毎月書いている訃報のまとめ特集。先月は山口淑子と土井たか子という戦後史に残る活躍をした二人の女性の訃報が伝えられた。「ひとつの時代が去っていく」という感慨がわき起こる。
坂井義則(9.10没、69歳)の訃報にはビックリした。東京オリンピックの最終聖火ランナーである。よりにもよって、1945年8月6日に広島県で生まれ早稲田大学で陸上競技をしていた19歳の若者、などという人がよくもいたものである。でも、もちろん聖火ランナーではなく、本当は選手として五輪に出たかったのである。競技者としては、1966年のバンコク・アジア大会で、1600mリレー金メダル、400m銀メダルを獲ったというが、オリンピックには出場できなかった。その後、フジテレビに入社し、スポーツ報道に携わった。ミュンヘン五輪でのイスラエル選手団へのテロ事件報道などで活躍したらしいが、結局この人の人生は19歳の10月10日に象徴されてしまう。もし存命で2020年を迎えていたら、もう一回大きく取り上げられたんだろうけど。そして、現在の男性平均寿命からすれば、それはごく自然なことだったと思われたのだが。
作家、作詞家の山口洋子(9.6没、77歳)は、山口淑子と耳で聞くとよく似ていて昔は間違えていた。「演歌の虫」で直木賞を取ったが、それより「作詞もするクラブのママ」として知られていた。東映ニューフェースとして女優デビューしたけど、限界をさとって銀座に高級クラブ「姫」を開いたという話は今回初めて知った。「姫」という名前は、スポーツ選手や映画スターが通う店として、昔はすごく有名だったと思う。1971年に、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を作詞して大ヒット。この詞は、ハンガリーの詩人アディ・エンドレのマネという話が当時あったが、都市の情景を印象的に点描した傑作だと思う。五木ひろしの「夜空」、中条きよし「うそ」などを作詞、小説、エッセイなど多芸に活躍した。
元日本テレビのプロデュ―サー井原高忠(9.14没、85歳)が死去。深夜バラエティ番組「11PM」を作った人である。また「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」という大人気番組も作った。大橋巨泉と前田武彦である。テレビを多くの人が持つようになって10年ぐらいが経ち、60年代の熱気も受けて、「テレビの黄金時代」を作った人である。そういう世代のテレビの証言はとても面白い。
元関脇若秩父(わかちちぶ、9.16没、75歳)は僕の小さい時にはすごく有名な相撲取りだった。よく名前が出てきたけど、僕はあまり知らない世代になる。19歳で新入幕を果たし、19歳11か月で小結に昇進した。これは当時の最年少記録だけど、今は貴花田、北の湖、白鵬に次ぐ4位だとある。豪快な塩まきで人気とあって思い出したけど、後の水戸泉の方がすごいと思う。
経済学者の宇沢弘文(9.18没、86歳)は、ヒゲを生やした哲学者みたいな風貌しか知らないけど、元はアメリカでシカゴ大学教授などを務めた数理経済学者なんだそうである。ベトナム戦争への批判から日本に戻り、東大経済学部教授となる。そして、環境問題に目を向け、水俣や成田に足を運び「効率優先社会」への批判者となった。岩波新書で今も読まれる「自動車の社会的費用」は名著で、僕はその本ぐらいしかこの人を知らないけど、ずいぶん大きな訃報にビックリした。
「ドカベン」と親しまれた南海のキャッチャー、というか浪商で3回甲子園に出た香川伸行(9.26没、52歳)はまだ若い死だった。日産の元社長、久米豊(9.10没、93歳)、今クリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ」のモデルになった「フォー・シーズンズ」をプロデュースしたボブ・クルー(9.11没、83歳)は、「シェリー」や「君の瞳に恋してる」の作詞をした人。
坂井義則(9.10没、69歳)の訃報にはビックリした。東京オリンピックの最終聖火ランナーである。よりにもよって、1945年8月6日に広島県で生まれ早稲田大学で陸上競技をしていた19歳の若者、などという人がよくもいたものである。でも、もちろん聖火ランナーではなく、本当は選手として五輪に出たかったのである。競技者としては、1966年のバンコク・アジア大会で、1600mリレー金メダル、400m銀メダルを獲ったというが、オリンピックには出場できなかった。その後、フジテレビに入社し、スポーツ報道に携わった。ミュンヘン五輪でのイスラエル選手団へのテロ事件報道などで活躍したらしいが、結局この人の人生は19歳の10月10日に象徴されてしまう。もし存命で2020年を迎えていたら、もう一回大きく取り上げられたんだろうけど。そして、現在の男性平均寿命からすれば、それはごく自然なことだったと思われたのだが。
作家、作詞家の山口洋子(9.6没、77歳)は、山口淑子と耳で聞くとよく似ていて昔は間違えていた。「演歌の虫」で直木賞を取ったが、それより「作詞もするクラブのママ」として知られていた。東映ニューフェースとして女優デビューしたけど、限界をさとって銀座に高級クラブ「姫」を開いたという話は今回初めて知った。「姫」という名前は、スポーツ選手や映画スターが通う店として、昔はすごく有名だったと思う。1971年に、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を作詞して大ヒット。この詞は、ハンガリーの詩人アディ・エンドレのマネという話が当時あったが、都市の情景を印象的に点描した傑作だと思う。五木ひろしの「夜空」、中条きよし「うそ」などを作詞、小説、エッセイなど多芸に活躍した。
元日本テレビのプロデュ―サー井原高忠(9.14没、85歳)が死去。深夜バラエティ番組「11PM」を作った人である。また「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」という大人気番組も作った。大橋巨泉と前田武彦である。テレビを多くの人が持つようになって10年ぐらいが経ち、60年代の熱気も受けて、「テレビの黄金時代」を作った人である。そういう世代のテレビの証言はとても面白い。
元関脇若秩父(わかちちぶ、9.16没、75歳)は僕の小さい時にはすごく有名な相撲取りだった。よく名前が出てきたけど、僕はあまり知らない世代になる。19歳で新入幕を果たし、19歳11か月で小結に昇進した。これは当時の最年少記録だけど、今は貴花田、北の湖、白鵬に次ぐ4位だとある。豪快な塩まきで人気とあって思い出したけど、後の水戸泉の方がすごいと思う。
経済学者の宇沢弘文(9.18没、86歳)は、ヒゲを生やした哲学者みたいな風貌しか知らないけど、元はアメリカでシカゴ大学教授などを務めた数理経済学者なんだそうである。ベトナム戦争への批判から日本に戻り、東大経済学部教授となる。そして、環境問題に目を向け、水俣や成田に足を運び「効率優先社会」への批判者となった。岩波新書で今も読まれる「自動車の社会的費用」は名著で、僕はその本ぐらいしかこの人を知らないけど、ずいぶん大きな訃報にビックリした。
「ドカベン」と親しまれた南海のキャッチャー、というか浪商で3回甲子園に出た香川伸行(9.26没、52歳)はまだ若い死だった。日産の元社長、久米豊(9.10没、93歳)、今クリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ」のモデルになった「フォー・シーズンズ」をプロデュースしたボブ・クルー(9.11没、83歳)は、「シェリー」や「君の瞳に恋してる」の作詞をした人。