尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2014年9月の訃報

2014年10月05日 23時14分57秒 | 追悼
 毎月書いている訃報のまとめ特集。先月は山口淑子土井たか子という戦後史に残る活躍をした二人の女性の訃報が伝えられた。「ひとつの時代が去っていく」という感慨がわき起こる。

 坂井義則(9.10没、69歳)の訃報にはビックリした。東京オリンピックの最終聖火ランナーである。よりにもよって、1945年8月6日に広島県で生まれ早稲田大学で陸上競技をしていた19歳の若者、などという人がよくもいたものである。でも、もちろん聖火ランナーではなく、本当は選手として五輪に出たかったのである。競技者としては、1966年のバンコク・アジア大会で、1600mリレー金メダル、400m銀メダルを獲ったというが、オリンピックには出場できなかった。その後、フジテレビに入社し、スポーツ報道に携わった。ミュンヘン五輪でのイスラエル選手団へのテロ事件報道などで活躍したらしいが、結局この人の人生は19歳の10月10日に象徴されてしまう。もし存命で2020年を迎えていたら、もう一回大きく取り上げられたんだろうけど。そして、現在の男性平均寿命からすれば、それはごく自然なことだったと思われたのだが。

 作家、作詞家の山口洋子(9.6没、77歳)は、山口淑子と耳で聞くとよく似ていて昔は間違えていた。「演歌の虫」で直木賞を取ったが、それより「作詞もするクラブのママ」として知られていた。東映ニューフェースとして女優デビューしたけど、限界をさとって銀座に高級クラブ「」を開いたという話は今回初めて知った。「姫」という名前は、スポーツ選手や映画スターが通う店として、昔はすごく有名だったと思う。1971年に、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を作詞して大ヒット。この詞は、ハンガリーの詩人アディ・エンドレのマネという話が当時あったが、都市の情景を印象的に点描した傑作だと思う。五木ひろしの「夜空」、中条きよし「うそ」などを作詞、小説、エッセイなど多芸に活躍した。

 元日本テレビのプロデュ―サー井原高忠(9.14没、85歳)が死去。深夜バラエティ番組「11PM」を作った人である。また「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」という大人気番組も作った。大橋巨泉と前田武彦である。テレビを多くの人が持つようになって10年ぐらいが経ち、60年代の熱気も受けて、「テレビの黄金時代」を作った人である。そういう世代のテレビの証言はとても面白い。

 元関脇若秩父(わかちちぶ、9.16没、75歳)は僕の小さい時にはすごく有名な相撲取りだった。よく名前が出てきたけど、僕はあまり知らない世代になる。19歳で新入幕を果たし、19歳11か月で小結に昇進した。これは当時の最年少記録だけど、今は貴花田、北の湖、白鵬に次ぐ4位だとある。豪快な塩まきで人気とあって思い出したけど、後の水戸泉の方がすごいと思う。

 経済学者の宇沢弘文(9.18没、86歳)は、ヒゲを生やした哲学者みたいな風貌しか知らないけど、元はアメリカでシカゴ大学教授などを務めた数理経済学者なんだそうである。ベトナム戦争への批判から日本に戻り、東大経済学部教授となる。そして、環境問題に目を向け、水俣や成田に足を運び「効率優先社会」への批判者となった。岩波新書で今も読まれる「自動車の社会的費用」は名著で、僕はその本ぐらいしかこの人を知らないけど、ずいぶん大きな訃報にビックリした。

 「ドカベン」と親しまれた南海のキャッチャー、というか浪商で3回甲子園に出た香川伸行(9.26没、52歳)はまだ若い死だった。日産の元社長、久米豊(9.10没、93歳)、今クリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ」のモデルになった「フォー・シーズンズ」をプロデュースしたボブ・クルー(9.11没、83歳)は、「シェリー」や「君の瞳に恋してる」の作詞をした人。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永井愛の新作、「鷗外の怪談」

