リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年9月~その1

2007年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
昔と今・・・

9月1日。今日から9月。夏休み最後の三連休の初日でもある。別に関係はないけども、何となく改まった気分で、さあ、仕事にかかろうかと思ってしまう。ま、今日はまずトライアルを済ませなくちゃ。

市役所ストは7週目。新聞の調査によると、最初は組合の肩を持つ市民が多かったのが、今では激減したそうだ。あたりまえだよなあ。賃上げの方は雇用者側の提案で不足はないが、委託などでポジションがなくなってもレイオフはしないという一文を入れろといっているらしい。要するに、仕事はなくても雇って給料を払えということだけど、委託でポジションがなくなれば組合員が減る、組合員が減ると組合費の収入も減る。組合にとってはそっちの方が困るのだ。もちろん、市役所は冗談じゃないと突っぱねる。彼らの給料を払う市民だって冗談じゃない、いい加減しろという気持になる。

カレシはかって市役所職員だったから内部の「風土」みたいなものを良く知っている。きっかけは高校時代の夏休みのアルバイトだったそうで、そのままドロップアウトしようと考えたのが上司に卒業して来いといわれて学校に戻り、翌年卒業して正式に就職した。仕事は測量の助手みたいなものだったそうだけど、そんなに毎日測量する道路や歩道があるわけではない。雨の多い冬は事務所で仲間たちとポーカー三昧。晴れた夏の日は上司が「今日は遊んどれ」とテニスコートに置いてけぼりでテニス三昧。退屈してデスクワークの仕事に移動したら上司に「テニスできなくなってもいいのか」といわれ、デスクワークも単純だったので、大学へ行こうと決めて辞めたら「どうして大学なんか行きたいのか」といわれたそうだ。まあ、当時はまだ大学卒よりも「たたき上げ」の方が尊重されていた時代だったらしいけど、「英国病」的な職場なのだ。

9月7日はバンクーバーでアジア人排斥の暴動が起こってちょうど100年になるそうだ。まだ小都市に過ぎなかったバンクーバーで、9千人もの白人市民が市役所にデモをかけ、アジア人移民阻止の集会を開き、その一部が暴徒と化して中華街や日本町を襲撃したという。集会には労働組合の有力者や政治家も参加していた。労働組合の指導者は「アジア人に職場を奪われる」と煽り、政治家や聖職者は当時の大英帝国の優越感丸出しで差別を煽った。それが1907年のカナダ、百年前の世界だった。だけど、ここで「白人は人種差別者」と決め付ける前に、1923年の大震災直後の日本で何が起きたかを考えてみるといいだろう。驕れる者は内心で常にしっぺ返しに恐れ戦いているから、どんなきっかけも攻撃の口実にするということを。

来週は暴動から百周年を記念する集まりがあるそうだけど、「You’ve come a long way, Vancouver」と多民族都市バンクーバーへの百年の歩み祝うものになるらしい。一世紀を経て、メトロバンクーバーでは人口の5人に2人がアジア系。異人種カップルの割合は100組に7組とカナダ全国平均の二倍以上だし、異人種婚を容認する人の割合は95%にもなっているという。差別した方も、差別された方も、共に世代を重ねながら100年かけてここまで来たのだ。だからこそ、何百年経とうが変わりそうにない島国の単一民族国家の驕り高ぶりを多民族都市バンクーバーに持ち込まないでほしい。

ついでにスポーツニュース

9月1日。これ、スポーツニュースの写真、それともメンズ何とか?MSN-Mainichi Daily NewsのPhotojournal(http://mdn.mainichi-msn.co.jp/photospecials/graph/photojournal/index.html)に載っていた世界陸上のひとコマ。

キャプションには「女子1500メートル」とあるけど、何だ、これ?走っている選手たちの後姿を撮ったもの。それも下半身だけ写したものじゃないか。カメラマンの私的な視線だとしたら、品格と良識のある新聞は採用しないと思うけどなあ。これが「男子1500メートル」だったら、こんな構図を思いついただろうか。

女子選手の後姿にコーフンしちゃったのかな。それとも、日本人男の女性を見る目線はここまで低くなったということ?

ふ~ん、どうりで分別盛りのいい年をして、スカートの中を盗撮したり、女子高生を買ったりして人生を棒に振るアホが多いはずだよなあ。このオヤジ、いったい何を考えてたんだろうといつも思ってたけど。大人の理性も相手の人格尊重もきっと教えられていないんだろうなあ。どんなに尊敬される職業であろうと、高い偏差値が要求される専門職であろうと、理性や自制心が発達していないことではみ~んな5才児と同じ。じゃあ、30になっても幼児的な「かわいさ」を追求する女は何なんだろう?う~ん、もうようわからんわ・・・

長けりゃ良いってものじゃないし

9月2日。今朝は目を覚ましてあわててエアコンを止めた。晴天だと起き出す頃には日が高くなってベッドルームのある最上階は温度が上昇するから、天気予報を見て寝るときにオンのタイマーをセットする。でも、今頃の時期になると賭けみたいなもので、起きたらエアコンの設定温度より低くなっていたりするからやっかい。へたをするとエアコンと暖房が同時に入りかねない。もう文句なしに夏と秋の過渡期なんだなあ。んっとに時間の足は韋駄天すぎるのが難・・・

久々に大洗濯。この方面は徹底して悪妻モード。全自動とは言っても、やっぱり仕事にがっちりつかまってしまうと、ちょっとトイレのついでになんてのもめんどうになるから、カレシが下着がなくなるよ~と騒ぎ出すまでお預け。そのために下着なんかひと山どさっと買い込んであるわけだけど・・・

