夏はバカンスの季節だそうだけど
6月16日。水曜日。今日は「さぼりモード」を決め込んで、午後いっぱいだらだら。洗濯でもしようかと思ったけど、ランドリーシュートをのぞいて「あ、たいしてたまってないや」ということで、雑念として払拭。何かおいしいものを作ろうかなと思ったけど、今日はカレシの英語教室の日で、もうあまり時間が残ってない。結局、今日の夕食は、分厚いマグロのステーキに山椒を振りかけ、大きな竹の子を2枚スライスして七味とうがらしを振りかけて、フライパン焼き。何を思ったか卵1個に刻んだニラを入れて玉子焼き。半円形になったのを2つに分けて、焼いた竹の子の上にちょい。後はバターナットかぼちゃを蒸して、思いっきりの思いつき「なんじゃこりゃ」料理のできあがり。
フランス政府が定年を62歳に引き上げることにしたら、労働組合がさっそくストをするぞと身構えたらしい。へえ、フランスでは60歳定年だったんだ~。で、きっとフランスでは60歳で年金がもらえて、長い長いバカンスってことになるんだろうな。もしも、もしも、カナダじゃなくてフランスに行っていたら、ワタシだって今頃は潤沢な年金をもらって、どこかの田舎でアヒルの群れとラベンダーの花畑に囲まれての~んびり。来る国を間違っちゃったかなあ。でも、そういう楽隠居が2年もお預けになるってことで泣く子も黙るフランス労働組合は腕まくり。夏中の長いバカンスがあるんだから、たかが2年くらい余分に働いたってどうってことないじゃんと思うけど、フランスの人はそうは思わないから、怒ってるんだよねえ。長いバカンスって、うらやましいくらいだけど。
カナダで今の年金制度(CPP)ができたのは1966年のピアソン政権の頃で、そのときに支給開始年齢が65歳と決まったとか。戦後の1950年代初め頃からほとんどの人が「65歳」であたりまえのように引退していたのを成文化したそうで、つまりはカナダでは「65歳定年」がもう60年も普通だったことになる。もっとも、政府が1980年後半に60歳からCPPの減額支給を認めるようになってからは退職する年令の平均がだんだん下がってきて、今では62歳とか。あはは、ワタシの年だ。へえ、平均的な退職年齢になったのかあ。ま、この数年に各州が労働法を改正して定年退職の強制を廃止したもので、65歳になってもそのまま働き続ける人たちも増えているらしい。人口の三分の一近くを占めるうベビーブーム世代はなにしろ元気いっぱいだからなあ。
そろそろ夏休みの季節だけど、ある調査によると、カナダでは有給休暇が平均20日あるのに、消化している人の割合は24%。全部を取らない人たちの中には、貯金する方が大事(25%)、休暇の予定を立てる暇がなくて使い切れない人(14%)、仕事が忙しくて休暇なんか取っていられない(取りたくない)人(12%)、配偶者とスケジュールが合わなくて取れない人(10%)。で、なんとか休暇に出かけたと思ったら、30%が仕事のメールをチェックしているんだそうな。技術の進歩のおかげで家や職場とつながっていられるのは良い人はなんと42%。仕事の都合で休暇を取りやめたり、延期したことがある人が22%もいる。(どこかの調査では労働時間が増えているとも言ってたっけ。)ふむ、カナダ人は働かない、怠け者だと愚痴っていたのはどこの誰だっけなあ。
ワタシも夏休みを取ろうかなあ。だけど、5月に東京でたっぷり遊んできちゃったし、カレシが秋にどこかへ行こうと言うし、それに、自営業なんだからいつでも休めるはずだけど、カレシは英語教室があるから、スケジュールのすりあわせがめんどうだなあ。そもそも、暑いところへ旅行する気にはなれないし、ビーチで寝転がるなんて退屈すぎるし、キャンプは嫌いだし、ピクニックもあまり好きじゃないし・・・まあ、休暇は別に夏じゃなくたっていいんだよねえ。それに、自営業のワタシにはそもそも有給休暇ってものがないんだから、適当な「さぼりモード」で行くしかないか。あ~あ・・・
石壁戦術はぬらりくらり
6月17日。木曜日。雨の気配があるような、ないような空模様。英語教室がない日が「週末」のカレシは、正午きっかりに目を覚ましたとかで、ワタシを小突いて起こして、いの一番に「週末だ~。何にもしなくていいんだ~」と、何やら遠まわしに宣言しているんだか、希望的観測を述べているんだか。あの、いろんなものが品不足になりつつあるんだけど。野菜も足りなくなって来たと言ったら、うちわみたいに大きくなったレッドマスタードの葉を庭からどっさり収穫してきた。ちょっと辛いけど、ほうれん草のレシピに使えるんだとか。あ、そう。じゃあ、炒めてみるか。
これでカレシは外の庭仕事が終了したようで、ベースメントの園芸ルームへ。しばらくして「何かおかしいよ」と言って来た。床が水浸しで、ずっと調子が悪い蛇口から漏れているんじゃないか、と。キャビネットの中をのぞいて配管を点検したけど、水漏れの兆候はないけどなあ。水遣りのときにこぼれたんじゃないの?カレシ曰く、「モップがいるくらい水浸しだったんだから、こぼしたなんて考えられないよ」。あ、そう。ま、とりあえずまた床に水がたまるかどうか様子を見ないことには、原因の突き止めようがないでしょうが。(3時間後、「全然濡れてないから、やっぱり水をこぼしたんだと思う」。あ、そう。せっかく何もしなくてもいい日に水漏れ事故も何もないもんだよねえ、ほんと。)
テレビではアメリカ議会のBPのCEOを喚問した公聴会の様子が繰り返し流れている。BPくらいの巨大企業のCEOになるくらいだから、さぞかし華々しい経歴の人なんだろうと思うけど、テレビで見るとちょっとばかり頼りなさそうな印象だな。地質学が専門だそうだから、石油会社のBPとしては当然の「学歴」だろうけど、経営者としてはどうなんだろうな。事故発生からこの方その対応に追われているのはわかるとしても、メキシコ湾は「非常に大きな海だから」環境への影響は少ないと言って袋叩きにあい、原油流出量を過小評価しては袋叩き、疲れていたはずみか「I’d like my life back」と言って袋叩き。最初の爆発事故で11人の労働者が命(life)を落として、噴き出し続ける原油の影響で生活(life)できなくなった人たちが数え切れないほどいるってのに、(対応に追われて家にも帰れない)自分まで被害者気分で「ボクもlifeを取り戻したいはないだろうな。死んだ人たちは戻らないし、失われた生活手段だって戻ってくるかどうかわからないんだから。
公聴会ではどんな発言をするのかなと思って聞いていたら、う~ん、今度は中身のあることは何にも言わない。コーチについて特訓したのかどうか知らないけど、ぬらりくらりとかわしているという印象。しまいに「意思決定のプロセスには加わっていなかった」と言って、議員から「あなた、最高経営責任者なんじゃなかったの?」と突っ込まれる始末で、今度は「stonewalling(議事妨害)ではないか」と袋叩き。このstonewallは、政治家や役人がやっかいな問題を避けて通ったり、旗色の悪い批判をかわすのによく使う逃げの戦術。(普通の人間もけっこう使うけど。)ニューヨークタイムズの記事によると、公聴会が行われていた数時間の間にメキシコ湾に噴出した原油は約735000ガロン。アメリカの1ガロンは約4リットルだから3百万リットル近い量になる。たったの数時間で・・・。
失言続きと言えば、記者会見したBPの会長も、「small peopleのことだって気にかけている」とやって、止まるところを知らない原油流出で被害を受けているメキシコ湾沿岸の住民たちから「バカにしているのか」と猛烈なブーイングの嵐。慌てたBPは、会長はスウェーデン人で英語が母語ではないから「(頭の中で)翻訳しまちがえた」とコメントを出すやら、本人が「舌足らずだった」と謝罪声明を出すやらの騒ぎ。地元のホッケーチームに何人もいるスウェーデン人選手の英語を聞きなれていて、スウェーデンでは小学校から英語教育をしているからほとんどの人が流暢に話せるんだと思っていたワタシはちょっとびっくり。だけど、よく考えてみたら、ホッケーの選手は1年のほとんどを英語漬けの環境で過ごすから違和感がないくらいに英語を話せるんであって、そうでなかったら、いくら小学校から勉強してもしょせんEFL(外国語としての英語)の環境では「英語がうまい」の域から出るのは難しいのかもしれないな。
だけど、英語しか話せない人たちにはそんなことに考えが及ばないし、特に怒りと苛立ちが募っている湾岸の人たちにはそんな余裕なんぞあるわけがない。BP会長の場合は失言というよりも「言葉の壁」で躓いたということだろうけど、それにしてもこのBPってどういう会社なんだろうなあ。
お役所をとっちめるには
6月18日。金曜日。早朝どころか夜中みたいな時間(午前8時)から、まずゴミ収集トラック、次にリサイクル車、次に戻りのゴミ収集車、そしてしばらくうとうとしたと思ったら、最後に水を配達するトラック。その合間にどこかでチェーンソーのようなうなり音がしている。それでも、しばしの眠りに戻って、起床は午前11時30分。ちょっと寝たりないけど、世の中は週末だから、明日は静かにしてくれるかな。
騒音と言えば、ブロックウォッチのメンバーになっている隣のブロックのスティーブがキャプテンのミシェルに「市営ゴルフ場で朝の5時過ぎから作業を始めていて、市の騒音防止条例にも違反するのに市役所は苦情を伝えると言うばかりで効果なし。どうしたらいいか」とメールを書き、ミシェルがメンバー全員に転送してきた。午前5時半といえば私たちは眠りについたばかりの頃で、気がつかなかったのは一番熟睡しているときだからかもしれない。(外の音に敏感なカレシは耳栓しているし。)それにしても、市条例では午前7時(日曜日はたしか10時)から騒音の出る作業が許されるのに、住宅地に囲まれた市営のゴルフ場で朝の5時過ぎから機械を使っての作業は冗談じゃないよねえ。これまでずっと早朝作業は控えていてくれてたんだけどなあ。
そこで思い出したのが、ワタシが公園委員会から勝ち取った「早朝の作業は控える」というお墨付き。十何年も前になるけど、大改修したゴルフ場で早朝に整備作業を始めるようになった。週末も平日もおかまいなしに、日が昇る5時に始まる。おかげで三連休の休みでもゆっくり寝ていられない。その前の大改修のときも条例を無視して夜昼なく重機を使って工事をするもので、在宅仕事のワタシは施主の公園委員会に苦情を言ってはけんかをして、しまいには発狂しそうな精神状態になってしまったことがあったから、そのときは委員長に「何とかならないか」と手紙を書いた。(市の公園委員会は教育委員会と共に公選制になっている。)ところが、委員長の名前で来た返事は「夏の間はティーオフが早くから始まるのでやむを得ない処置である」。(ワタシの家の前は一番長い11番ホールのフェアウェイの中ほどにあたる。)何だとぉ、このボケなす!次の選挙では入れてやらないからな。
ワタシはもう一度委員会に手紙を書いた。ええかっこしいの難しい言葉のことを「three-dollar word(3ドル言葉)」というけど、今度はそんな生易しいもんじゃない。かっては上級秘書の肩書きだったんだし、商売上、法律文書には慣れているから、コチコチの弁護士調はお手のもの。シソーラスをひっくり返して、「10ドル言葉」くらいの一番威厳のありそうな単語を選んで「然るに、現状においては、苦情の対象である題の時間帯に当該施設より発生する騒音は住宅地域にて許容され得る水準を著しく超えるものであり・・・」と言うような口調で、正統的に構成して、印刷して、署名して、ビジネスサイズの10号の白封筒に入れて出した。なにしろ、あのときは頭にきてたんだもん。きっと般若の面みたいな顔をしてキーを叩いていたんだろうと思う。投函してから2週間ほどで返事が来た。市営ゴルフ場の管理責任者から、「閑静な住宅地であることに配慮して作業をするよう指示した」と。公園委員会とゴルフ場の作業所長へのCC付き。次の日には公園委員会からカレシにフォローアップの電話がかかって来た。
どうして手紙を書いたワタシではなくて「ご主人」にかかって来たのか。当時のワタシはまだ日本名のままだったからローマ字書きすると語尾が「O」。手紙と封筒の宛名を見たら、みごとに「Mr.」となっていた。ちゃんと「Ms.」で出したのに、あんまり威厳たっぷりな物言いだったのか、てっきり「男」だと思ってしまったらしい。思いがけず「ジェンダー差別」が露見した形だったけど、ともかく、午前5時の作業はぴたりと止んだから、目的は果たしたと言うことで、めでたし、めでたし。その墨付きがまだどこかに(記念として)取ってあるはずと、ファイルキャビネットや引き出しを探し回って・・・あった。日付を見たら1994年の5月になっている。そっか、もうそんなに昔のことだったのか。今でもかなりビビッていた電話の声を思い出してはおかしくて笑ってしまうけど。
手紙が見つかったので、ブロックウォッチ副キャプテンのカレシはさっそくスティーブとミシェルに「こういう先例があるから」とメール。さあて、今度はどういう展開になるか・・・。
知らぬは亭主ばかりなり
6月19日。土曜日。いい天気だなあ。雨の予報のはずだったのに、さっぱり降らない。降るどころが太陽が燦々と輝いて、暑くなりそうな予感。きのうの夜に、乏しくなったワインの在庫補充を兼ねて閉店前の酒屋に行って、アルマニャックとコニャックを仕入れたおかげで、まあまあよく寝た気分。だけど、寝酒がないとよく眠れないってのはちょっとまずいかな。ま、一杯だけなんだけど、たいていは。
カレシが運動がてらこれも在庫薄になっている野菜果物を買いに行こうというので、それぞれにトートバッグを持ってでかけた。運動だから早足で行けば30分もかからない。モールに着いてまずデパートの地下にある郵便局の私書箱を空にして、それから本題の野菜の仕入れ。地元産のイチゴがど~んと山盛りで出ていた。まだちょっと高めの値段だけど、かなり大ぶりでおいしそう。並んでいるパックは大きすぎるので、半分を別の容器に入れてもらった。後は重くならない程度に野菜類を買って、またテクテク。日差しが真夏のように暑くてだいぶ汗をかいた。帰り着いてからラジオをつけたら、何と24度。平年よりずっと高い、ほぼ「真夏日」。昼日中の炎天下に外に出るのは気ちがい犬とイギリス人・・・てのは劇作家ノエル・カワードの作品に出てくる歌だったけど。うん、暑かった・・・。
さてさて、小町に男性からのすごい相談トピックが立って盛り上がっている。何でも、定年退職した日に家に帰ってみたら、妻の荷物が全部消えていて、テーブルの上に離婚届と弁護士の名刺が残っていたんだそうな。おまけに預金まで凍結。あちこち問い合わせても誰も知らん顔で、他県に住む娘までがけんもほろろ。これだけ情報があったら、誰だってよっぽどの事情があったんだろうと思うんだけど、当の定年夫は「今まで何が不満だったのか、全くわからず・・・青天の霹靂」と途方にくれるばかり。あれ、ワタシがだいぶ前に書き始めて放り出したままの小説の冒頭シーンにそっくりだ。創作トピックだったら盗作で訴える!と言いたいところだけど、創作なのかほんとの話なのかわからないのが匿名掲示板だから、ま、いいか。この先の小説のヒントになるかもしれないし・・・。
問題は夫婦で乗り越えてきたし、退職したら家を売って新天地で新しい人生を・・・それなのに、ああ、それなのに。同情票もかなりあると思っていたら、すごい後出し情報で今度は批難轟々。だって、自分は家の頭金と娘の学費を払い、共働きの妻は家のローンと生活費って、おいおい。盆暮れは(家族を置いて)趣味の旅行に出かけ、趣味仲間の女性の力になりたくて1千万円あげたって、おいおい。それで不貞はしてないと言われてもなあ。熱くなるたちで人には怒鳴っているように聞こえるって、おいおい。で、とどめの一撃がが「妻がいなくなっては、定年後郷里に帰って母と暮らすという妹との約束が守れない」と来た。ああ、だめだ、こりゃ。創作だとしたらドがつくような三文小説だけど、そういう男もいるんだよなあ。実際にいたからこそ、小説が「ある夜遊び疲れて帰って来たら家の中はもぬけの殻だった」という場面で始まったんだもんなあ。事実は小説より奇なりっていうけど、もしもあのとき、浮気な夫に悩むかわいそうなオンナノコを慰める?ために休暇を取って日本へ行っていたら、「優しくて頼りになるボク」を演じて帰って来たときには家の中は空っぽ、預金口座も空っぽだったかもしれない。(実際には、カレシのものを全部荷造りしてママのところへ送り届けて、家中の錠前を取り替えて、帰る頃を見計らって門に車のキーをぶら下げておこうと思ったんだけど・・・。)
あの小説、主人公は最後に幽霊に救われて、幽霊の導きで妻と再会することになっていたんだけど、まあ、このトピックの主と違って「学習」できる男だから、最後はやっぱりハッピーエンドにしたいなあ。このオジサンには、創作トピックだとしたら「あっと驚くどんでん返し」、そうでなければ、う~ん・・・。
脛に傷、押入れに骸骨
6月20日。日曜日。きのうとうって変わってちょっと曇り空で、天気は下り坂の気配。トラックか車の運動がてら郊外の園芸センターに行く予定だったけど、日曜日だと郊外は混みそうだから、と中止。カレシは温室で野菜の種まきと植え替え。まだ鉢に植わったままのトマトがもう黄色い花をつけているし、今さら遅いかなあと言いつつ撒いたきゅうりは2日で発芽して以来、伸びる、伸びる。今日はグリーンオニオンの種まき。これは長ネギの代用として消費量が多いから、たくさん育つといいなあ。
納品予定があるワタシは午後いっぱいまじめに仕事。ビジネス系の翻訳をやっていると、ふだんはお堅い契約書とか、黒字だ、赤字だという決算報告とか、無味乾燥なものが多いけど、たまには企業のスキャンダルの顛末のような文書にも出くわす。マスコミをにぎわしたことでも、表には出さない「内部の事情」だったりして、急に元気が出て座りなおしてしまうから、ワタシもかなりの野次馬だなあと思うけど、ときにはゴシップ記事のような内容だったりするからやめられない。もちろん、守秘義務というものがあるから、ひとりで「ったく、もう、しゃあないヤツだなあ」とにやにやしながらキーを叩いているけどね。いや、ほんと、たまにはそういうおいしそうな話もないと、在宅ひとり稼業はやってられないかも。
まあ、仕事の上でおもしろい話に出くわさなくても、小町をのぞけばもっとおもしろい話はたくさんある。今の日本を知りたくて、今の日本人を知りたくて・・・カレシに「何でそんなものを見るの?」と聞くたびにそう答えるけど、それもなぜかこの頃は少しずつ「もういいや」という感じがしないでもないような気になる。にいちゃんねる化したローカルの掲示板はとっくの昔にどうでも良くなったから、たぶん小町もいずれ卒業するかもしれないな。「もういいや」という気持は、たぶん裏を返せば心ない人たちに粉々にされた「自分」の立て直しが納得できるところまで進んで、自分の居場所は「ここ」という安心感ができて来て、過去のことをかなり客観的に、冷静に見られるようになったということかもしれない。あるいは、あんがい匿名掲示板で見た誰かのトピックだったような感じがしているのかもしれない。十年ひと昔とはよく言ったものだと思う。10年前の今頃が本当に夜明け前の一番暗いときだったんだと思う。ということは、夜は明けたということ、どんなに長くてもやがて夜は明けるということ。
明日は夏至。今日は父の日。日本に行っている間に亡くなったカレシのパパの遺灰を「遺言」にしたがって、昔よく釣りに行っていた海域に散灰する手はずが決まった。家族が全員揃う7月3日の午後、28人乗りの大きなボートをチャーターして、それぞれにピクニックランチ持参でクルーズに行く、と言う話。孫たち、ひ孫たちも交えて総勢20人近いにぎやかな「野辺の送り」になりそうで、船には絶対に乗らないと言っていたママもとうとう折れて加わることになったらしい。ワタシがカナダに来た頃にはパパはすでに自家用ボートを持っていて、日曜日ごとに何人かの「釣り仲間」と1日中出かけていた。金曜日はいつもガールフレンドと夜遅くまで遊びに行っていたというから、なんともおいしい人生だったわけだけど、3人の息子はパパの給料のほとんどがボートの維持や買い替え、マリーナの係留費に消えていたということ、つまり5人家族の家計はほとんどママの給料で成り立っていたということを長い間知らなかったらしい。
どうしてママは息子たちに何も言わなかったんだろうな。(ホームに入ってからはさすがに認知症が進むパパの介護費がかかりすぎるとジムにこぼしていたようだけど。)どうしてなのか聞いてみたい気もする。もっとも、カレシが幼い頃に目撃したという「できごと」からも、パパが家族の前で執拗に繰り返した冗談からも、誰が見ても冷え切った夫婦の関係を決定的にした「できごと」が何だったかということは薄々ながら想像がつく。まあ、人間はそれぞれが脛に何かしら傷を持っているだろうと思うし、どんな家族にも何かしらの「a skeleton in the closet(世間に知られたくないこと)」があるんだろうから、そういうやっかいな骸骨は押入れの奥でほこりを被ったままにしておくのが家族の幸せというものなのかもしれないな。家族って不思議なもんだと思う。
部外者にとっては三面記事を読むような「軽い」仕事だったけど、渦中の人は自分の家にやっかいな「骸骨」を持ち込んでしまったわけで、家族はその骸骨をどうするんだろうな。たしかに人生はやり直しがきくものではあるけど、それはやり直しをさせてくれる環境があってのことだから・・・。
日本人は日本のやり方でいいよ
6月21日。月曜日。曇り空。夏至。今日から公式の「夏」が始まるというのに、あら、目が覚めたら何となく寒い。もうすぐ7月なんだけど、今年はまだあまりエアコンをかけていないなあ。天気予報を見る限りではほぼ平年並みの最高気温なんだけど、どうしても今年は低温気味なんじゃないかと感じるから不思議。たぶん5月に雨が多くて低温の日が続いたせいだろうな。それに去年はやたらと暑かったから、よけいに寒いと感じるのかもしれない。といっても、まちがいなく半袖気候なんだけどなあ。
さて、次の仕事。決算報告。だいたいは全体を訳さないで、去年と違うところだけを訳せと言われる。業績も商売も去年とぜ~んぜん変わり映えしませ~ん、てことなのかどうか。翻訳部分の作業量を基準に納期が決まるから、既訳の前年度の部分はほとんど読まずに、今どき日本語でいうとスルーする(って語感が何だかねえ・・・)。でも、今回は「去年お願いしたので今年もぜひ」ということだったから読むでもなく目を通したら・・・う~ん、ほんとにワタシジムショがやったのかなあ、これ?ワタシはこんな文章は書かないけどなあ。他の人が担当したんじゃないのかなあ。まあ、手をつけないでもいい部分だから別にいいんだけど。それでも気になるから、残っていた去年の納品ファイルを開いてみた・・・らっ!その前の年の既訳部分の「スタイル」にそれはみごとに統一されちゃっている。「等」をていねいに全部「etc.」で入れてあるし、つまりは日本語英語のスタイル。すご・・・
まあ、「日本のやり方」に対する日本人の思い入れの強さはすごいと思うことがよくある。きちんとした英語文書を日本語英語に「直された」とこぼす英語ネイティブの同業者たちも結局は諦め半分で肩をすくめるのがオチ。ビジネスの翻訳は訳者の「作品」じゃないから、納品してしまったらそっちのもので、日本のやり方でも何でも好きなようにしてもらっていいと思うから、ワタシは文句は言わない。それでも、いろんなこととの思い合わせで、ときには何か屈折した心理でもあるのかなあと勘ぐりたくなることはあるけど。たとえば、「英語」、「欧米」、「欧米人」といった言葉は日本のマスコミのいたるところに出てくるキーワードだけど、これが小町横町の井戸端で「日本」や「日本人」、「日本のやり方」に対照して使われると、たちどころに「日本をバカにしている」、「欧米だって」という、砂場での子供のけんかのせりふみたいな投稿が出てくる。もっとも、小町の井戸端げんかは日本人同士でやっているものだから、「日本のやり方」への思い入れとはまた別な心理があるのかもしれないけど。
そういうことで、既訳の部分をふむふむと読み流して、マークされている「去年と違うところ」をちょこちょこと訳して行く。うん、きっとまた「よくわからない外人英語」を日本語の原稿に合わせて(自分たちに)わかるように「直す」んだろうな。そうしたら外人英語がわかる読者にはわかりにくくなるということはわからないのかな。日本語を理解しない外国人が理解できるようにと、お金をかけて翻訳してあげてるんでしょうに。ま、こっちは商売だから、きちんとやった仕事にきちんと料金を払ってくれればそれでいいんだけど。だけど、う~ん、ちょっと複雑な気分でもあるような・・・。
なんてカチャカチャとキーを叩いていて、ちょっと退屈になって、井戸端を冷やかしがてら小町横町に散歩に行ったら、今度は日本女性の内股の歩き方を不思議がる欧州人になぜなのか質問されるというトピックで、やっぱり「欧州人が」というところにズームインして、外国人が日本女性の歩き方(日本のやり方)にケチをつけていると反応している人たちがいる。もしも、トピックが単に「どうして日本女性は内股の人が多いんでしょうか」という問いかけだったら、ああだこうだと考えられる理由や原因を論じて終わりだっただろうけど、トピックを立てた人がつけたタイトルが扇情的なもので、「欧州人(=欧米人・白人)」というところにカッキーンと反応したんだろうなあ。そのあたりに何か屈折した心理がありそうな感じもしないではない。よけいなお世話と言われればそれまでだけど。
今どきの若い日本女性の内股歩きについては、最近はCNN・Goにも載っていたし、英語で検索をかけるとブログやらビデオやらがわんさとヒットするくらいだから注目されているんだと思う。カレシと新宿のスターバックスで外を通る人たちをながめていたときも、痛々しいくらいの極端な内股歩きの女性がたくさん通ってびっくりした。中にはヒールがぐにゃっと曲がって今にも壊れそうな人もいて、捻挫しないのかなあと思ったくらい。毎日あの雑踏の中にいる人たちにはあたりまえの風景で注意を引かないんだろうけど、慣れていない人間の目にはどうしても異様に映るから、つい「あんな足つきでよく歩けるなあ」と目が行ってしまう。ワタシが北海道で育った頃にはあれほど極端な例は見なかったように思うけど、まあ、ワタシは父の方針で正座をせずに育ったから何とも言えない。それでも、あれが日本女性の普通の歩き方なんだったら、外国人がどうしてかと聞いたときに「日本のやり方だ」と言えばいいし、正座や着物の文化が原因だと思うなら、それが日本の伝統的な生活様式だからと言えばいいし、かわいらしく見えるためのぶりっ子スタイルなんだったら、それが日本女性の魅力なんだからと言えばいい。外国人が何と言おうが、堂々と思いっきりの内股で誇らしく世界を闊歩すればいいんじゃないのかな。
う~ん、よけいなお世話はわかっているんだけど、やっぱり歩きにくそうだし、自然に背中が丸くなって肩も落ちるから、どうしても痛々しく見えてしまうなあ・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます