尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

奇跡の本「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」

2018年11月24日 22時57分41秒 | 〃 (さまざまな本)
 単行本はもうほとんど買わないんだけど、書評でぜひ読みたいと思ったのが内田洋子モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」(方丈社、2018)という本。イタリアのトスカーナ州の小さな村が、代々本の行商でイタリア中を周って生きてきた。19世紀初めから、イタリアどころか他の国にまで出かけたのである。薬の行商なら日本にもあるけど、本の行商って何だろう。

 内田洋子さんという著者はよく知らなかったけど、イタリアに在住して通信社に勤務しながらイタリアに関する著作をいくつも書いている。「ジーノの家 イタリア10景」(2011)ではエッセイストクラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞した。名前を見れば知ってた本もあるけど、初めて読んだ。共著、翻訳を含めれば30冊ぐらいある。ミラノに住んでいたけど、ヴェネツィアによく出掛けて古本屋と仲よくなる。そこの店主がモンテレッジォというところの出身で、そこが本の行商で生きてきた村だと初めて聞く。ホームページを見て、さっそく一度訪ねようと思ったが…。

 トスカーナ州はフィレンツェが州都だけど、モンテレッジォというのは西の端っこにある。アペニン山脈の奥深くにある山村で、今はほとんどが町へ出ているという。後で判るが、現在の住人はわずか32人。ホームページを作ってる人も村外在住で、電車やバスではちょっと行きにくい。車で案内してくれるという。そうやって石の村を訪ねて、この不思議な紀行というか歴史探訪が始まる。

 1816年は世界的な冷害の夏だった。イタリア北部でも異常気象となり農業が壊滅した。その年に多くの村で生きるための行商が始まった。モンテレッジォでも初めは本ではなく、刃物や砥石を売っていた。しかし、だんだん本売りが中心になっていった。行商で周る村々には本屋がなく、本の需要が高いことに気付いたのだ。出版社の側も、売りまわって評判を伝えてくれる行商人は歓迎した。当時のイタリアはリソルジメント(イタリア統一運動)の真っ最中。教皇庁やオーストリア帝国が認めない「危険思想」の言葉を人々は待ち望んだ。

 そのうち南米やスペインにも出てゆく村人が現れ、イタリア各地で本屋を開く人々も出てきた。今も残っている本屋もあり、内田さんはノヴァラとかビエッラとか聞いたこともない町を訪ねてゆく。それらの町で今も本屋が人々の心の拠り所として生きていた。モンテレッジォでは、今も夏になると本祭りが開かれる。そこではイタリアでももっとも知られた文学賞、露天商賞が1953年から続いている。その賞を受けた作品は、2000冊を刑務所や病院など本を読む機会に恵まれない人に贈られる。第一回が「老人と海」で、村への入り口にヘミングウェイの肖像があった。

 古本屋で聞いた話から、歴史と地理を超えた旅が続いてゆく。イタリアでもう何十年も前から、「本屋大賞」みたいな賞が続いていたとは。これは本が何より好きという人向けの本かなと思う。本屋というものが世界的に減ってきている。でも「本屋」だけが持つ独特な空間の匂いを愛する人がいなくなるとは思えない。本と本屋を愛する人には忘れがたい本になる。ついでに書くと、小川洋子・平松洋子「洋子さんの本棚」(集英社文庫)という素晴らしい本がある。内田洋子さんも含めて、イタリアで鼎談をする企画をぜひどこかでお願いしたいなと思う。
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