2014年10月04日 21時16分21秒 | 演劇
 二兎社公演、永井愛の作・演出「鷗外の怪談」をさっそく見た。(10月26日まで。池袋の東京芸術劇場シアターウェスト。その後全国各地で上演。)
 
 永井愛さんの新作は出来るだけ見たいと思っている。前作「兄帰る」は書かなかったけど、その前の「こんばんは、父さん」はこのブログで記事を書いた。関心がある劇作家は何人もいるけど、あまり作品が多いと見に行けない。永井愛の新作公演は、まあ1年に一作だから見に行こうかと思う。でも近代日本の文豪と言えば、大体井上ひさしが芝居にしてしまった感じ。そう言えば鷗外はなかったかなあ。でも、鷗外さんは陸軍軍医総監だからエライ人だ。啄木とか賢治とか、あるいは太宰治とか、本質はともかく、現世的には出世できそうもない偉くない人の方が井上ひさしの好みに合いそうだ。じゃあ、一体永井愛さんは鷗外のどこを書くのかなあ、しかも「怪談」ですよ、階段じゃくなて。

 ところが劇場でもらったパンフを見ると、登場人物に永井荷風が出てくるではないか。大逆事件当時の鷗外を描くということで、新宮のドクトル大石もセリフの中に出てくる。ブログで書いた辻原登の傑作「許されざる者」のモデルになった人物である。今年、ブログでいっぱい書いた辻原登、永井荷風、そして集団的自衛権問題などが全部絡んでくるようなお芝居で、非常に面白かった。知的に興奮し、「いまを生きる」とはどういうことかという問いが全面を覆う優れたドラマだと思う。妻と母、友人や弟子との間で引き裂かれ苦しむ鷗外の姿は、現代を生きるわれわれの姿そのもので、感動した。ドクトル大石の存在は、まさに「隠し味」で、その場面には落涙必至。

 この劇は、最初から最後まで、「観潮楼の2階」で展開する。「観潮楼」とは鷗外が文京区千駄木に建てた家のことだが、今は鷗外記念館になっている。昔はその場所から東京湾が見えたのだという。そこに妻や母親はもちろん、さまざまの人が鷗外を訪ねてくる。大逆事件の弁護人を務めた歌人、小説家の平出修(ひらいで・しゅう)はその一人。雑誌「スバル」(鷗外が「ヰタ・セクスアリス」を発表し発禁になった)の編集のためと称して、大逆事件の弁護方針を相談に来る。一方、鷗外関係の文章にはいつも登場する友人の医者、賀古鶴所(かこ・つるど)は鷗外と元老山縣有朋をつなぐ立場で登場し、大逆事件の罪刑を内々に相談する秘密会合への参加を求める。はたまた鷗外の推挙で慶應に職を得た永井荷風も「三田文学」の編集の相談で顔を出すが、新橋芸者八重次(文学芸者と言われている)をめぐり「遊び人」とからかわれている。

 こうして、このドラマでは、森鷗外を大逆事件をめぐって、「助けたい側」「罰したい側」の双方から、相談を持ちかけられる存在として描いている。それが実際の話かどうかは知らないけれど、双方に知り合いがいたことは事実であり、「憂慮する保守的知識人」という鷗外の立場そのものは現実のものだろう。また市ヶ谷監獄の裏手に住み毎日幸徳らを意識せざるを得ない「西欧を知る知識人」荷風の目を通して、当時の日本の状況が相対化されている。このように場は「観潮楼2階」に極限されながらも、明治の日本のすべてが詰まったような「思想の現場」である。

