なくてもありすぎても困るもの
10月16日。どうしたことが二人ともあまり良く眠れなくて、けさはそろってとろ~んの状態。それでもカレシは英語教室に出かけて行き、私はそろ~っと腕まくり。中くらいのをもうひとつ同じクライアントだからやっちゃえとねじ込んでしまったから、この先1週間はまったくのきちきち。我ながらしょうのないやっちゃと思う。仕事のログを見ると、今年は今月でもう去年の年間売上を突破している。来月納期の手持ちの分も勘定したら、思いっきり仕事を減らすことにした2001年のレベル、このまま年末まで仕事が続いたら、ワーカホリック時代に近づいてしまいそう。それじゃあ、ここらで店じまいしてのんびり、ともいかないしなあ・・・。
あくびをしいしいでピッチが上がらないので、気晴らしのつもりでローカル掲示板を覗いたらおもしろい話があった。同棲しているカナダ人のボーイフレンドに結婚するときはPrenupにサインしろと言われたとかで、これってフツーですか、と質問。結婚前に主に財産について取り決める、いわゆる婚前契約なんだけど、普通かと聞かれれば、庶民にはそんな契約を結ぶような財産なんかないし、中流の上くらいでもそんなに普通ってわけではないけど、金持ちになるとかなり普通じゃないのかな。特に金持ちの熟年男が若い女と再婚するってときは多いだろうなあ。ドナルド・トランプとだったらサインしなきゃ結婚してくれないだろうし、ジャッキー・ケネディもオナシス夫人になったときにサインしたらしい。ポール・マッカートニーは再婚の時にヘザーの涙に動かされてそれをやらなかったから、ひと財産ぼったくられる羽目になったとか。
件の掲示板のカノジョ曰く、「離婚して彼の財産をふんだくりたいとか、得したいという思いはないですが、異国の地でもし一人身になることを考えるとやはり離婚となれば、ある程度の資金は必要になると思います・・・今後結婚生活をしていく上で離婚した際に今の自分の貯金だけが頼りというのは少し不安な気がします」。あらら、まだ結婚もしていないのに今からもう離婚したときのお金の心配かい。まあ、「やめとけ」の大合唱にカノジョもどうやらその気になったらしいけど、バブル後の日本の若い女性は「男は家族を養ってナンボ」と信じているのか、自立しようという気概はまったくない。それどころか、国際結婚で親から離れて異国の言葉や文化の中で暮らす「辛さ」を理解してくれないと嘆く。つまり、あんたのために辛いんだから、蝶よ花よと甘やかせってのかなあ。なんか、努力せず、損をせずに生きたいといっているような・・・。日本女性はおとなしくて尽くしてくれるとかいう、カビの生えたステレオタイプに浮かれているカナダ人男はいい面の皮かなあ。たとえ、自業自得であっても。
だとすれば、このカノジョのお相手はなかなかの策謀家だ。カノジョの曰く、「私がこっちで将来それなりの仕事に就けないようであれば(飲食店のウェイトレス、受付、秘書などではだめ)結婚する気はない」んだそうな。なるほど、かなりの野心家でもあるようだ。出世して金持ちになるつもりで、そのときに自分の妻はその地位に釣り合っていなければ困るということかな。まあ、日本人同士だって、学歴が釣り合わないだの、相手の収入が低くて不安だのと悩みは尽きないようだけど。だけどこの彼氏、あんがい、結婚を仄めかすようになったところで、Prenupを持ち出してはカノジョたちを撃退しているのかもしれないな。それにしても、まだ結婚するかどうかも決まらないうちから離婚後の生活資金を心配する人もいるんだ・・・
ナニしてナンボ
10月17日。よっぽどぐっすり寝たのかなんか、目が覚めたら12時半。また雨らしく外は暗い。8時前にすごい轟音で目を覚ましたというカレシ、「こんな時間にどこのどいつだ~」とわざわざ外へ出て行ったら、市の道路清掃車が雨水枡を塞いでいる落ち葉を掃除して行ったとか。外勤の仕事は一般に朝が早い。だから市の土木現業所みたいな施設からそう遠くない我が家のあたりは、ごみ収集車も清掃車もみんな朝早くに来てしまう。午前7時半はフツーの生活時間でいえば2時か3時くらいみたいなもので、ま、そういう変則時間で生活しているんだからしょうがない。だけど、睡眠に関して神経質なカレシはむかっ腹を立てるもんで逆に眠れなくなってしまう。そこへ私がびくともせずに眠っていたりすると、「よく寝てられるな」とむくれる。だって、すっごく疲れてたんだもん。でも、よく眠れるっていいもんだなあ。鬱のときはドクターに薬をもらうほど眠れなくてつらかったから、眠れないカレシの苛立ちもわかるんだけど。
日本のボクシング界で起きた大きなスキャンダル。記事を摘み食いして読んだ限りでは、七光りで実力も蓄えないうちに天狗になったガキンコという印象で、なあんだ、ブリトニー・スピアースやパリス・ヒルトンと変わらんじゃないの。プロスポーツは今やほとんどが本来の実力だけでは売れない浮かれた商売に成り下がっている。気の遠くなるような大金が舞うショービジネスであれば、「勝ってナンボ」のものでしかない。フットボールのコーチだったヴィンス・ロンバーディは「勝つことがすべてではない。勝つことあるのみだ」といったそうだけど、オリンピックのドーピングスキャンダルなんかも見ると、予言的でもあるような・・・
