カンヌ映画祭で脚本賞(坂元裕二)を獲得した是枝裕和監督の『怪物』。この映画をどのように理解するべきだろうか。カンヌ映画祭ではまた別にクィア・パルム賞も受賞した。そのことの意味がなかなか理解出来ないのだが、ラスト近くになってようやく観客に見えて来た頃、『怪物』という映画の凄みが見えてくる。ある小学校で起こった子ども同士の問題が、映画では視点を変えて描き直される。その複雑なピースは見終わっても完全にははまらないと思う。ラストで伏線すべてが上手に腑に落ちてしまう作りではないから、判りにくいと感じる人もいるだろう。でも非常によく出来た傑作だと思う。

最初に湖が見えている。予告編を見たときから諏訪湖っぽいなと思ったけど、案の定冒頭で「上諏訪」と明示される。長野県の中央にある上諏訪、下諏訪は温泉や諏訪大社で知られる大観光地である。僕も行ったことがあるけど、観光客の姿は全く消されている。映画では今年作られた『ロストケア』もここで撮られていた。フィルムコミッションが非常に協力的なんだという。何となく不穏なムードが共通している。映画は小学5年生の二人の少年とその周囲を描くが、主なロケ地となる小学校は2021年に閉校した旧城東小学校という所だという。このロケ地が映画に真実性と落ち着きを与えている。
(旧城北小学校)
ストーリーを詳しく紹介するのは控えるべき映画だろう。骨子だけ簡単に書くと、クリーニング屋をしているシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)、その小学5年生の子ども麦野湊(黒川想矢)がいる。最近湊の様子がどうも少し変である。靴が片方ないとか、遅くまで帰らず川辺に出掛けていたり…。見つけて帰る途中で車から突然飛び降りてしまう。ある日、耳をケガした理由を聞くと、湊は保利先生(永山瑛太)の名前を出す。母は翌日学校へ事情を聞きに行くが、ここで「事なかれ主義」の権化みたいな管理職の壁にぶつかる。もっと事情は複雑だが、ここまでが安藤サクラによる学校追求篇である。
(保利先生)
そこから視点が変わり、保利先生を中心に見ることになる。そこで教室の様子も出て来るので、最初に語られたエピソードの数々は必ずしも「事実」ではないと判ってくる。同級生の星川依里(ほしかわ・より、柊木陽太)の家の事情も出て来て、湊と依里の関係性が重要になってくる。一方で、保利先生の私生活も出て来て、恋人(高畑充希)に結婚しようと言っている。どこで知り合ったのか不明だが、ガールズバーに出入りしていると親たちが噂している。そして、二人の子どもたちの視点で、物語が再度語り直される。二人にはトンネルの向こうに「秘密基地」があったのである。トンネルと子どもたちということで、今年公開された足立紳監督の秀作『雑魚どもよ、大志を抱け!』を思い出させる。
(麦野家の親子)
是枝監督は基本的に自分で脚本も書く(編集もする)タイプである。『誰も知らない』も『万引き家族』もそうだし、外国で作った『真実』『ベイビー・ブローカー』も自分の脚本だった。今回は坂元裕二の脚本で、違う人が担当するのは、何とデビュー作の『幻の光』(1995)以来になる。そのことでテイストは少し変わったと思うけど、自由自在に俳優を動かす近年の是枝映画と変わってはいない。このように「真実」のありかを探す映画としては、なんと言っても黒澤明『羅生門』があるが、そこでは最後まで真実が判明しない。むしろ同じシーンを違った視点で見せる内田けんじ監督『運命じゃない人』に似ている。
(是枝監督と坂元裕二)
『運命じゃない人』はエンタメ系なので、伏線は最後にすべて回収され事実は解明される。しかし、『怪物』はそういう映画ではない。「人間世界の複雑さ、重層性」を感じさせて終わるため、解明されない謎も多く残る。(僕が最大の謎だと思うのは、冒頭で出て来るビル火災の真相。)物語の構造上、学校の対応は非常におかしなものになっている。「親から教育委員会に持ち込まれたら…」と言うセリフがあるが、教員の体罰や生徒間いじめが疑われるケースだから、当然学校側から直ちに報告するだろう。それにしても校長先生(田中裕子)のキャスティングは意表を突いている。
(スタッフ、キャスト)
僕は映画を見て、自分の教員時代を思い出してしまった。親や教師は子どもの世界を理解していないことが多い。何で判らないんだろうと思うけど、自分で教師をしてみれば、教師は生徒の一面しか見えていないことを痛感する。結局解明出来ない「謎の事件」は数多い。この映画の場合、二人の子どもたちが遊んでいる時は二人以外判りようがないけれど、教室での出来事は他の生徒が見ていた。小学5年生なんだから、判っているはずだ。保利先生は異動してきたばかり(多分)で、前年までの様子を知らないかもしれないが、女子生徒のリーダーがしっかりしていれば大分変わっていたはず。管理職の対応を見ていると、リーダー育成をちゃんとやって来なかったんだろう。保利先生も女性問題を親が吹聴して、女子生徒に人気がなかったのかもしれない。
この映画を見て、僕は一つの俳句を思い出した。
好きだから 強くぶつけた 雪合戦 風天
「風天」(ふうてん)は渥美清の俳号である。雪合戦じゃないけど、僕は全く同じことを小学生時代に体験した。この俳句が映画に何の関係があるのかって? それは自分で見て感じて下さい。(なお、坂本龍一の遺作で、音楽が素晴らしい。)

最初に湖が見えている。予告編を見たときから諏訪湖っぽいなと思ったけど、案の定冒頭で「上諏訪」と明示される。長野県の中央にある上諏訪、下諏訪は温泉や諏訪大社で知られる大観光地である。僕も行ったことがあるけど、観光客の姿は全く消されている。映画では今年作られた『ロストケア』もここで撮られていた。フィルムコミッションが非常に協力的なんだという。何となく不穏なムードが共通している。映画は小学5年生の二人の少年とその周囲を描くが、主なロケ地となる小学校は2021年に閉校した旧城東小学校という所だという。このロケ地が映画に真実性と落ち着きを与えている。

ストーリーを詳しく紹介するのは控えるべき映画だろう。骨子だけ簡単に書くと、クリーニング屋をしているシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)、その小学5年生の子ども麦野湊(黒川想矢)がいる。最近湊の様子がどうも少し変である。靴が片方ないとか、遅くまで帰らず川辺に出掛けていたり…。見つけて帰る途中で車から突然飛び降りてしまう。ある日、耳をケガした理由を聞くと、湊は保利先生(永山瑛太)の名前を出す。母は翌日学校へ事情を聞きに行くが、ここで「事なかれ主義」の権化みたいな管理職の壁にぶつかる。もっと事情は複雑だが、ここまでが安藤サクラによる学校追求篇である。

そこから視点が変わり、保利先生を中心に見ることになる。そこで教室の様子も出て来るので、最初に語られたエピソードの数々は必ずしも「事実」ではないと判ってくる。同級生の星川依里(ほしかわ・より、柊木陽太)の家の事情も出て来て、湊と依里の関係性が重要になってくる。一方で、保利先生の私生活も出て来て、恋人(高畑充希)に結婚しようと言っている。どこで知り合ったのか不明だが、ガールズバーに出入りしていると親たちが噂している。そして、二人の子どもたちの視点で、物語が再度語り直される。二人にはトンネルの向こうに「秘密基地」があったのである。トンネルと子どもたちということで、今年公開された足立紳監督の秀作『雑魚どもよ、大志を抱け!』を思い出させる。

是枝監督は基本的に自分で脚本も書く(編集もする)タイプである。『誰も知らない』も『万引き家族』もそうだし、外国で作った『真実』『ベイビー・ブローカー』も自分の脚本だった。今回は坂元裕二の脚本で、違う人が担当するのは、何とデビュー作の『幻の光』(1995)以来になる。そのことでテイストは少し変わったと思うけど、自由自在に俳優を動かす近年の是枝映画と変わってはいない。このように「真実」のありかを探す映画としては、なんと言っても黒澤明『羅生門』があるが、そこでは最後まで真実が判明しない。むしろ同じシーンを違った視点で見せる内田けんじ監督『運命じゃない人』に似ている。

『運命じゃない人』はエンタメ系なので、伏線は最後にすべて回収され事実は解明される。しかし、『怪物』はそういう映画ではない。「人間世界の複雑さ、重層性」を感じさせて終わるため、解明されない謎も多く残る。(僕が最大の謎だと思うのは、冒頭で出て来るビル火災の真相。)物語の構造上、学校の対応は非常におかしなものになっている。「親から教育委員会に持ち込まれたら…」と言うセリフがあるが、教員の体罰や生徒間いじめが疑われるケースだから、当然学校側から直ちに報告するだろう。それにしても校長先生(田中裕子)のキャスティングは意表を突いている。

僕は映画を見て、自分の教員時代を思い出してしまった。親や教師は子どもの世界を理解していないことが多い。何で判らないんだろうと思うけど、自分で教師をしてみれば、教師は生徒の一面しか見えていないことを痛感する。結局解明出来ない「謎の事件」は数多い。この映画の場合、二人の子どもたちが遊んでいる時は二人以外判りようがないけれど、教室での出来事は他の生徒が見ていた。小学5年生なんだから、判っているはずだ。保利先生は異動してきたばかり(多分)で、前年までの様子を知らないかもしれないが、女子生徒のリーダーがしっかりしていれば大分変わっていたはず。管理職の対応を見ていると、リーダー育成をちゃんとやって来なかったんだろう。保利先生も女性問題を親が吹聴して、女子生徒に人気がなかったのかもしれない。
この映画を見て、僕は一つの俳句を思い出した。
好きだから 強くぶつけた 雪合戦 風天
「風天」(ふうてん)は渥美清の俳号である。雪合戦じゃないけど、僕は全く同じことを小学生時代に体験した。この俳句が映画に何の関係があるのかって? それは自分で見て感じて下さい。(なお、坂本龍一の遺作で、音楽が素晴らしい。)
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