リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

☆食卓にナショナリズムはいらない

2014年03月30日 | 日々の風の吹くまま
3月29日。先週の小町に『朝食になぜ和食を出さないの?』というトピックが立って、1週間も絶たないうちにあれよあれよという勢いで500本を超えて、もう投稿受付締切り。最近めずらしいくらいの盛況トピックだった。元々は(たぶん専業主婦の)2児の母が「和食が子供の成長に良いと分かっていながら、なぜ朝食にパンを出す母親がこれほどまでに多いのでしょうか」とトピックを立て、「世のお母さんたちはきちんと母親業をしているの???」と叱り飛ばし、「洋食の方がラクなのですか???」とさらに畳み掛けたのが始まり(3つの疑問符はワタシがつけたんじゃないよ)で、最後に「現代の食卓がかなり洋食に傾いている現実に心底驚いています」。(なんでそんなにびっくり?)

大多数の「よけいなお世話」の大合唱に遭遇して、「子ども=朝食=和食=米の良さが分かっていない親が多いのにまたビックリ!!!(肉体的・精神的にうけつけない方は論外ですよ)」とひどく高いところからの物言い(和食がダメだからって「論外」はないでしょ)。あれこれ講釈した挙句に、最後は「あなたの子どもはあなただけの子どもではなく、社会全体の子ですからもう少し食育このこと真剣にやりませんか?」、「今のあなたのほんのちょっとの努力で良い子を社会に送り出せるとしたら和食は面倒だとか、朝はちょっとでも寝ていたいとか言ってないで頑張れば?」と、けんか腰なんだか、イジワル姑なんだか。いや、大多数の人たちが書き込んだように、諸般の事情はいろいろなんで、だから大きなお世話なの。

でも、いかにもNHK的なとことを見ると、たぶん昼間のバラエティ番組で何とか評論家が「良い子供に育てるには和食の朝ごはんが一番。子供のためにそうしないのは母親失格」とか言うのを鵜呑みにして、母親失格の烙印を押されないように和食信仰に改宗したのかな。ヒマなんだろうけど、アベクン基準では優等生かも。つまり、世間に子育てに失敗したと思われたくないから、「日本の良いお母さん」を台本どおりに演じてみたら、これがしんどい。信じている(つもり)だけでは不安だから、周りのママ友に探りを入れてみたら、「うちは簡単だからパンよ~」。はあ、みんな手抜きでラクしてたなんて、今までがんばっていたのはアタクシだけだったなんて許せない。メディア受け売りの信念がぐらりと揺らぐ瞬間か・・・。

賛同を得たくて小町に投稿してみたら、ここでもまた「よけいなお世話」の大合唱。洋食の理由を聞いておきながら無視して、「母親なら」、「子供のために」、「和食は健康食」のマントラでもっぱら和食の効能を、しかもいかにも女性何とか評論家の口調で指南するもので、つい苦笑してしまう。和食は日本民族の「常食」なんだから、子供のためにいいのなら朝でも昼でも夜でも作ればいいのに、人さまも自分と同じでなければ自分を肯定できないのはどうしてなんだろう。子供の成長に大きく影響するのは食べ物よりも食べさせる親の方だと思うけどね。結局は自分がやっていることに自信がないから他人を否定するし、異論を受け付けられなくて、自衛心理が働いて攻撃的になるのかな。小町横丁にはたっくさんいるな、自分がジョーシキだと信じていることのみが世の中のジョーシキである(べき)と思っている人。洗脳されやすいタイプなんだろうと思う。

しまいには、大政翼賛会時代に女性の外見から内面までことごとくチェックして歩いた「大日本婦人会」(姑集団みたいなものか)の亡霊かと思ってしまうような物言いだったもので、もしかしたら今静かに増殖中と言われる「ネットウヨママ」なのかとも思ったけど、世界のどこで誰が言ったのか知らない(日本人が入ったのかもしれない)けど、「日本人であること」は宗教なんだそうだから、「日本人なら○○な(○○する)のが常識/マナー」と叫んで、異端を排除しようとするのは「日本人教」の原理主義者ということなのかな。だとしたら、「外国にあってもその郷には入るべからず」的な締め付けと、西洋に住み着いても西洋化すべからずという某宗教の締め付けとの違いは何なんだろうな。

小町に掲示されるいろんなトピックを10年以上見てきたけど、パンを食べる日本人が増えたのは某小麦生産国の陰謀だとか(給食のコッペパンは食べられたもんじゃなかったけどね)、和食は世界遺産なんだとか(日本が登録申請したからでしょ?)、たかが和食派対洋食派の論争と言い切れない、社会に深く浸透しつつある潮流が感じられたな。その流れがこの1年ほどの間に急になって来て、はっきりとした潮目ができつつあるような気がする。子供の朝食は和食に限ると啓発した後は、どんな「異端」に向かうのかな。左利き?障碍者?同性愛者?(望ましい人種以外の)外国人?まあ、トピックの主も、賛同したり、反論したりしている人たちも、そういう流れは微塵も感じていないのかもしれないけど。

ちなみに、我が家の朝食はほぼ40年変わることなくシリアルかグラノーラ、牛乳、ジュース、トースト、コーヒー。グラノーラは乾燥ベリー(クランベリー、ブルーベリー、レーズン、クコ)がたっぷりで、これにかぼちゃとひまわりの種、麦の胚芽、燕麦のふすま、アーモンドを各自で適量加える。グラノーラは硬いから、必然的によく噛んで食べることになる。寒いときはオートミールも作るし、たまにはベーコンと卵も食べる。「和朝食」は重いから年に2、3回で、玄米粥(たまにキビ粥や麦粥)におかず(焼き魚、明太子、卵焼きなど)、野菜、味噌汁(亡き父は娘の味噌汁が自慢だったそうな)。たまにはいいね、カレシも喜ぶし。

夕食は、たんぱく質(肉、魚)、炭水化物(穀類)、野菜の「一汁なし三菜」。白米ご飯は2人とも甘くて敬遠気味なので、短粒米から長粒米まで、世界のいろんな米(発芽玄米、雑穀米、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、インド、ブータン、マダガスカル、イタリア、カリフォルニア)を少量炊いて、野菜を混ぜたりして、付け合せにする。思いつき料理が多いから、我が家の食卓はいつも「風」が付く「国籍不明食」。ランチはラーメン、そば、フォー、ラクサ、ピッツァ、パスタ、チヂミ、たこ焼き、カップめん等々。寝酒はコニャックかアルマニャックにチーズやソーセージ、またはシングルモルトのスコッチにスモークサーモン、ジャーキー、ちりめんじゃこ。この数年は風邪ひとつ引いていないし、徹夜で仕事ができるくらいの体力はまだある。

世界中のおいしいものを食べられる幸せ感ほど体にいいものはないと思うな。何でもあまりこだわらずにほどほどのバランスで食べる方が精神的にも良くて、楽しく長生きできるんじゃないかと思うけど。


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