ファンにしても、ほんとうにそのスポーツが好きだというよりは、自分の「勝ち犬」願望をチームに投射しているようなところがあるから、チームの勝ちは自分の勝ちというわけで、「精一杯がんばったけど負けた」は所詮は負け犬(=ある意味で「自分」)の遠吠えで聞く耳なし。スポーツの世界は勝ってナンボ、芸能界はモテてナンボだから、勝つためには、セレブでいるためには、手段など選んでいられるか、ということになる。だけど、実力を蓄えて、精一杯がんばってその実力を発揮させる以外に、「自分の価値」を高める手段ってあるのかなあ・・・
この「~してナンボ」という言葉、背筋がぞくっとする冷たさを感じる。人間の価値を「金」で計っているとしか思えないからなんだけど、アスリートは勝ってナンボ、アイドルはカワイくてナンボ、男は女房子供を養ってナンボ、女は子供を産んでナンボ、日本女性はやさしくて従順でナンボ。その反対は「~しなければゼロ」。ひょっとしてこれも「ものさし文化」の産物なんだとしたら、なんかおそろしい思想だと思う。そんな世界では「打算」しか生きる術がないかもしれない。人間の価値はどんなものさしにも計れるもんじゃないと思うんだけどなあ。なのに「ものさし」で計って人間の関係を結ぼうとするから、打算に足を取られてしまうんじゃないのかなあ・・・ふむ、女の考えることとしては哲学的すぎるかな、これ。ま、いっか。仕事、しよう。
台風リンリン
10月18日。今日は朝からかなりの雨。台風が来るんだそうな。Typhoon Linglingというんだって。もっとも台風のままではなくて温帯低気圧に格下げされているけど、フィリピン方面から太平洋を越えて来るんだからすごい。「リンリン」とはいかにもかわいらしい名前だけど、日本に接近していたら「台風18号」かな。
カナダは、東部ではよくハリケーンが北上して来るけれども、西部の方でメキシコ太平洋岸のハリケーンやアジアの台風がここまで来ることはめったにない。だけど、「めったにない」ということはたまにはあるということで、今でもバンクーバーっ子に語り継がれているのが1962年10月13日の「フリーダ」。ハリケーン・フリーダと呼んでいる人が多いけど、ウェーク島付近の生まれだから公式には「台風」。たいした台風ではなかったのが、東へ進むうちに勢力を盛り返して、サンフランシスコからバンクーバーまで大変な爪あとを残していったそうだ。
バンクーバー空港では最大瞬間風速35メートル、もろに太平洋に露出したビクトリアでは40メートルまで行ったという。ダウンタウンのデパートではショーウィンドウが粉みじんに割れて、クリスマスの飾り付けが全部吹き飛ばされてしまったそうだ。(10月半ばの話なのに・・・。)当時19才だったカレシは友だちと連れ立って、大波を見ようとわざわざスタンリーパークまで出かけたというから、怖いものしらずのツッパリティーンらしい。遊歩道の護岸に砕ける波が背丈よりも高くて、「壮観だったぞ~」と今でも目を輝かせる。よっぽどの光景だったんだろうけど、目の前で大木が根こそぎ倒れたのにはさすがに肝をつぶしたとか。
台風というと、思い出されるのは、長崎でカレシが大爆発した翌々日に台風に追われるように九州を離れ、その夜泊まった岡山で、追いついた台風が私たちの真上を通過して行ったことだ。ちょっとググッてみたら、あれは台風10号、何と1998年10月18日となっている。バンクーバーは今10月18日。そうか、あれはちょうど9年前の今日だったんだ。この日に台風の話なんて不思議だけど、すると、来年の今日はちょうど10年になる。あの「カレシ台風」ももう「十年一昔」の域に入るってわけだなあ・・・感慨。
さて、午後には強風警報が出ていたんだけど、外はなんかし~んとしている。嵐の前の静けさというけど、台風リンリンはほんとうに来るのかなあ。
もう知らない
10月19日。台風リンリン、心変わりして南の方へ行ってしまったらしい。雨はよく降ったけど、風はいたって静かだった。やれやれ。だけど、日曜日には次の嵐が来るんだそうな。日本方面では台風19号だって。リンリンの次は「カジキ」。これは日本が提唱した星座の名前だ。こっちまで来ないといいけどなあ。
庭は一面が落葉でびっしり。だけど、カレシは熊手がどこかに行って見つからないという。外で使った後にしまい忘れて、誰かが持っていってしまったのかもしれない。くまでがなくては落ち葉掃除もできない。落ち葉掃除ができないから、家でコンピュータの前に座りっぱなし。それでいて、どうも体重が増えてきたから当分の間ナイトキャップは止めようだって。ふ~ん、ひとっ走り熊手を買いに行ってこようかなあ。
やっと大仕事の第1部に手をつけた。手をつけたはいいんだけど、え、これってWORDの表。何ページも延々続く。フツーの表ならどうってことはないけど、見出しの次のしょっぱなのセル、どこまで行くのかなあとスクロールしていったら、最後のページまで行ってしまった。きゃあ、1行だけってこと?しかもていねいにENTERキーを使ってレイアウトしている。こんなのに上書きしたら左、中、右の内容がずれまくりだ。ったく、何で項目ごとに行を分けないんだろうなあ。おまけに、タブの代わりにこれまたごていねいにチョンチョンとスペースを入れてある。これじゃあ仕事にならないよ~、表機能の使い方くらい覚えてくれよ~と、大騒ぎしながら、表をフォーマットしなおして、それだけで半日かかってしまった。っもう、しらないったら!