 と言っても、現実の人間は毎日仕事や家庭生活に追われている。鴎外はドイツから追ってきたエリス(「舞姫」に描かれた)と別れ(させられ)た後、結婚して長男於菟(オト)が生まれるが、すぐに離婚。その後、18歳年下の志げと再婚、後に文筆活動を行う茉莉(マリ)、杏奴(アンヌ)が生まれた。その下の次男は亡くなるが、三男となる類(ルイ)を身ごもっているのが、この劇の時代。(鷗外の子どもは、このように皆、日本人離れした名前を付けられた。)妻は夫にならって文筆活動も行い、そのことをめぐり姑(鷗外の母、峰)といさかいが絶えない。この嫁姑のいさかいがコミカルに描かれ、劇を進行させる役割をになっている。母は昔、津和野でキリシタン弾圧(長崎の浦上のキリシタン信者が流刑された「浦上四番崩れ」)を記憶していて、お上に逆らう恐ろしさが身に染みている。母も友人賀古も、出世の恩人山縣公を大切にせよと鷗外に迫る。しかし、鷗外はそのキリシタンも今では禁制は解かれている、思想は国家が統制するものではないと考えて、寓意的には批判しているのだが…。

 こうして、12月に特別法廷が始まり、クリスマスと新年をはさんで、暗い閉塞の年明けがやってくる。いよいよ判決を迎え、人々はどうしたか。深夜に山縣公に意見具申をしようと考える鷗外。国がおかしくなってしまうのではないか、そう思われる危機の時点に「体制内」で生きる者はどう生きることができるのか?これは多くの日本人にとって、「いまを生きるとはどういうことか」という問いそのものだろう。森家ではどうなったのかは舞台を見て考えてもらうとして…。僕には我々は後世に向け言うべきことは言って行かないといけないと勇気づけられる舞台に思えた。その時代の国家権力に通じないことであれ、100年後の人に勇気を与えることもあるのだから。

 この劇には、鷗外、妻志げ、母峰、平出修、永井荷風、賀古鶴所の実在人物6人に加えて、新宮出身という設定の序中スエというただ一人実在しない人物が出てくる。都合7人、全員二兎社初出場で、鷗外役金田明夫、美人妻の水崎綾女も悪くないけど、母親役の大方斐紗子が素晴らしい存在感。どこかで見たなあと思ったら、園子温監督「恋の罪」の「殺される大学教授」の母親をやっていた人である。この家族と女中の掛け合いが面白く、決して思想劇という感じではなく、むしろ永井愛の得意とする家族劇のコメディとして完成度が高い。その部分と思想劇の部分がちょっと整合していない部分もあるかと思うが、それが今に続く「日本の知識人の現実生活」でもある。鷗外の家でクリスマス会が行われ、母親も嫌々ながら孫相手に楽しみにしている。そこに荷風が来て手伝わされるが、ツリーに付ける星が何度やっても落ちてしまう。それがおかしいが、荷風の、つまりは「欧州好きの知識人の不器用」が大逆事件後にどうなるか、まったく他人ごとではない。100年前の話を見て「まるで今のようだ」と思うというのも、悲しい話である。普段はあまり演劇を見ないような人にこそおススメ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の映画日記-新作編

2014年10月01日 20時55分36秒 | 映画 (新作日本映画)
 まず、9月30日に見た映画から。テアトル新宿で21時10分からレイトショーで、松江哲明「フラッシュバックメモリーズ3D」を見た。昨年の公開作品だけど、見逃していた。僕の言う旧作とは何十年も前の映画のことだから、新作扱いでここに書く。これはキネ旬ベストテン10位に入ってビックリしたけど、やはり驚異の映画ではあった。実は3D映画を見るのは初めてなんだけど、これは確かに3Dで作る意味があったと思う。交通事故で記憶障害になったディジュリドゥ奏者GOMAの音楽活動を描く映画で、後半になって舞台演奏シーンの後ろに本人や妻の日記が字で出てくると非常に心打たれるシーンとなる。大体、ディジュリドゥなんて言われても、それも知らなかったけど、オーストラリアのアボリジニーの楽器で、今調べたらシロアリに食べられて空洞になったユーカリの木で作った金管楽器だという。木だけど、音の出る原理から金管楽器に分類されると出ている。その不思議な音も迫力なんだけど、記憶障害(高次脳機能傷害)になっても演奏は「体が覚えていた」というのがすごい。首都高で追突されたらしいが、身体機能に大きな影響はないらしいのに、記憶に影響が出ているらしい。「博士の愛した数式」や「メメント」などほど大変ではない感じだが、これはまさに実話というか、ドキュメントである凄さがある。3日まで上映されている。

 その前にキネカ大森で、大林宣彦の最近作「野のなななのか」(2014)と「この空の花-長岡花火物語」(2012)を見た。アンナに好きだった大林監督も、10年前の「理由」を最後に新作は見ていなかった。大林監督作品には、けっこう凡作が多いけど、90年代後半からはセルフ・リメイク感の強い作品が多くなって、見なくなってしまった。そんな中で、今回の2本には共通点が多い。
地方発のインディーズ映画で、かつ上映時間が3時間近い。
②日本の美しい風景(新潟の山古志と北海道の芦別)が随所に映し出される「風景映画」。
③反戦、反原発の思いが生で強く打ち出されている。
④生者に混じって死者が画面に登場し、この世とあの世の境があいまいである。
⑤一輪車の子どもたち(長岡)や野の楽士隊(なななのか)による祝祭的幻想空間。
⑥しかし、出過ぎなくらい有名俳優が登場してきて、プロの映画になっている。
 こういう「地方発」のお勉強幻想映画で、見て長い感じはしないけれど、でも長すぎはしないか。ドキュメントでも作れるところを、劇映画にして有名俳優が出るところに「地方」を超える試みになるとも言える。デジタルなら作れるという映画でもあるだろう。どう評価していいのか迷うところも多いのだが、「ポスト3・11」の精神を伝え続ける意味はあるだろう。それに今「なによりも戦争は嫌だ」という声(特に「被害だけでなく加害の面も)を残すことも重要性も判る。でも一番の印象は、山古志や芦別の美しい風景を見てみたいという気持ちになるということだろう。芦別は昔クルマで通ったけど、カナディアンワールドの建物がまだきれいに残っているように見えたのが印象的。赤毛のアンの家に今年は少しは人が行っているのかな。

 その前に見た映画では、カンヌのコンペに出た河瀬直美「2つ目の窓」はとても良かった。河瀬監督も期待を裏切る作品が多く、今回も意気込みにもかかわらずカンヌで無冠で終わり、公開されても見なかった人がいるのではないかと思う。僕も終了直前に見たので、ここで書かなかったけど、奄美の大自然の中で育つ若い男女を描き、とても素直に感動できる。今後機会があれば見て欲しい映画。

 今公開中の映画では、「フランシス・ハ」が実に面白くて最高。この不思議な題名の由来はラストに判るので注目。ノア・バームバックという監督は僕は初めてだが、主演・共同脚本の女優グレタ・ガーヴィグのダメぶりが最高。ダンススクールの練習生のフランシスは、27歳になっても目が出ない。ルームシェアしてる友達がどんどん男と結ばれ、仕事も順調なのに、自分は夏の旅公演メンバーに選ばれない。周りには選ばれるようなことを言っていたから、不運の目が転がっていく。ちょっと人付き合いが外れた感じの女の子が、やっぱりアメリカにもいて、「非モテ系」と字幕は出てるけど、そういう世界を描いている。このフランシスのダメっ子ぶりが実におかしくてチャーミング。日本の若い女性にも是非見て欲しい映画。「火のようにさみしい姉がいて」を見る前の時間が空いて、渋谷のユーロスペースで見たんだけど、掘り出し物でまた見たい映画。
 
 チリ映画の「NO」は記事を書いたけど、他ではガス・ヴァン=サント「プロミスト・ランド」がオイルシェールをめぐる環境問題を扱い、面白かったけど、脚本が作り過ぎか。主演のマット・デイモンより、同僚役のフランシス・マクドーマンドが「ファーゴ」を思い起こさせる名演・イタリア映画が好きで、去年のベネチアグランプリの「ローマ環状線」と岩波でやっている「ローマの教室で」を見たけど、どうもいま一つの感がした。アカデミー外国語映画賞の「グレート・ビューティ」は見たかったけど、見る前に終わってしまったので、どこかで見たい。新作も見たい映画がいっぱいあるが、どこかで見られるだろうとつい逃しがちになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする