戦前に東和商事を作ってヨーロッパ映画の名作を日本で公開した川喜多長政、かしこ夫妻の邸宅が「鎌倉市川喜多映画記念館」になっている。2010年の開館で、映画の上映もやっているけど、まだ行ったことがなかった。(鎌倉へ行く交通費だけで東京で映画が2本見られるから、わざわざ行く気にならない。)ところで、記念館の隣に別邸があり、そこは春秋の特別公開しか見られないというから、一度行ってみたいなと思っていた。場所は鶴岡八幡宮の近く、小町通りをずっと行って左折したあたり。
これは何だというと「旧和辻邸」である。その前は神奈川県の大山付近にあった江戸時代後期古民家だった。それを和辻哲郎が練馬区で居宅として使用していたという。それをさらに川喜多夫妻が移築したもので、今は鎌倉市の所有になっている。世界から映画人が訪れるたび、ここでもてなしたという。記念館の隣だけど、高台になっている場所にあり、小雨で地面が滑りやすい。背後に山があり、落ち着いた景観になっている。ガラス戸が開けられ、ここで撮られた写真が掲示されている。ヴィム・ヴェンダースが小津について撮った「東京画」という映画はここで撮影されたという。
和辻哲郎はほとんど読んでないんだけど、長男の夏彦氏が父の同級生だった。旧制武蔵中学の時で、単に同級生というだけでなく、テニス部で親友だったらしい。よく和辻さんという名前を小さいころから聞いていたんだけど、50代くらいでなくなってしまった。この家にかつて住んでいたこともあるんだろうか。また父の知人で、僕の仲人をしてくれた人が、鶴岡八幡宮の近くで駐車場を持っていた。若いころにお正月に訪ねたことがあるけど、初詣が一番の繁忙期で忙しそうだった。
その後、記念館を見た。いまちょうど「鎌倉映画地図」という特集をやっている。「海街diary」で使われた着物なんかも展示されていた。ところで川喜多夫妻は日本の映画界に非常に大きな足跡を残した人である。いまも映画界に貢献した人に贈る川喜多賞が贈られている。長政は戦時中に中国で「中華電影」を設立し、かしこは高野悦子とともに「エキプ・ド・シネマ」を結成して岩波ホールでの上映運動を始めた。だけど、僕はやはり重要なのは戦前のヨーロッパ映画公開だと思う。
「巴里祭」「会議は踊る」「望郷」「女だけの都」「民族の祭典」…。今の若い人は名前も知らないかもしれないけど、僕の親の世代はこれらの映画で外国を知った。だから小さいころから名前をよく聞かされて育った。そして、それらの映画は僕も若いころにたくさん見ることができた。それは東和が上映した映画のフィルムは、すべてフィルムセンターに寄贈されていたからである。戦前のヨーロッパ映画の特集上映は昔のフィルムセンターでよく行われていた。フィルムが収蔵されているからである。
ところで、鎌倉を舞台にした映画は数多い。僕が最近見たものでは、田中絹代が鎌倉彫の店で女主人をしている「黄色いからす」(五所平之助監督)がある。戦後の鎌倉駅周辺が映し出されていた。また澤井信一郎監督「早春物語」では原田知世が鎌倉の海辺の高校に通っている。(映画内では学校名は出てこない。)鎌倉のお寺もずいぶん出てくる。ずいぶんいろんな映画あるもんだ。
それでも最近の「海街diary」を除くと、やっぱり鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」が僕には印象深い。また見たいなあと思うが、中で出てくる「釈迦堂切通し」は見たら忘れられない印象を残す。一度実際に見てみたいと思いつつ、調べると「今は通行止め」と出ている。でも場所を調べてみると、「旧華頂宮邸」や「報国寺」の近くなのである。バス通りからちょっと離れると、もう深山めいたムードが漂い、ウグイスが鳴いている。それが鎌倉である。具体的には詳述しないけど…こんな感じ。
切通しなんだから、向こう側を探してみると、もっと近くて一応見える。ここは金沢街道と名越のあたりを結ぶ山道だった。非常に印象的なんだけど、まあ「通行止め」ということである。不思議なムードの映画に取りつかれた人でもなければ、あえて見てみる必要もないと思うけど、どこにあるかと思うと、案外市街地のすぐ近くにあるということが鎌倉の面白さである。鎌倉で見てないところは多くて、実は大仏も見たことがない。元気なうちに少し回ってみるかなあと思った鎌倉散歩だった。
これは何だというと「旧和辻邸」である。その前は神奈川県の大山付近にあった江戸時代後期古民家だった。それを和辻哲郎が練馬区で居宅として使用していたという。それをさらに川喜多夫妻が移築したもので、今は鎌倉市の所有になっている。世界から映画人が訪れるたび、ここでもてなしたという。記念館の隣だけど、高台になっている場所にあり、小雨で地面が滑りやすい。背後に山があり、落ち着いた景観になっている。ガラス戸が開けられ、ここで撮られた写真が掲示されている。ヴィム・ヴェンダースが小津について撮った「東京画」という映画はここで撮影されたという。
和辻哲郎はほとんど読んでないんだけど、長男の夏彦氏が父の同級生だった。旧制武蔵中学の時で、単に同級生というだけでなく、テニス部で親友だったらしい。よく和辻さんという名前を小さいころから聞いていたんだけど、50代くらいでなくなってしまった。この家にかつて住んでいたこともあるんだろうか。また父の知人で、僕の仲人をしてくれた人が、鶴岡八幡宮の近くで駐車場を持っていた。若いころにお正月に訪ねたことがあるけど、初詣が一番の繁忙期で忙しそうだった。
その後、記念館を見た。いまちょうど「鎌倉映画地図」という特集をやっている。「海街diary」で使われた着物なんかも展示されていた。ところで川喜多夫妻は日本の映画界に非常に大きな足跡を残した人である。いまも映画界に貢献した人に贈る川喜多賞が贈られている。長政は戦時中に中国で「中華電影」を設立し、かしこは高野悦子とともに「エキプ・ド・シネマ」を結成して岩波ホールでの上映運動を始めた。だけど、僕はやはり重要なのは戦前のヨーロッパ映画公開だと思う。
「巴里祭」「会議は踊る」「望郷」「女だけの都」「民族の祭典」…。今の若い人は名前も知らないかもしれないけど、僕の親の世代はこれらの映画で外国を知った。だから小さいころから名前をよく聞かされて育った。そして、それらの映画は僕も若いころにたくさん見ることができた。それは東和が上映した映画のフィルムは、すべてフィルムセンターに寄贈されていたからである。戦前のヨーロッパ映画の特集上映は昔のフィルムセンターでよく行われていた。フィルムが収蔵されているからである。
ところで、鎌倉を舞台にした映画は数多い。僕が最近見たものでは、田中絹代が鎌倉彫の店で女主人をしている「黄色いからす」(五所平之助監督)がある。戦後の鎌倉駅周辺が映し出されていた。また澤井信一郎監督「早春物語」では原田知世が鎌倉の海辺の高校に通っている。(映画内では学校名は出てこない。)鎌倉のお寺もずいぶん出てくる。ずいぶんいろんな映画あるもんだ。
それでも最近の「海街diary」を除くと、やっぱり鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」が僕には印象深い。また見たいなあと思うが、中で出てくる「釈迦堂切通し」は見たら忘れられない印象を残す。一度実際に見てみたいと思いつつ、調べると「今は通行止め」と出ている。でも場所を調べてみると、「旧華頂宮邸」や「報国寺」の近くなのである。バス通りからちょっと離れると、もう深山めいたムードが漂い、ウグイスが鳴いている。それが鎌倉である。具体的には詳述しないけど…こんな感じ。
切通しなんだから、向こう側を探してみると、もっと近くて一応見える。ここは金沢街道と名越のあたりを結ぶ山道だった。非常に印象的なんだけど、まあ「通行止め」ということである。不思議なムードの映画に取りつかれた人でもなければ、あえて見てみる必要もないと思うけど、どこにあるかと思うと、案外市街地のすぐ近くにあるということが鎌倉の面白さである。鎌倉で見てないところは多くて、実は大仏も見たことがない。元気なうちに少し回ってみるかなあと思った鎌倉散歩だった。