EXCELもWORDも、まったく違う企業の人間が作成してこうなんだから、言語文化よりももっと前に何か大きなギャップがあるんだと思うしかない。でも、いったい何なんだろうなあ・・・
そんなときに1ヶ月以上も東ヨーロッパを旅行して帰ってきたばかりの友だち夫婦から遊びに来いと電話。仕事の手順がもう半日遅れてしまってるんだけど、そのままではどうしようもない原稿にストレスメーターは上がりっぱなし。えいっと放り出してでかけてしまった。二人は医者の息子がいるモントリオールに寄って、パリに1週間、トルコでパック旅行1週間、二人の生まれ故郷のポーランドで2週間。いとこたちがいるとはいっても、長い旅はさすがに年を感じさせたそうな。飲んで、しゃべって、帰ってきたのは午前1時。楽しいガス抜きになったけど、あしたはぶっ飛ばして挽回しなくちゃ、次がつっかえてしまう。あ~あ・・・
サラリーマンはツライね
10月20日。目が覚めたら11時ちょっと過ぎ。かなり暗いところを見るとまた雨らしい。カレシがあまりぐうぐうと良く寝ているので、私ももうちょっと寝ようか・・・と思っていたら、なにやら突然むっくりと起き上がって、耳栓をしてまた横になった。「起きないの?」といったら、むにゃむにゃ。耳栓したってほんとは聞こえているのはわかっているんだけど、しゃくだからがっちりと抱きついて、いい気分でひと眠りすることにした。
つい最近の新聞記事にバイアグラやシアリスを服用して突発性の難聴になることがあると書いてあった。ほとんどは一過性で聴力は回復するそうだけど、しない人もけっこういるらしい。へぇ、それって問題なのかしらん、笑ってしまった。男って動物は元々から人の話を聞かないんだから、今さらバイアグラで難聴になったって、大して変わりないじゃん・・・なんて。深夜のトークショー番組でジョーク六連発だろうなあ。
今日はまじめにイライラする仕事に取っ組もうと思ったけど、やっぱり「や~だ」症候群。あっちでダラダラ、こっちでグズグズでちっとも進まない。日本の職場にパソコンが侵入し始めた頃の話。そのせいでソフトのローカリゼーションの仕事が多かったので日本のパソコン雑誌を講読していた。それまではサラリーマンの仕事といえば客先と飲んで商売の話をしていれば良かった?のが、そうでなくても狭いオフィスにパソコンが乗り込んできて、ワープロだ、表計算だとややこしいことになった。キーボードなんかに触れたこともないおじさんたちはOL嬢たちにまでバカにされて、テクノ恐怖症とか、テクノストレスとかになって、エライ目にあったらしい。
そういうのを読んでいたせいか、このどーしょーもないWORDの表、ついついあの灰色のデスクに座って、猫背をよけい猫背にして、さすがに誰もいなくなった丑三つ時のオフィスで必死で仕事をしているおじさんを想像してしまうから、な~んか切ない。考えたら自分もその団塊の世代のおじさんと同じ年頃なんだけど、つい30年前の高度成長時代の猛烈サラリーマンの成れの果てみたいな姿を想像してしまう。浦島さんなもんで、ごめんね、おじさんたち。
だけどねぇ、やっぱりこの表の使い方は落第なんだよねぇ。紙と鉛筆で線を引いて・・・そんな感じがする。WORDの翻訳原稿が来ると、まず十中八九グリッドが設定されている。やっぱり原稿用紙思考なのかと思ってしまう。欧米語の単語にはハイフンを使って分けられるシラブルというものがある。詩を書くときはけっこう重要な働きをするんだけど、日本語は文字単位なもんで、行の終わりにきたらどこでもドア式に単語を区切ることができる。ワープロソフトは昔のタイプライターの延長みたいなものだけど、ここでも昔の和文タイプは英文タイプとは似ても似つかないモノで、たいていの文書は手書きだった。つまり、深夜のオフィスで線引きの便箋に手書きしていた時代と同じようにワープロを打っているおじさんたちには、ワードラップとか、タブとか、インデントとか、みんなエイリアンなのかもしれないなあ。
