10時を過ぎたところで目が覚めた。ふむ、雨は小雨に近いけど、まだちょっと風がある。

空港でレンタカーを借りて、デイヴィッドが我が家に到着したのは午前11時過ぎ。こっちは朝食を済ませたけど、ランチの時間を過ぎているので、ハーブパンをトーストして、パテとチーズの軽食。カレシとおしゃべりをしている間に、ベースメントの部屋をちょっと整理してフトンを敷けるようにする。そう、我が家のお客さまベッドは「フトン」。日本の布団をまねたもので、十何年か前には折りたたんだりの融通が利く安くて手軽な家具として、若い人たちにかなり受けて、専門店までできていた。今はあまりないような気がするけど、なにしろ融通が利くから正式な「ゲストルーム」のない我が家では便利グッズ。

まずは地下鉄でWhole Foodsへ行って、帰りに酒屋でワインやその他諸々のお酒を仕入れることにした。返す空瓶を車に積んでモールの近くに止め、そこの駅から地下鉄に乗る。デイヴィッドは橋梁が専門の土木エンジニアなので橋や鉄道にはいつも興味がある。去年開通したばかりの地下鉄に乗るのは今回が初めて。ちょうど良く前の車両の前の方に乗れた。早速レールの周りにかなり水がたまっているのを見て、「接続部分から雨漏りしているんじゃないか」と指摘。この2日ほど大雨が続いたけど、こういう気候だからあんがい水はけの処置はしてあるんじゃないかなと思うけど。

食料品を仕入れて外へ出たらまぶしい日が差していた。天気予報は晴れるなんて言ってなかったけど、こういう「外れ」には文句は言いっこなし。元の切符でモールの駅まで戻って、車を酒屋に回して買い物の第2ラウンド。かなり在庫が薄くなっていたので、ワインといっしょにコニャックもバーボンもスコッチもまとめて補充。白を中心にいろいろと合わせて2ダースちょっと。男性の荷物持ちが2人もついているっていいもんだなあ。ワインを詰めた段ボール箱を納戸の中のセラーまで運んでもらって、バラエティごとに仕分けしながら整理。初めてラックが満杯になった!

今夜は我が家でディナーということにして、軽く3コースにサラダとデザート。仲の良い兄弟なので話が弾む。家族の昔話を通して、いろいろな背景情報がワタシの耳に入ってくる。元々おとなしいジュディがお母さんの締め付けでシャイな子に育って、学校ではジョークの種にされたり、苛められたり。そのおかげで未だにどうしても自分に自信をもてなくて、人生の大きなマイナス要素になっているという話。大学生の頃に、教会の庭の芝生を刈っていたジュディに、たまたま友だちと車で通りかかったデイヴィッドが(ナンパ気分で)「手伝ってやろうか」と声をかけたのがきっかけで付き合い始めたとか。ジュディにとっては初めて(で最後の)のボーイフレンドだったそうな。二人は今年の夏で結婚満35年になる。子供の頃の話になると、カレシもデイヴィッドも早くからパパの本質(幼児性)を見抜いていたこと、ティーンの頃の悪さの数々が、今になれば「笑い話」として語られるけど、そばで聞きながら、家族って、子育てって、友だちって・・・人間関係って難しいなあと改めて実感した。

明日は地下鉄でダウンタウンまで出て、しばらく見ていないウッドワーズ周辺を散策して、Rodney’sで生牡蠣のディナー。ついでにイェールタウンで人気のバーGeorgeにも寄ろうかという話になった。それでは、兄弟が話に花を咲かせている間に、きのう「閉店間際」に駆け込んできた仕事をできるだけやっておこう・・・。