トライアル、ひとつ完了。契約文書だから、高給取りの弁護士になったつもりでやるとけっこうおもしろい。これは無賃仕事だけど、サンフランシスコへ遊びに行く口実になるかも・・・なんて、いらぬタヌキの皮算用をしながら、特に念を入れて、ゆっくりやった。契約文書は何語でもややこしい。昔、ニューヨークの有力な弁護士事務所が作ったらしい、巨額投資の契約書を和訳していたら、「ピリオドはどこだ?」という場面に出くわした。コンマやセミコロンはあるけど、どこまで行ってもセンテンスの終わりを示す「ピリオド」がない。どうなってるんだ~とページをめくって見たら、ひとつのセンテンスが、なんと延々2ページ半も続いていたのだった。ギネスブックに載せても良さそうなくらいの超長文だったけど、そのまま翻訳したところで思考は迷子になるし、脳の配線はショートする。しょうがないから、えいやっといくつもの短文に切り分けて危機を脱した。いやあ、参った、参った。悪文もあそこまで行ったら芸の域だよなあ。

ハムレットで「簡潔は機知の精髄」と書いたのはイギリスのシェークスピアだったけど、弁護士嫌いだったディケンズが活躍していた頃のイギリスでは、弁護士報酬の基準は書類の「ページ数」だったとか。つまり、だらだらと長い文章を書けば書くほど儲かったというわけ。私だって、仕上がりの語数を請求基準になっているところがほとんどだから、訳文がだらだらと長いほど儲かるはずだけど、まあ、そこはやっぱりプロのプライドみたいなものがあるし、簡潔に書いて「機知に富んでいる」と思われた方が気分がいいからなあ。

でも、ブログに書いてるこの日本語、ちっとも簡潔じゃないなあ・・・

バラにはとげがあるのだ

9月3日。ダウンタウンに出るたびに買い込んでくるDVDがけっこううず高く積み上がってしまった。シュリンクラップを破ったけど結局まだ見ていないもの、封さえ切っていないものを合わせて20枚近くある。そんなわけで、きのうは「どれか見る?」という話になって、仕事の予定がきつくなるのを承知しいしい座ってしまった。

見たのはかれこれ20年くらい前の『The War of the Roses』という映画。「ばら戦争」というのはもちろん15世紀のイギリスであったランカスター家とヨーク家の血みどろの王位争いのことだけど、映画は時代劇とは関係がない。20世紀のローズ夫妻の文字通り血みどろの離婚戦争を描いたブラックコメディだ。

ストーリーはダニー・デヴィートが演じる弁護士が離婚の相談に来た依頼人に聞かせる話として展開する。冒頭のオリバーとバーバラの出会いのシーンからして予言的だ。学生同志の二人がオークションでたかが数十ドルの東洋の置物を競り合う。やがて結婚した二人。オリバーはやり手の弁護士になり、バーバラは豪邸で料理やインテリアに精を出す。高級な家具や、豪華なクリスタルや置物のコレクションに囲まれて、まさにセレブの暮らしを絵に描いたようなシーンが続く。

その二人が離婚することになって、財産の分割をめぐってばら戦争が繰り広げられる。バーバラは「私が見つけた家だから」と要求した豪邸は、かって車で通りかかって欲しくなり、速攻で売ってもらおうとしたら、ちょうど所有者の葬式だったという伏線がついている。家を巡っての神経戦はだんだんエスカレートして、しまいにスリラーじみた展開になり、最後には二人とも巨大なシャンデリアと一緒に墜落して死んでしまう。そこで、弁護士は依頼人に言う。「気前よく何でもやってきれいさっぱりと別れるか、でなければ家に帰って昔彼女に恋したときの何かを思い出して、それを手がかりにやり直せ」と。

これは男と女の戦いなんてものじゃなくて、まさに所有欲のぶつかりあいだ。この二人、本当に愛し合ったことがあったのかしらんと思ってしまう。オリバーは最後まで愛しているらしく見えるんだけど、バーバラが仕事を始めると言いだしたときの反応や、ドアや窓に板を打ち付けてバーバラを閉じ込めてしまうところを見ると、どうも所有欲に近い愛のようにも思える。うん、このバラ、いたって鋭いトゲがたくさんある。

離婚話になるたびに、カレシは「オレは手に入るものは全部もらうからな」と言った。私の方が収入が多かったから「扶養料ももらう」とまで言った。きっと、家だって「オレの庭と温室があるからオレのものだ」と主張したかもしれないな。さて、私はどうしただろう。この家は私が設計して、設計図も自分で書き上げて、工務店に建ててもらったものだ。でも、たぶん、そっくりカレシに上げたと思う。なぜなら、文字通り私の「作品」なわけで、家の隅々まで私の手がかかっているから、カレシは「思い出」の中で暮らさなければならなくなる。オンナノコが後釜に来てくれたとしても、「前妻の残したものなんかいや」とくどかれるだろう。そういわれるとカレシはよけいに「オレのもの」にこだわる。前妻の亡霊を追い払いたい現妻との間に戦争が勃発して、私はそれを「Revenge is sweet」と笑って高みの見物という展開。バラはみんなとげがあるんだもん。私にだってこわ~いイジワル心があるのだ、ウフフ・・・

ひとつになりたいの

9月4日。ほら、やっぱり。映画なんか見てしまうから、予定がきちきちになってしまったじゃないか。水曜日の午後が納期だというのに、まだ4千文字以上あるぞ。しらない、しらない、もう。

どうしてかわからないけどやたらと仕事が多い。営業みたいな機能は苦手だと思って、まじめに営業などやったことがないから、本当にどうしてかわからない。頼みもしないのに次々入ってくるから困るのだ。誰に愚痴ってみたところで、同情してくれるどころか、今どきの日本語で言う「ドン引きされる」のが関の山かな。何か損な状況だなあという気もしないではないけど、損だなあと自分で思ったらおしまい。しょうがないから、ブログという穴を掘って、「おうさまのみみはろばのみみぃ~」と吐き出してたら、じゃ、次行こう・・・

長くおつきあいして来た日本の客先に同僚を紹介しようかと思っているといったら、カレシは猛反対。いくら友だちだからって長い間築いてきたものをただでくれてやるのは狂気の沙汰、下請の形でやらせろと。だけど、私はエージェント稼業は不向きだし、友だちの上がりを掠めるようなことはしないし、それに英日はもうあまり興味がわかないの。お客の方だって円安で予算がきついのだ。いくら15年据え置いたレートとはいっても、価格破壊の日本ではすごく高いんだろうと察しは付く。私の方は本来の得意分野での契約の話が続けて来ているから、いい機会だ思うんだけどなあ。ふ~ん、これもカレシの「オレのもの」思考なのかしらん。でも、これは私のビジネスの話なんだけど・・・

とうとう頭にきて言っちゃったもんだ。私は友達から見返りなんか期待しないの。友だちの役に立てるならそれでいいの。そりゃあ、動機が何であれ私を潰そうとした人間はどうなったって知るもんかと思う。困っていても手を貸そうという気など起こらないと思う。勝手にしろと思う。だけど、信頼する友だちはとことんまで友だち。「他人のことなどどうなろうと知ったことか」なんて人間は私じゃない。私の親は私をそんな人間に育てなかったんだから。It‘s not me!と。

もっとも、私としては言語思考の流れをひとつの方向に統一したいという気持もある。その方が老いて行く脳みそには楽でいいと思う。すごくモノリンガルになりたいという気がしてならない。どんなに日本語を書く能力だけは維持したいという気持を持っていても、こんなブログでひっそりと愚痴を吐き出していれば十分という誘惑には抗し難いものがあるのも事実。ある意味、自分という人間を統一したいという気持があるのかもしれない。ふむ、これはもっと深く考えてみなくちゃ・・・

だけど今は石頭のカレシにも、分裂気味の自分にもかまってるヒマはない。腕をまくり直して、仕事をして、生活しなきゃ。だけどなあ・・・

蓼食う虫は乱視

9月5日。間に合った、納入期限1分前に送信ボタンをクリック!やれやれ、最近でこれが一番ぎりぎりだったなあ。どうしてこんなに詰まっちゃったんだろう、ほんと。ま、無事納品して、請求書も送って、一件落着だから、細かいことはどうでもいいけど、これくらいに時限爆弾を抱えたみたいな状況になると、よけいなこ思考にかかわりあっているヒマがない。ちょっと隙間ができれば懸念邪念雑念の洪水になる私にとってはちょうどいい「リセット」タイムなのかも知れないな。だからといって、邪念を払うために仕事をぎりぎりまで引伸ばすわけにもいかないんだけど・・・

小町を見たら、まだ大学生なのに「人を愛するって疲れる」というお嬢さんがいた。おいおいおい、ちょっと待ってよ。まだ20歳前後なんでしょ?その若さで、疲れるのがいや、振られて傷つくのもいやで、自分の容姿にも自信がないからって、「人を好きにならないようにしています」なんてありえる?ふむ、今どき風の若者はやたらと未熟で幼稚な半面、妙に年寄りじみたところもあるんだなあ。まだそれほど人生を経験していないだろうに、いや、していないからこそ、単純に「ON or OFF」で操縦できるのかもしれない。

「そういう男だとわかっていたんでしょう」   いいえ、愛してしまったらあばたもえくぼで、「そういう男」だなんて見えなくなるし、それに見たくもなくなるものなの。

「そういう男と結婚したのはあなたでしょう」   いいえ、私が結婚したのは私が心から愛した人であって、ただの「そういう男」じゃない。世界にたった一人の「この人」なの。

「私なら即刻別れます」   いいえ、それができたら、これほど傷ついて、悶々と苦しんでのた打ち回って、生きる気力が尽きるほど自分を消耗させてないの。愛するって、なんだか超強力接着剤みたいなもんで、手先が狂って貼るところがずれたからって、ぺリッと引っ剥がしてはり直すなんてできないないからなあ。

「人を愛するって疲れる」なんてせりふは、誰かを自分の全身全霊で前後不覚に愛して、何があってもその愛を消滅させることができなくて、傷つきながら、苦しみながら、果てはマゾな自分を呪いながら生きて来て、それで初めていえるもんじゃないか思うんだけど、違うのかなあ・・・

ひとつだけ私に言えるのは、それは、愛すると「強度の乱視」になってしまうってこと。う~ん、生まれつき「正常眼」で育った人には、乱視の世界は説明したって理解できないだろうけど・・・

台風9号?10号?

9月6日。9月になって一応秋のはずなんだけど、ここへ来て何だか要エアコンの夏っぽい天気が続いている。庭のトマトはどんどん熟れてきて、さすがのカレシもてんてこまい。毎日トマトのサラダが続いているけど、すごく甘みがあっておいしい。採れたてだし、第一に何百キロを旅してくる大手スーパーのとは種類が違う。でも、だんだん食べきれない数になってきたから、今日あたりパスタソースを作るんだって。

東京は台風通貨中。日本では今でも番号で呼ぶけれど、世界的にはこの台風の名前は「Fitow」なのだ。ミクロネシアはヤップ島の香りの高いきれいな花の名前なんだそうな。暴れん坊の台風にそんなすてきな名前をつけてもいいのかなと思うけど、アジア太平洋諸国が出し合った160いくつの名前のリストを見ていると、植物や動物、宝石、伝説の人物や、はては食べ物まであって、なかなかおもしろい。どの国もそれぞれに誇りに思うものの名前を挙げたらしいのに、日本政府が出したのは星座の名前。それも日本人がほとんど知らないようなのが多い。クジラ、ヤギ、ウサギ、テンビン、カジキ・・・。どうして日本文化の代表と常日頃誇りにしてやまない「サクラ」、「フジ」、「ウメ」はダメなの?大災害をもたらす台風の名前だから?それとも、「我が国は従来通り我が国独自の制度で行くのでどーでもいいです」なの?どう見たって想像力不足とは思えないから、失望のきわみもいいところ。まあ、こっちまで台風は来ないからそれはいいとして、アメリカのNOAA(海洋大気局)のサイトには世界中の熱帯性サイクロンの名前リストが載っていて、一見の価値あり。

