リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

自分にできることをできる範囲で

2013年11月15日 | 日々の風の吹くまま
午前10時15分に目覚まし。今日は非営利団体の資金集めイベントなどをやる人たちの協
会が主催する「ナショナル・フィランソロピー・デイ」の表彰式と昼食会があるので、オレンジ
ジュースでしゃきっと目を覚まして、小雨の中を地下鉄でダウンタウンへ。会場の大ホール
はオリンピックのときにできたコンベンションセンターにあって、うわっ、ゆうに千人くらいは
来ていそう。Arts Clubのテーブルには芸術監督と寄付者担当のナターシャ、パルミーダ、
キャシーの3人の他に、招待客として私たちの他4人。

歓迎の挨拶があって、まずランチ(私たちには朝食)。ローストチキンはふっくらとしていて、
こういう大人数のイベントの食事としては格段においしかった。食後は社会福祉や文化事
業の資金集めをしたり、寄付をした人たちや団体の表彰式。いかにも裕福な環境で育った
らしい人たちがほとんどで、「できることをしただけ」と言いたげな、さらっとした受賞スピーチ。
でも、集めたリ、寄付したりした額を聞くと、ワタシの寄付など小さい、小さい・・・。

社会的地位があるから何億も集められるし、富裕だから多額の私財を寄付できる。できる
からやるまでのこと。隣の紳士も、Arts Clubが市からリースする新拠点について、「役所に
干渉されたくないので、自分で全額出して劇団が買い取れるようにする」とこともなげに言う
ので、庶民とは桁違いだと感心していたら、ある受賞者が「できることでやりたいと思うこと
をできる範囲でやるというのは、誰でもできることです」と言った。目からうろこがポロリ。そう、
ワタシだってできることでやりたいことをできる範囲で」やっているわけで、たとえArts Club
への貢献度は微々たるものでも、幸せ感はこの紳士と変わらないと思う。

世の中には演劇や美術、音楽のような「娯楽」の支援はやる人の自己満足であって、ほん
との社会貢献じゃないと言う人もいるだろうけど、貧困撲滅や病気の根絶だけが社会事業
だというのはちょっと傲慢じゃないのかな。だって、貧困や伝染病はなくなったけど、原始の
ストーリーテリングから発展して来た「娯楽」もなくなった世界で人間が幸せだとは思えない
もの。社会や人間の役に立つことなら何でもいいから、自分にできて、やりたいと思うことを、
自分にできる範囲でやる・・・それがフィランソロピーというもので、それで人生が幸せなら言
うことなしじゃないかな。

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