リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

人生って究極の生涯現役だね

2018年05月24日 | 日々の風の吹くまま
5月23日(水曜日)。晴れ。早起きの日。カレシは友だちのアルバートとイアンに会うために
慌しく9時に出発。この2人はカレシが州税の監査官だった頃の同僚で、もう35年を越える
長い付き合い。人付き合いがあまり濃くないカレシなので自分からはめったに連絡しないけ
ど、ときどきメールで交流しているようで、全員が年金生活の今はときたま「会おうじゃないか」
という話になり、カレシはめんどうくさいなあとぶつぶつ言いながら出かける。出かけて落ち
合ってしまえば、積もる話に花を咲かせて楽しんで来るから、どうやら「出かけること」自体
がめんどうくさいらしい。その証拠に、出かけるのはいつもぎりぎりの時間・・・。

人間は年を取るほどに社会とのつながりを保つことが重要だと言われるのは、社会に参加
することで体を動かし、頭を使うことになって、体力と知力の衰えを防ぐことができるからで、
つまり、引きこもってしまったら身体も精神も急速に劣化すると言うこと。「もう年だから」はも
のぐさの言い訳にはならないってことだよね。日本語には「隠居」という言葉があるけど、隠
れて住むなんて語感が悪すぎるし、文字通りの「引きこもり」みたい。「楽隠居」なんてのも、
字面だけなら人も羨むいい身分に見えるけど、ほんとは体にいいわけがないと思うな。じゃ
あ、現役を引退したんだからと「引居」と言い換えてみても、やっぱり「引きこもり住まい」に
なっちゃうか。

要するに、人生は生まれてからずっと延々と続くもので、ほんとの「引退」と言うのは寿命が
尽きるときなんじゃないかな。まあ、人間は社会的動物なんだとすれば、年を取っても社会
とつながっていることは究極の「生涯現役」と言えそう。社会参加しなくちゃなんて大仰に考
えることはないと思うな。身近にいる家族や長く付き合って来た友だちとの交流を大事にし
て、絶やさないようにすることから始めればいいと思う。外に出て人に混じるのがめんどくさ
いなんて言ってたら老け込むばかりで、そうなったら、ねえ、私たちの「見かけの年の差」が
広がるばかりだと思うんだけど・・・。