道産子の私にとっては台風はいつも「どっかよその土地のこと」だったけど、台風が通過したらしいと思う記憶がひとつだけある。たぶん中学生になった年だったのではないかと思う。夜通しの嵐の後、朝起きてみて家中がやけに薄暗いと思ったら、なんと窓という窓に塩がびっしりこびりついていた。当時の我が家は裏の芋畑の先は崖で、その先はもう太平洋というところにあった。これまた太平洋を見渡す崖の上にある学校へ行ってみたら、やはりどの窓も塩でまっ白。全校行事で窓掃除があったように思う。まあ、あの嵐がほんとうに台風だったかどうかはわからないんだけど・・・。

さて、次の台風10号は「Danas」になりそう。「体験する」という意味だそうで、出所はフィリピン。もっとも、日本は自国の領域に影響する台風しか数えないらしく、今頃は東北地方目指して北進中の「台風9号」は、一歩日本国外に出ると今年「10番目」のTyphoonということになる。つまり、今年11番目の「Danas」が日本近海に接近すれば、日本の天気予報で「台風第10号」と呼ばれるわけで、まったくもってややこしい。こういうところこそもうちょっと「国際化し」て欲しいもんだけど・・・

Typhoon Lyra?

9月7日。台風9号は自転車並みのスピードだったとか。青森ではまたリンゴが落ちてしまったのかしら。フロリダで寒波が来てオレンジが凍ってしまうようなもので、もったいないなあ。日本列島はちょうど収穫期に台風の通路になるから困ったもんだけど、マザーネイチャーは「乙女心と秋の空」みたいなところがあるからね。どうして今年10番目の台風が日本では「9号」なのか不思議だったけど、ちょっと調べたら謎が解けた。

北西太平洋の熱帯性低気圧を「台風」と認定するのは日本の気象庁。一方で、アメリカ海軍と空軍は合同台風警報センター(JTWC)というのを持っていて、熱帯性低気圧に番号を振って予報を出しているけれど、「台風」という用語は使わない。数が食い違ってくるのは、この両者の認定基準が違うためなのだ。つまり、今年発生した熱帯性低気圧の数は、気象庁の認定基準では9個だけど、JTWCの基準では10個になる。でも、英語メディアはどっちの情報でも台風にしてしまうから、ややこしいことになってしまうわけ。

洞爺丸台風があったのは1954年。日本ではすでに番号制になっていて、あれは15号台風だったけど、国際的にはまだ女性名を使っていて、Maryという名が付いていた。青函連絡船「洞爺丸」が転覆沈没して1200人近い人が死んだから、通称が「洞爺丸台風」になった。高校を出たばかりの年にやっていたNHKの朝の連続ドラマが鉄道員一家を描いた「旅路」。終盤あたりでたまたま会社を辞めて、毎朝見ていたら、洞爺丸のエピソードがあった。あの台風は時速100キロという超スピードだったのが、津軽海峡あたりで急に減速したために船長が判断を誤ったのではないかという話だ。

バンクーバー市役所のストは今日で50日目。そろそろ市民の堪忍袋の緒も切れ始めたようだ。夜陰にまぎれて道路わきにゴミを捨てて行く不届きな輩が増えてきた。今朝は我が家の外の歩道にもゴミ袋があったので、カレシは向かいのゴルフ場に捨てに行った。ちなみにゴルフ場は市営だから、ただいま職員ストで休業中。おまけに街灯が消えていて、修理をする人もスト中なもんで、我が家の前の道路は一寸先は闇の真っ暗。だから、初めっからゴルフ場の方に捨ててくれればいいんだけどなあ・・・

交渉行き詰まりの焦点になっている雇用確保の問題にはオリンピックが絡んでいるそうだ。大会前後は市のスポーツ施設のかなりがオリンピック委員会に収用されるらしいけれど、管理や整備担当の職員も一緒に出向するかどうかわからないし、悪くすればレイオフされるかもしれない。雇用を保証して欲しい、というわけだけど、市にしてみれば、オリンピック委員会の意向がわからないんだから交渉のしようがないということらしい。オリンピック実行委員会はとにかく態度がでか過ぎて気に入らないけど、こんなところにまでとばっちりを食らっているとなると、ますます頭にくる。改めて、オリンピックはんた~い!

まあ、鼻息荒げてないで仕事に取っ組まないと、どんどん積みあがる山を崩すどころか潰れてしまいそう。でも、何となく昔懐かしい「テトリス」をやっているような気分だなあ・・・

女の深情けは怖いのだ

9月8日。暖かな土曜日。日本を縦断した台風のおこぼれなのか、ダウンタウンは風が強かった。二人のパスポート写真を撮ってもらって、お気に入りのBacchusでディナー。ラウンジとの境、ピアノのそばのテーブルを指定してあった。あまり人気のあるテーブルではないそうだけど、私たちには特等席。ワインを傾けながら、食事をしながら、ピアニストとおしゃべりができるのが楽しい。

今日は少し若い目の人だったので、カレシが好きなビリーストレイホーンはあまり知らないようだったけど、何気なく引き始めた「黒いオルフェ」のテーマが良かった。映画も名作だけど、ルイスボンファの曲も傑作だ。タイトルの通り、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの悲恋が下敷きになっている。

ギリシャ神話では、最愛のエウリディケを失ったオルフェウスがエウリディケを返してもらおうと黄泉の国に降りて行く。とき遅し、最愛の人は黄泉の国の食べ物を口にしてしまった。だけど、オルフェウスのたっての願いとあって、黄泉の国を掌るハデスは地上に出るまで後ろを振り向かないという条件で、エウリディケを連れて帰ることを許す。愛は何よりも強し・・・というところなんだけど、もうあと少しのところで、エウリディケがついて来ているかどうか疑心暗鬼に取り付かれたオルフェウスはつい後ろを振り向いてしまい、最愛の人は永遠に黄泉の国に引き戻されてしまう。愛よりも強いものがあるということか。

何となく見捨てられ不安みたいな猜疑心で衝動的にエウリディケを犠牲にしてしまうオルフェウスの愛に比べたら、メディアの愛はまさに女の深情け。夫イアソンに裏切られたとき、イアソンとの間の息子も、将来イアソンの子を産むはずの若妻も、その父親も殺してしまうけど、イアソンだけは文字通りすっからかんにして放り出してしまう。オルフェウスはエウリディケが本当に「自分のもの」なのかどうか疑いを持つけれど、男としての未来を封じられたイアソンは永久にメディアのものになったも同然。このあたりが男の愛と女の愛の違いなのかもしれない。

片っ端から人を利用して英雄になったのにそれを自分の力量だと思い上がった勘違い男イアソンの話を、カレシがまじめに聞いていたからおかしくなった。思い当たるのは2日ほど前の年金の話だ。来年はカレシが国の年金を受給できる年なので、早めに申請して65才になってすぐに受給できるようにしておかないと、今は組合の年金がカバーしているつなぎの分がなくなってしまう。でも、カレシはすぐに申請しないで70才まで繰り延べするつもりだという。そうするともらえる金額が増えるんだそうな。それはそれでいいんだけど、「別に金に困ってないし」のひと言に、おいおい。

つなぎの分をカットされたたら家計は年間100万円くらいの減収になる。カレシはお金に困っていないかもしれないけど、その100万円は誰が穴埋めするの?今やっと心身ともに自由になって自分の稼ぎをエンジョイできるようになったのに、また仕事漬けになった挙句に「かまってくれなかった」なんていわれるのはごめんだからね。だけど・・・だけど、ちょっと待てよ。角度を変えて考えてみると、組合年金だけでは自分ひとりでも暮らせない。養って欲しい今どきのオンナノコにとって稼ぎのない年寄り男は自分の将来が不安で、いくらカナディアンでも魅力はないだろうから、私が放り出せばカレシはすっからかん。つまり、カレシは私のものってわけなんだ。私を囲い込もうとしたカレシが自分から「囲いもの」になるって、なんかすごい皮肉だけど、専業主夫になってもらうのも悪くないかなあ・・・

イアソンとメディアの話を神妙に聞いていたカレシ、結論はいったいどっちに転ぶのかな。

子供の情景

9月9日。今日は9月の9日。重陽の節句なんだそうな。節句というのは暦の上での区切りだから、夏が一服して、ちょっと秋の気配がして来るとか、そんな意味なのかな。陰陽では奇数は陽なんだそうだ。9という陽の数字が二つ並ぶから重陽の節句。偶数の方が陽だと思っていたけど、違うんだ・・・

菊の節句ともいうけど、子供の頃に住んでいたところでは菊は8月に小さな花を咲かせていたような気がする。夏は毎日のように塩気を含んだ霧がかかるもので、庭の草木はみんな下の方が茶色く枯れていた。別の土地へ行って、地面までずうっと緑色の植物を見てびっくりしたものだ。生まれて初めて水田に生えている稲を見たのもその頃だったかな。

だいたい、節分だって厳寒の最中。弥生3月桃の節句なんていっても、まだつぼみすら見当たらない冬。桜も梅もゴールデンウィークを過ぎてしまってからだったし、子供の頃は5月のそのゴールデンウィークによく雪が降った。幼稚園の出席表で今でもなぜか覚えているのが6月のページ。しとしとと降る雨に濡れるアジサイの葉をカタツムリが這っている絵が描いてあった。なにしろ、梅雨などというのは無縁だったし、カタツムリなんか見たこともなかったから、ある意味で異国の風景のような印象が残ったのかもしれない。小学校の社会科の教科書だって、農村の風景や山村の風景の挿絵は、北海道の最果てで育つ子供にはめずらしくさえあった。

私が育った風景にあったのは、囲炉裏ではなく石炭ストーブ(古いのはルンペンストーブと呼んでいた)。石炭は馬車で配達に来ていた。煙突の途中に大きな湯沸しがあって、熱いお湯がいつもたっぷり。でも、冬中何回かの煙突掃除はどこの家でも父親の大仕事だった。ストーブといえば、夕飯のおかずに食べた宗八(カレイ)の骨をよくストーブの上でこんがり焼いて食べた。骨せんべいと呼んでたけど、あれは育ち盛りの子供にカルシウムを摂らせようという両親の知恵だったらしい。そうそう、毛糸の長靴下を履いていて、それでも足にしもやけができたっけ。お正月のみかんも箱の中でよく凍ったらしい。

こんなところが私の記憶の中にある「日本」の原風景のひとつなんだけど、あれは高度成長期よりももっと前の、まだ後進国の方に近くて、NHKのテレビも見られなかった頃の話。半世紀経った今では、北海道にだってさすがにこんな風景はありえないだろうなあ。今では日本が隅々まで標準化して、日本全国どこへ行っても「日本の風景」なんだろうか。まあ、あたりまえだといわれればあたりまえなんだろうけど、やっぱり何となくピンと来ないなあ・・・

旅の空もようは

9月10日。何だかそんな気がしなかったんだけど、カレンダーを見てみたら今日は月曜日。昨日(つまりは今日?)はカレシの10代の頃の音楽の話を聞きながら、お気に入りのシングルモルトのスコッチを2杯(ひょっとしたら3杯?)。ベッドに入ったのは午前5時に近かった。ちょっと酔った勢いでカレシにちょっかいを出していたような。あはは、それも愉快。思い出せたらもっと愉快なんだけど・・・

久しぶりに退屈で退屈でしょうがないプロジェクトから解放されて、まあ、相も変わらずスケジュールは満杯なんだけど、人事につながる仕事はまるでメロドラマを見ているようでおもしろい。もちろん、当事者たちは全然楽しくも何でもないだろうけど、手間取る割にはつまらない仕事が続いて、ああ、何かおもしろいことがないかなあ、と切実な気分になっていたところだから、一見他愛のないもめごとを訳しながら、ウヒョウヒョ、キャッキャッと息抜きをする。今どきのデモグラフィックな日本人を観察しているようでおもしろいんだけど、やっぱり、最後的には「あ~あ、完全にたがが緩んで外れてしまってらぁ~」となってしまう・・・

パスポートの写真ができて、後は早めに更新の手続きをするだけになって、飛行機は取ったのにホテルはまだだったことに気づいた。会議場のホテルか、いつものホテルか、検討中というところだった。ところが、お気に入りのニッコーも、かってのパンパシフィックであるマリオットも予約の受け付けは中止と来た。ええ、ゴールデンウィークでもあるまいし、いったい何があるんだろうなあ。ま、サンフランシスコは予期せずしてホテルの確保が難しかったりするから、しょうがない。ユニオンスクエアのウェスティンなら空きはあるけど、ここはめっちゃお高いのだ。だけど、サンフランシスコの最後の夜はここ!と決めているMichael Minaのレストランがあるし、ふ~ん、どうしよう・・・

結局は、会議のあるフィナンシャルディストリクトのホテルに決めた。ま、サンフランシスコの中心部はほぼ徒歩圏内だから不便はないし、何よりもコンファレンス参加者向けの特別レートで超格安。それに、経費で落とせるんだから、高かろうが安かろうが、あまり気にすることもない。サンフランシスコは飛行機で2時間。私たち二人が揃って楽しい「逃避地」なのだ。どんなところか、と聞かれても、う~ん、サンラフランシスコはサンフランシスコ。ニューヨークがニューヨークで、シカゴがシカゴなのと同じことで、「土地それぞれ」というところか。バンクーバーがバンクーバーであるのと同じように、比べられるはずがないし、それぞれに個性豊かな土地柄なわけで、比べようがないのがあたりまえだろうと思う。今まで行ったところはどこも独特のキャラクターがあってみんなそれぞれに好きで、二人ともどうしても馴染めなかったのはロンドンくらい。

旅人の感性もひとそれぞれってところなんだろうけど、自分が馴染んだ「我が国」と違うからってストレスになって罵詈雑言を吐いていてもしょうがない。ヨーロッパは北米とは違うし、アメリカはカナダと違う。「違う、違う、ぜんぜん違う」の連続だ。そこのあたりにどのように折り合いをつけるかは、時代ごと、民族ごとに、その視点が大きく異なっているからおもしろい。だからこそ旅はいつも新鮮で楽しいんだけど、突き詰めて言えば、現代の日常を離れた物見遊山の旅は「Survival of the fittest」。つまりは、動物的な闇を脱して文明の明かりを点した人類にとっては最後の「適者生存」の(楽しい)テストなのかも・・・。

うわっ、衝動買い!

9月11日。なんだかモンシロチョウになってしまったカレシだけど、今日から英語教室を再開。希望者が少ないといわれてキャンセルしたら、ネイバーフッドハウスの方が慌てたらしい。一挙に10人も生徒を集めたそうな。ハウス側は会費みたいな形で10ドル徴収するけど、実質的に無料クラス。でも、クラスは昼過ぎに始まるので来れる人が少なかったりする反面、口コミで生徒が増えすぎたりもする。日本人移民はよく掲示板で無料の学校、安い学校がないか聞いて回っている割にはほとんど来ないらしいから不思議。

大まじめに仕事をするはずだったのが、なんとなくオンラインショッピングに脱線して、結局ドレスを4着も買ってしまった。土曜日にパスポート写真ができ上がるのを待っている間ぶらぶらウィンドウショッピングをしていたらティファニーの店があった。へえ、なんでこんなところに?というのが印象。というのも、1丁南は有名ブランド店が並ぶロブソンストリート。上にさして高級でもない日本レストランがある古ぼけた二階建てビルとハイクラスの代表格みたいなティファニーの組合せがちぐはぐなのだ。そこから先は日本のバブル全盛時代に日本人向けのおみやげ屋が軒を並べていた通りで、今は見る影もない。でも、ティファニーが敢えてそんな場所を選んだのは、その一角にも高級化の波が来る日が近いことを期待してのことだろう。

去年の秋に開店してから一度も入ったことがなかったからちょっと入ってみた。思ったよりずっと小さいから、品数も少ない。でも、その中で、アメジストとトルマリンとぺリドットの小さいビーズをあしらったペンダントに直感的に「これ!」と思ってしまった。ティファニーではケースのアクセサリー類は値札を見せないという、けっこうにくい演出をしている。ニューヨークでも銀のヒトデのチョーカーが気に入って、ケースの回りをぐるぐる回ってやっとおそるおそる値段を聞いたのだった。ああ、あのペンダント、300ドルくらいかなあ。それとも500ドルくらい行っちゃうかなあ。買ったらちょっと胸の開いたドレスがいるなあ・・・なんて思っているうちに、ドレスのほうを先に、それも4着も買っちゃった。あのペンダント、クリスマスまでちゃんとあるかなあ。なんて、買えるかどうかもわからないのに、し~らない。

やれやれ、今から腕まくって、がんばって仕事をしなくちゃあ・・・

結婚しない人たち

9月13日。カナダ統計局が去年の国勢調査に基づく「家族形態」のデータを発表した。これによると、伝統的な「結婚」が減り続けているそうだ。伝統的というのは法律上の結婚のことで、単親家庭、事実婚、同性婚といった「非伝統的」な家庭が急増しているというわけ。

事実婚カップルが最も多いのはカトリックの伝統の強いケベック州で全体の半分。増加率が最も高かった年齢層はなんと60才から64才で、5年間で77%も増えたとか。法律婚にこだわらなくなりつつあるのは、いったん結婚したら解消する手続きがめんどうだからだろう。どこの州でも結婚するのに結婚法があって、離婚するのに離婚法があるけど、BC州の結婚法と離婚法を比べたら、離婚法の方が格段に長いのだ。で、よくよく読んでみたら、ほとんどが子供を含めて何が誰のものかという、相互の「コミットメント」などは二の次で、結局は「所有権」の話ばかり。だったら、結婚は社会契約なんていうくらいなんだから、好きな同志で契約を作って、互いに資源を持ち寄って暮らし、冷めたら「契約書」に従って別れた方がよっぽど民主的かもしれない。

それに、カナダには戸籍制度がないから戸籍謄本というものがないし、嫡出子と非嫡出子の差別もなく、夫婦別姓が認められているから、結婚している、いないは見てわからない。税金や社会保障の上では法律婚でも事実婚でも同性婚でも、配偶者の権利は同じだし、就職するにしてもそんな私生活の質問はご法度だ。要するに、社会的に法律婚にこだわる理由が見あたらなくなっているということだろう。

私だって、もしも日本のように離婚届に判を押して役所に届けるだけで「結婚」を解消できるんだったら、たぶんそうして、改めて「事実婚」としてカレシと再出発していたかもしれない。それができないから結婚指輪を捨てるという「儀式」で自分なりにやり直しのけじめをつけたけど、カレシの方は「法律ではまだ結婚しているんだ」とのたまわるから、「その法律を蔑ろにしたのはあなたです」といっておいた。

でも、まあ、あれから数年経ったけど、二人はまだカップルでいるわけなんだから、家族の関係など元からして法律で縛れるものじゃないのかもしれない。家族の愛やコミットメントは法律で「~たるもの~すべし」なんて四角四面に規制できるものじゃないもの。ディケンズの言葉を借りるなら、「The law is an ass(法律など頑迷なおバカ)」なんだから。

新聞記事によると、(離婚や死別によらない)単親、事実婚、同性婚という新しい家族形態が増えたことで、カナダ人はその多様性にきわめて寛容になったという。これは大いに喜ぶべきことだよねぇ。

安倍さんでなくたってストレス

9日13日。安倍さんが急に辞めちゃったと思ったら、機能性胃腸症とかいうので入院したとか。「美しい国」を標榜する経済大国日本の総理大臣が、なんだか「ボク、もう、や~めた」みたいな感じで仕事を放り出してしまうって、どう見てもやっぱり今どき風だなあ。経費のごまかしみたいなケチっぽいスキャンダルで次々大臣が辞職なんてバナナリパブリックじゃあるまいし、と思っていたけど、見たら二代目、三代目のお坊ちゃまばっかし。昔から「売家と唐様で書く三代目」というからねぇ。それに、子供は親を見て育つものだし・・・

胃腸障害というから何かと思ったら機能性胃腸症だって。ちょっとググッてみたら、日本人の4人に1人は経験者で、比較的女性に多いんだそうな。世界的にも増えているそうだけど、要するに、カレシなどは成人した頃からずっと患っているというストレス性の胃腸障害。消化不良に胸焼け、げっぷにおなら・・・。カレシはTUMSという制酸薬の一番大きいのをいつもベッド脇においているし、旅行に行っても必ず一度は薬局を探し回ることになる。だけど、入院するってのはちょっと大げさじゃないのかなあ。世界中にごまんといる患者は、薬を飲んで、愚痴をこぼして、それでも仕事は投げ出さずにがんばってるんだけど。

バンクーバーではレストランの屋外パティオや建物の入口付近などでもタバコを吸えなくなるそうだ。夏は人気のパティオだけど、歩道の一角を占拠しているわけで、若い人に人気のレストランやスターバックスのあるところでは、歩行者はタバコの煙の中を歩かされる。歩道いっぱいに若いアジア人が固まってタバコをふかしているところには英語学校があると冗談に言われるくらい。(まあ、歩道いっぱいで通れないから、煙の中を歩かずに済むんだけど。)新条例ではビルの入口6メートル以内は禁煙になるそうで、毎日雨の季節が来たら、スモーカーにはストレスの溜まる街になるかもしれない。

バンクーバーの住宅取得可能指数が71を超えたそうだ。平均的な世帯が平均的な戸建の家を買うには世帯所得の71%のお金がかかるということだけど、これは税引き前の世帯所得だから、手取りの所得で見たら100%を超えてしまう。何とか平均的な家を買えたとして、平均的な25年償却のローンだと月々の支払が実に3230ドル(約35万円)だから、共働きでも苦しいだろう。金利が一ケタの今でもこれだから、若い世代には大きなストレスだろう。ちょうど25年前に私たちが初めてマイホームを買ったときの金利は20%近かったから、半分近い頭金を払ってもまだ私の手取りがほぼすっぽりローンの返済に消えたけど、それでもバンクーバーに家を買うことはできた。今だったら、標準25%の頭金を貯めるのだって難しそう。

きのうの家族形態の統計によると、一世帯あたりの人数が減り続けて、今では単身世帯が全世帯の3割近くになっているという。15才以上の人口で未婚者が過半数を占めるようになったこともあるだろう。独居人口が増えると、住居もそれだけの数が必要になる。ダウンタウンはコンドミニアムの建設ラッシュだけど、このあたりにも原因があるのかもしれない。独身で、大きなローンを抱えて、気晴らしにスターバックスの歩道のテーブルでエスプレッソを飲みながらタバコを吸うこともできないとなれば、安倍さんじゃなくたって機能性胃腸症になるんじゃないかなあ。若いって大変・・・

秋の日のためいきの・・・

9月14日。夏らしさもどうもこれまでらしい金曜日。朝食もそこそこにダウンタウンへ出た。まずは、予約をしてあった公証人のところへ行って、日本で必要な書類に署名して、自筆の署名であることを証明してもらう。何しろ、結婚して英語苗字になって、それからファーストネームが変わって、日本国籍はとっくにないし、おまけに戸籍も抹消してしまっているというややこしい話になもんで、あっちの国のお役所が「どこの誰なんだろ?」と首をかしげてあたりまえのユーレイ日本人なのだ。

次の目的地はとなりのブロックにあるパスポートオフィス。テロ対策におおわらわのアメリカが、これまではパスポートもビザもなしで往来できたカナダ人にもパスポート所持を求めることに決めたから、さあ大変。今年は空路でのアメリカ入りだけなんだけど、今までアメリカは庭続きの「お隣のワシントンさんち」みたいな感覚でいたカナダ人はパスポートを持っている人が少ない。それがパスポートがなきゃ出張もできないとなって、パスポートオフィスには初めてパスポートを申請する人たちが長い、長い列を作った。朝の5時に並んで、手続きが終わったのは正午近くなどという信じられない話もあったそうだ。

でも、先月から、すでにパスポートを持っている人は写真とパスポートと簡単な申込書だけで、めんどうな国籍や身元の確認手順が不要になったおかげで、混雑はかなり緩和されたらしい。着いたのは午後1時過ぎで、待合室には空いた椅子がちらほら。おお、と思ったら、番号をくれた案内カウンターの人が「ここで待っていなくても、1時間くらいで戻ってくれば大丈夫」だって。なんだ、番号をもらってコーヒーでも飲みに行ってしまった人がたくさんいるらしい。というわけで、私たちもダウンタウンをぶらついてくることにした。

パスポートオフィスに戻ったのは午後1時ちょっと過ぎ。歩き疲れた足を休めること30分ほどで私たちの番号が表示板に出た。その間、応答がなくて別のに変わった番号がいくつかあった。あれあれ、ランチに出かけて戻るのが間に合わなかったのかな。この人たち、また並び直しになるのかしら。二人分を一緒に手続きしている間に、案内窓口にオフィスの外まで溢れる行列ができた。どうやら金曜日の午後ということで、早めに仕事を抜け出して来た人たちがかなりいるようだ。二人分174ドルの手数料をクレジットカードで払い、レシートをもらって、手続きはおしまい。新しいパスポートは10月第1週に書留で郵送されるとのことで、サンフランシスコ行きに十分間に合いそうだ。

これで今日の用足しはおしまい。始まりが早い金曜日のラッシュアワーの中を、帰り着いたら3時半過ぎ。市役所からの郵便を見て仰天。先月払ったはずの駐車違反のチケットが未払いだからと何と「召喚状」。小切手帳を見たら、あちゃ~、払った金額を間違って、足りないではないか。すでに払った分は丸損ということにして、倍になった罰金を払うか、裁判所へ行って「無実」を主張するか。もちろん、メーターの時間をオーバーしてたんだから、無実ってことはありえないわけで・・・しょうがない、60ドル、スト中でサービスがゼロの市役所に、鼻をつまんで寄付しちゃおっと。

仕事はどんどん遅れて来た。ここんところは、のんきにブログなど書いてないで、腕をまくらなくちゃ。いや、腕まくりなんて柔なことは言ってられない。もろ肌脱ぎにねじり鉢巻3本で徹夜、くらいじゃないと・・・

秋来たりなば冬遠からじ

9月15日。土曜日。天気はどうやら下り坂。今年はあちこちで早々と紅葉の始まっているそうだ。そういえば我が家の池のほとりにあるツタカエデも半分ほど紅葉している。木々はラニーニャのせいで寒い冬が来るって知っているんだろうなあ。

仕事が詰まったと言いながら(ほんとにきっちきちに詰まっているんだけど)、ディナーにお出かけ。今日は久しぶりにお気に入りのLe Crocodile。前回のサーバーだったラファエル君の担当のテーブル。ちょっとおちょぼ口のフランス語訛りがかわいい。(ケベックのフランス語じゃなくて、フランスのフランス語の訛り。)私は焼いたフォアグラとウズラのグリルの前菜にカリブーのヒレ肉。カレシはシャンテレルのサラダとヒレ肉のステーキ。ちょっとこってりだから、ワインはローヌ川下流のグレナシュを多く使ったものを選んでもらった。

フォアグラの横についていたウズラ。ちっちゃなドラムスティックを見たら、こんな「小鳥」を食べちゃってもいいのかなあと思ったけど、けっこうあっさりしていい味だった。カリブーというのはカナダ北部の森に住むトナカイ。そのヒレ肉なんだけどクセがない。ラムの方がよっぽど自己主張が強いくらいだ。ソースはワインリダクションという、ワインを煮詰めて濃縮したもの。

このリダクション、エスコフィエが考案したという話で、今けっこう流行っているソースだけど、簡単なようで実はすごい量のワインやお酒がいる。飲み残しのワインを使い切ろうと思って作り始めたら、結局もう1本開けて、その半分も使ってしまったくらいだ。それでできあがったのが、二人前ちょっとくらいのレッドワインリダクション。思いつきにしては上出来で、おいしかったけども・・・

カレシに、明日は2日分の仕事を超特急でやっつけなきゃならないもんで、おかまいできませんよ~と予告したら、「ボクはパスタソース作りで忙しいからいいよ~」ときた。緑色のままぐずぐずしていたトマトも慌てて色づいているらしい。やっぱり冬はすぐそこまで、なのかな。


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