30年前に東京のホテルの窓から見た夜中のオフィス風景を思い出す。煌々と明かりがついている中で、数人ずつ固まっていたり、ゴルフのスイングをやっていたり・・・きっと、パソコンなんて怪物のいない平和な時代だったんだろうなあ。今どきのサラリーマンはもっとツライのかもしれないな。
根の下ろしどころ
10月21日。目が覚めるとまた暗い感じの日曜日。天気予報どおりに荒れ模様だ。土曜日にお出かけしなかったので、今日はグランヴィルアイランドのマーケットでカニを茹でてもらってくるつもりだったけど、何だかめんどうになって「在宅グルメ」ということになった。へたくそWORDの原稿でストレスになりまくりなもんで、ほんとはどっかに行きたかったけど、雨の中をおめかししてでかけるのもやっぱりめんどう。うん、我ながらかなりのお疲れと見えるなあ。
だったら、フリーザーからマグレ鴨を出してきて、これに何かソースを考えてみることにした。鴨はとにかくすごい油が出るから、オーブンに入れる前にまず熱湯で油抜き、それからフライパンで皮の方だけ焼いてさらに油を出す。さて、ソース。マデイラワインを使おうと思ったらあんまり残っていない。じゃあ、料理用のシェリーを煮詰めて、蜂蜜とブランディを入れる。緑のこしょうと赤いこしょう(実はこしょうじゃないらしい)を入れて、少し煮詰めたらかなりコクのあるソースになった。極楽とんぼ亭のシェフのお得意は即興ソース。今日のは我ながらうまくできていた・・・と自分の肩をポン。カレシはというと、ソースも鴨もほめまくりの感激しまくり。その挙句に、「だけど、カロリー高そうだなあ」と。トレッドミルで走りなさいってば。
父が札幌に残した「我が家」の土地にとうとう買い手が現れた。家はとっくに解体されてしまっていたけど、転勤族の両親にとっては「終の棲家」、娘の私たちにとっては初めてのマイホーム。目をつぶれば、角地の家が見える。オンコ(イチイ)の木があって、桜の木があって、春には芝桜に縁取られた玄関があって・・・。家の中も目をつぶれば今またそこで暮らしているかのように細かなところまで浮かび上がってくる。ごくごくフツーの家庭を絵に描いたような風景。あの家を離れて32年。心のどこか奥深いところでまだ完全にあの土地から抜け切っていない根が残っていたのだろう。それが「郷愁」というものなのかどうかはわからないけど、極楽とんぼがそのまま安穏に極楽とんぼな子供でいられたところだったことは確かだ。
その土地が見も知らない他人の手に渡ったことで、最後の細い根がスポッと抜けた気がした。「いつまでも親がいると思うな」と、ちょっと揺らいでいたらしい私を叱咤してくれたのは亡父だった。子供の人生は親のそれを超えて続いて行くのがあたりまえで、誰もがいつかは親の畑から自分の根っこを抜いて、どこかの別の土に移植して、しっかりと張り巡らさなければならない。誰にも必ずそのときが来る。今、海の向こうの「里帰り先」に目を向けて暮らしている若い人たちにも、この先30年も経てば自分の根っこの下ろし場所を決めなければならないときが来る。そのとき、その根がひょろひょろしていたらどうなるんだろう。
私はデラシネじゃない。よ~し、これからこのカナダの地でもっともっと根を張り巡らしてやろう。たっぷりと栄養を吸い上げて、大きくて華やかで香りのいい花を咲かせて、歴史という本のページの間に「押し花」として挟み込まれよう。
秘密、発見した?
10月22日。なんかやっぱり疲れているみたいで、目が覚めたら12時30分。雨模様外が暗いせいもあるけど、ナイトキャップが効きすぎているのかもしれない。カレシは体重が増えると言いながら、そろそろ店じまいという時間になると「何がいい?」と来る。それで、コニャックにしたり、スコッチにしたり、リキュールにしたり、飲みながらしゃべっているうちにいつのまにか午前4時を回ってしまうから、まあ、昼過ぎまで寝てしまうのもあたりまえ。カレシが思い出したように「午前2時就寝励行」を言い出すんだけど、肝心の提唱者がコンピュータの前に座って動かないもので、三日坊主まで行かずに頓挫する。まあ、二人とも在宅なんだから、それでもさして支障はないけれど、午後1時を過ぎて起きるようになったら赤信号かなあ・・・?
ごみ収集が再開されて2回目の月曜日。たまっているゴミを処理するために、最初の2週間は1戸あたり6袋まで余計にゴミを出せることになっていたんだけど、我が家の地区はいの一番だったからニュースが届かず、容器だけしか出せなかった。そこで、カレシは今度こそはとばかり、リサイクルできないゴミを集めまくってゴミ袋に詰め込んだけど、こっちのゴミ袋は大きいから6つどころかやっと3つ。カレシがなんか損をしたみたいな顔をしたもので、私は思わず吹き出してしまった。二人しかいないのにそんなにゴミが出るわけないでしょうが。トラックの音で目が覚めなかったので、まだ来ないのかと思ったら、ぜんぶすっかり片付いていた。来週からは平常通りにリサイクル品の回収も始まる。
イライラ仕事の第1部を片付けて、息抜きというわけでもないけど、張り切って別の仕事にかかった。少し大き目で、ちょっぴりきつめだけど、こっちは国際法の解説。仲間うちの隠語ばっかりみたいな内規なんかよりずっとおもしろい。だけど、念のためWORDのフォーマットをチェックしたら、ああ、やっぱり、グリッドが設定されている。ページ設定でも「行数」が指定されている。ふ~ん、どうも日本語版のWORDではこれがデフォルトじゃないかという疑惑は当たっている感じがする。だって、みんながみんな同じところにチェックマークというのは、今風に言えば「アリエナ~イ」。やっぱり根本は原稿用紙だったんだ。な~んかナットクしたような、秘密を見つけたような・・・。
この文書、ちゃんとタブでインデントを設定してあるのはいいけれど、パラグラフはみんなくっついているし、章や節の見出しの前後を空けていないから、読みにくいことこの上ない。でも、よく考えるとそういう原稿の方が多いから、これも日本語の文書作成様式なのかもしれない。だけど、こんなにびっちり詰った文書を読むのに、日本の人は目がしょぼしょぼしないのかなあ。と、ああだこうだと文句はいいつつも、フツーの文書にフォーマットされているから、ラクラクの行け行け気分。あとは、何とか条約第何条とか、何とか協定とか、何とか議定書とか出て来たら、聖グーグルのお出ましを願えばいい。どんなに小難しいテーマでも、ちゃんとした文書で内容がおもしろければストレスフリーで仕事は楽し!鉢巻締めなおしてがんばろっと。
全然フリーじゃないけど
10月23日。読売小町で、フリーになりたいという夫に福利厚生のあるしっかりしたところで働いてもらいたいがどう説得したものかという、フリー稼業の妻の相談が載っていた。フリーランスは不安定だから、子供を持つことや老後を考えると不安なのだとか。だから、自分がやっているのはいいけれど、夫にはフリーになってもらいたくない。でも、夫がフリーになるからといって自分が好きでやっているフリーの仕事を辞めて外へ働きに出るのは不公平だし、かといって、自分がフリーでやっているわけだから、夫にフリーの仕事はダメというのも説得力に欠ける・・・キャッチ22。悩むわけだなあ。
相談者には自分が「家事をしながらフリーで働き家計にも貢献する」という理想が前提になっているらしいけど、家事の合間にする仕事って仕事じゃなくて趣味じゃないのかなあ。家計「にも」貢献するといっているあたりで、よくしてもアルバイトか、悪くすれば小遣い稼ぎ程度の仕事なのだろうと想像される。もちろん、自分の小遣いを自分で稼ぐのはすばらしい。それに、その程度だったら家事をしながらでも十分にやれて、おまけに「フリーの翻訳業です」と言える。収入が不安定で不安だといっても、勤め人に生活費を保証してもらっている分には心配することはないから、フリーのお仕事っていいもんだ~となる。
ま、確かにフリーの在宅稼業にはいいこともいろいろある。ラッシュアワーのすし詰め電車や交通渋滞とは無縁だし、うるさいボスもいないし、目の上のたんこぶみたいな同僚もいない。その気になればパジャマのままで仕事をしてもいいし、疲れたらその場でコロンと昼寝をしてもいい。ほんとに気楽なことこの上ない。自分の家というくつろげる環境で、好きなときに、あるいは家事の手が空いたときに仕事ができる・・・
というおいしい話がどこかで作られたイメージであることは、本気で仕事をしようとしたらすぐに現実になる。フリーランス稼業は一人で何役もこなす自営業という「職業」なのだ。一人ぼっちのビジネスだから、注文をとって、品質管理をして、期限までに納品して、代金を回収して・・・会社の機能を一手に引き受ける。客という名の怖い「ボス」がいるし、仕事を分担すれば「同僚」もいれば、「納期」というストレスもあるし、校正や編集という「品質検査」もある。それを職業としてやる以上は、会社で「洗濯物がたまったので早退します」とか、「子供が遊びたがっているので今日は休みます」とか、「掃除に時間がかかったので遅刻します」と言うわけにはいかないのと同じで、サラリーマン並みに稼ごうと思ったら、「家事の合間にお仕事」なんてのんきなことをいっていられない。いきおい「仕事の合間に家事」ということになる。
要するに、フリーランスははぜんぜんフリー(自由)じゃないし、フリー(ただ)でやっているものでもないんだけど、カタカナ語の常套手段で、「フリー」という短縮語にしてしまったから、自由で気楽で魅力的な働き方みたいなイメージが生まれてしまったのかもしれないなあ。世の中って「no free lunch」なんだけど・・・
一瞬真っ青
10月25日。のんきにブログなんか書いていられないという状態で、一夜明けて眩しいほどの秋の空。やっぱり色あいが違うんだ。「来週のご予定は?」なんて、ムンクの絵みたいになってしまいそうなメールには頬かむりを決め込んで、野菜の買出しに出かけた。やっぱり人間たるもの、食べることを無視して仕事に没頭するというわけにはいかない。先立つものは何よりも食べる物!
さすがにシーズンの到来。デパ地下のクリスマスツリーの飾り付けを抜けてたどり着いた郵便局私書箱はカタログでびっしり。その中にクレジットカードや諸々の請求書が混じっている。青果屋で英語教室からの帰りのカレシと落ち合って野菜をどさっと仕入れる。私とあなたの冷蔵庫があるもんで、最後の勘定になって別々のバスケットに同じ野菜が入っていて、レジの人が「あれ、同じのがあったけどいいでんすか」と指摘されて「うちは別勘定なんで~」なんて説明したら、行列の人たちから一斉に注目を浴びたりするからおかしい。私はケラケラ笑い、その場で唯一の白人なことが多いカレシはめっちゃくちゃ困惑した顔になるからよけいにおかしい。
家に帰って、車をバックでガレージに入れる途中でカレシがなくなったと騒いでいた熊手を見つけた。ガレージ脇の植木の中に実に巧妙にカムフラージュされた格好で立っていたから、これもおかしい。二人でゲラゲラ笑っているうちに、カレシガレージのドアの枠に車をゴツン。ペンキなのかこすれ傷なのか、ちょっとわからないけど、バンパーが白くなってる。おいおい。ま、ガレージは無事だったけど・・・
それぞれの野菜を整理していて、私書箱から取ってきたカタログはあるけど4通の封筒がないことに気がついた。レジの途中でバスケットから取り出してカレシに袋に入れてもらったはずなんだけど、あるのは山ほどのカタログだけ。クレジットカードの請求書があったから、ま、いっか~というわけにはいかない。バスケットの中にでも忘れたかと思って回れ右してラッシュの中をモールに駆け戻り、青果屋さんにきいたけど、「さあ、届いてないですね~」。あ~あ、どうしよ~と思って店を出たら、カレシが封筒をひらひらさせながらやってくるではないか。あったんだ~!
何と、車を駐車してあったところで4通が点々と落ちていたんだそうな。たかが15分くらいとはいえ、誰にも拾われなかったのは奇跡中の奇跡だ。どうやらカレシがまとめて車に運ぶ途中で抜け落ちてしまったらしい。ふぅ~。よく見たら4通ともみごとなタイヤの痕がついていて、かなりおもしろいデザイン。やれやれ。でも、これで土曜日のロトで大当たりするチャンスはフイになっちゃったわねといったら、うっかりしただけでアイデンティティを盗まれるこのご時世、2200万ドルよりも無事に見つかったクレジットカードの請求書の方がよっぽど価値があるよ、とカレシ。うん、それに熊手も見つかったことだしねぇ。
それにしても、今日は二人揃って「一瞬真っ青」シリーズの午後だった。おかげで、新幹線並みの仕事のスケジュールはまた遅れ気味。期限はこちら時間明日の午前7時。今夜はまた半徹夜モードだなあ・・・
脳みその充電中
10月26日。すごく抽象的でややこしい仕事で脳みそがかなり熱くなったけど、午前5時半、期限ぎりぎりで完了。法律概念のあまりにも抽象的な論議なもので焦点がつかめない。言わんとすることは分かるんだけど、自分が訳したものを読んで何となく分かるんだけど、編集者にもわかるかなあ。それにしても、学者さんて、家に帰ってももこんなしゃべり方するのかなあ・・・。
寝たのは午前6時。カレシはとっくに高いびき。暖房はとっくに「就寝モード」なので、私の側のベッドはひんやり。そろ、そろとカレシの側に侵入して、まずはそおっと足をくっつけたら、うぅ、あったか。それから、しずしずと寄り添ってみたら、ほんわかとほかほか。これでいびきさえなかったらロマンチックな気分になれるんだけど。それでも、ほどよく温まったところで自分の側に寝返っておやすみなさい。熱交換?でカレシの方は冷えたかと思いきや、ご当人はひたすら高いびき。そうして眠りについて目が覚めたら正午過ぎ。まあ、睡眠6時間は後で疲れの出ない範囲だから上々というところ。
起き出してバスルームの秤に乗ったカレシが「うひょ~」と、まるで大異変発生に出くわしたような声。自分なりに「適正体重」の幅があって、その上限に到達してしまったんだそうな。ダイエットタイムだ、酒を減らさなきゃ、とひとしきりぶつぶつ。確かに、庭仕事で運動しているからと、トレッドミルはサボりっぱなしだったし、ときどき冷蔵庫から摘み食いしているし、きのうは夜中のランチの後にまたソーセージを出して来て、「食べない?」だったから、そりゃあ太るでしょう。ハグすればぽっちゃりしてるのがわかるんだから。まあ、かくいう私も、仕事に追いまくられて(という口実で)トレッドミルをサボったり、仕事が終わらないと(いう口実で)コンピュータの前に座りっぱなしで、そのくせ重(脳)労働なのよ~と(いう口実で)よく飲んで食べて。おかげで極楽とんぼもオニヤンマに変身しそうな予感。う~ん、二人一緒のダイエットなら案外やりやすいかなあ。
さて、難解な法律論議の後は、あの頓珍漢なWORDの表PARTⅡが控えているけど、気乗りがしない。何かおもしろい話はないかなあと新聞を読み漁っていたら、へぇ、あのNOVAうさぎちゃんもとうとう年貢の納め時らしい。異国で路頭に迷うガイジン先生は気の毒だけど、NOVAでの経歴はあまり高く買われないらしい。一時期はNOVAだけで6千人もいたというからすごい。世界中にEFL教師の仕事がある今どき、まともに資格のある教師がそんなにたくさんいるわけがないと思うけどなあ。ま、英語が母語というだけで十分に資格というならカナダには有資格者が何千万人いるってことになるけども。そのせいなのかどうか、日本から帰ってきて英語教師の仕事を探すのに履歴書にNOVAの名を書いたら採用されないという噂もあるという噂。さて、どれくらいが帰ってくるのか。
ここのところ、時事ドットコム(www.jiji.com/)の「きょうの日本語検定」がおもしろい。並んだ広告の下にちょこんとある小さなボックスなんだけど、漢字の読み方だったり、敬語や謙譲語だったり、毎日一問。答をクリックすると、別のページが開いて解説を読めるという仕組みで、へぇ~そうだったのかと感心することもしばしば。解答分布というグラフがあって正答率がわかるのもおもしろい。明日はどんな質問かなあ、と楽しみにしている。
うさぎ、うさぎ、何見てはねる
10月27日。えっと、今日は土曜日。ディナーはどこに行く~?なんて聞きあっているうちに、サンフランシスコに行けば毎日三食外食だしねぇ、ということで「内食」になった。カレシが「少し体重を減らしておかなきゃ」ということもあるけど、私は旅行というと必死で仕事を片付けて前夜に慌てて荷造りということになってしまうから、今回は少しでもスケジュールに先行して、ひと息つく時間を持ちたい。うん、うちで食べよう。フリーザーはまだ「兵糧」がたっぷりあるしね。
そんなわけで、極楽とんぼ亭の「内食」メニューは、カレシが庭に植えてあった巨大なホースラディシュ(西洋ワサビ)をドレッシングにしたコールスローと、ベトナムなまず、蒸したインゲン豆、ポテトのミルク煮(はシェフの即興)。ホースラディシュは刻んでいるときはすごく辛そうな匂いがしていたけど、レシピ通りに氷水と酢で処理してからドレッシングに混ぜたら、香りとワサビ味はあるけれどもあんまり辛くはなかったから不思議だ。ワサビとはいっても根っこの色は白。日本のとは味も違うことは違うんだけど、ワサビって天然で緑色なのかなあ。
すっかり気乗り薄になってしまった仕事、PARTⅡは良く見たら半分以上がPARTⅠと同じか、ほんの少し違うだけではないか。おお、これはシメシメ。大いに手間が省けるのだ。これならWORDの表の不細工によるイライラのカリカリを帳消しにしてあげてもいいかなあ。ふむ、うまく行けば出かける前にPARTⅢまで終わらせられるかもしれない・・・と思うとガゼン張り切ってしまうから、しょーないとんぼや。
NOVAのニュースにはカレシも興味があるらしい。そうだよなあ。あの時日本に行っていたら、今頃は異国で無一文のホームレスになっているかもしれない。あの頃は「日本で働こう」とかいうようなタイトルの本をやたらに買い込んできて、ベッドの中でまで熱心に読んでいたけど、いくら専門職の資格があっても、ろくに日本語を話せない60才に近いガイジンがぽっと出て行って普通に就職できるわけがないのは一目瞭然。だけど、人間というのは、夢に浮かれてその気になってしまったら、マイナス面は見えなくなるもので、カレシもしかり。運命ってほんとに不思議だけど、カレシも「あのとき行かなくてよかった」と、内心胸をなでおろしているのかもしれない。
オーストラリアとイギリスの大使館は自国出身のNOVA教師の支援に乗り出したんだそうな。QANTAS航空などは帰国する人に運賃を割引するとか。大学を出たらまず1、2年日本へ行って・・・という若い人もけっこういるから、カナダ人もかなりの数になるかもしれない。とにかく遊んで来ようと目論んだ向きもいただろうけど、日本へ行ったらガンガン貯金できて、帰って来て学生ローンを返済できると胸算用した向きも多いらしい。何だか西洋版「ジャパ行きさん」と言えなくもないけど・・・
空中のお城
10月28日。今朝は変てこな夢の途中で目が覚めた。(もっとも、夢を結末まで見たって話は聞いたことがないけど。)キッチンにぞろぞろと人が入ってきて、元義妹の仲良しのブレンダ以外はポーカーフェースの知らない顔ばかり。キッチンを見渡して、ここがどーの、あそこがどーの、これはなーに、あれはなーに。ほんと、キミたち、だーれ?そこへカレシが朝ごはんを作って食べさせてやれというので、どうしよう、朝から肉は重いし、卵があるから、アスパラガスと、あとは・・・なんて算段をしていたところで目が覚めた。
夕食のしたくに入る前にトレッドミルでとことこ走っていて、はたと思い出した。友だちの家が汚くて具合が悪くなったという、あのトピック。久しぶりに訪ねて、潔癖症じゃないと断りながら、まるで写真にでも撮ってきたのかと思うほど細かく汚れぶり、散らかりぶりを描写した挙句に「ありえない」。すごいなあと、びっくりするやら、呆れるやら。みんな人さまの家の中をあんなに細かく観察しているのかなあ。我が家に来たら、やっぱり「この散らかりようはありえない」と書かれてしまうのかなあ。ありえないといわれても、ストの間はリサイクル場も閉まっていたから、リサイクルごみが溢れて、現実に散らかり放題の家があるんだけどなあ。私のオフィスと来た日には紙ふぶきの吹き溜まりだから、この人でもさすがに描写に窮するだろうけど。
中教審が実質的にいわゆる「ゆとり教育」が失敗だったと認めるようなことをいったそうな。「生きる力」とか「自ら学び自ら考える力の育成」とか、掲げた理念は高邁でいいんだけど、旗印は所詮風にたなびく旗印。その指導要領の下で育った若者たちには「生きる力」がありそうに見えないし、自分で学んで自分で考える力があるのかどうかもあやしい。役所や学者が作った教育方針が失敗して割を食うのはいつも子供たちだ。北米でも機能的非識字者が増えたという報告があったけど、これは実験的な国語教育が失敗した結果。将来のある子供たちを実験台にして象牙の塔で考え出した教育理論を試すのは困ったものだと思うけど、「教えられる教師は教え、教えられない教師は教師に教える」という揶揄には真実味がありすぎる。この後「教師に教えられない教師は管理者になり、管理者になれない者は政治家になる」と続ける。
日本の平均所得を調べていて、なぜか世界から見た日本とか言う記事のあるサイトに入り込んだ。読んでみたら、これがけっこうおもしろかった。日本人は小学校から日本は優秀な国家であり、日本人は優秀な民族なのだと教えられて、理由のない優越感の中で育っているという。つまりは、日本人に生まれたというだけで他の民族より優秀と思い込んでいるということらしい。著者がかなり左翼よりらしいのを勘案しても、ダウンタウンにたむろしている若い日本人の言動にはなるほどそういうことだったのかと納得するところがある。日本人だからデフォルトで自分は優秀、だから努力しなくてもいいし、異国ではチヤホヤされて当然。空中の楼閣みたいな優越感の中に浮いているからこそ、些細なことでカナダ人、中国人、韓国人ごときの劣等民族に「見下された」と憤慨するわけか。これでは「自ら学んで自ら考える」という力どころか、生きる力もつきそうにない。なるほど、彼らも間違った教育の被害者なのかもしれない。
読み進んでいくと、「日本は世界一貧困な国家か」という節があって、これも目からウロコだった。OECDの「貧困」の定義によると、日本の貧困率は世界のトップを争う高さなんだそうだ。母子世帯の収入の低さや、それよりも低いらしい事故犠牲者の遺家族の収入や、生活保護を拒否されて餓死する人まで出たという話を聞けば、なるほどと思えてくる。それでもまだ日本は世界第2の経済大国なのだ。たぶんに、豊かさも単なる統計のマジックのなせる業なのだろう。
出かける前はどうしてこうも
10月30日。あ~あ、どうしてこう出かける前の日までバタバタなんだろうなあ。明日10月末日は第3四半期に集めた消費税の納付期限。フリーランスの個人事業主でも一定以上の年間売上げがあればGSTという消費税を徴収する義務がある。これが実にしちめんどうくさい。まあ、まめに帳簿をつけないから納付期限が迫ってめんどうだなあということになるんだけど、期限に納付しないと利子がついてくる。だけど、経費にかかったGSTを相殺できるので、輸出扱いで税率ゼロの海外からの仕事の方が多いと還付されることもある。ま、いつものように慌てたもので、結局は3ヵ月分の帳簿を整理するのに一晩中かかってしまった。
保守党政権時代に最初7%で始まったGST、去年から6%に下がって、今日発表された予算案では来年1月からさらに5%に下がるとか。所得税の減税も今年初めまで遡ってやってくれるらしい。保守党の少数政権になってから、カナダはやたらと景気がいい。どの政党だからというよりも、たまたまグローバル経済がカナダに追い風ということなんだろうけど、おかげでカナダドルは上がりっぱなし。とうとう40何年ぶりのレートになって、まだ上がるという噂だ。おいおい、米ドルと日本円の収入は目減りする一方じゃないか。
それもこれも原油価格の高騰とつながっているらしい。なんたってカナダは隠れた石油大国。アルバータ北部のオイルサンドはアメリカ中の車を100年間走らせることができるくらいの埋蔵量があるそうな。東のニューファウンドランドにも大きな海底油田があるし、BC州の沖合いにも今は自然保護派によるストップがかかっているけれども相当な規模の油田があって、先住民が開発したがっている。中近東の石油は汲み上げるだけで安上がりだったから、オイルサンドは今まで太刀打ちできなかっただけの話。テロも反乱軍もいないカナダは石油の「安定供給国」として売り出せるかもしれないなあ。
とにかく、銀行に走ってGSTの納付を済ませ、戻ってきた編集済みファイルの見直しをしていたら、1日が暮れてしまった。バイリンガルの編集者がいなくて、今回はモノリンガルの人が編集。原稿と付き合わせることができないから、「読む人の立場」で編集される。意味がよくわからん、この表現でいいのか、と質問がどさっと来るからけっこう大変ではあるけど、見直して、考え直して、手直しをするという過程はまたとない勉強にもなる。この人は、「明瞭であること」にかけては一段と厳しいもので、おかげでくらいついて、つい気合が入ってしまう。英語は半生以上第1言語として使っているといっても所詮は母語ではないし、学歴もない(とヘンな自慢をしている)私にしてみれば、クライアントに育てられてきたも同然だなあと思う。多謝!
直せるところは直し、なお質問があるところはコメントをつけて、送り出した後は、請求書を書いて10月の営業が終わり。仕事場は散らかり放題なんだけど、ま、いいか。留守番をしてくれるシーラのためにパンを焼いて、そろそろ旅の支度を始めなきゃ。サンフランシスコは寒いかなあ・・・
ハロウィーン
10月31日。ハロウィーンの夜に空を飛んだら、ほうきに乗った魔女とすれ違うかな・・・?