尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設を見る

2022年05月03日 22時50分16秒 | 東京関東散歩
 東京にも歴史的に貴重な近代遺産が数多く残されている。一度は行きたいなと思いつつも、なかなか行ってない施設がいっぱいあるが、その一つが「旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設」だ。「喞筒」なんて漢字があるのか。後ろの方は「筒」(つつ)だが、前の方は見当も付かない。ここは日本の下水道の始まりの施設で、何と重要文化財に指定されている。東京駅のような赤レンガ建築だが、建築美というよりは社会史的な意義の大きな施設というべきだろう。

 場所は東京都荒川区にあって、今は「三河島水再生センター」の一部となっている。都電荒川線の荒川二丁目停留所で下りると真ん前に見えている。入口はちょっと歩いて道を曲がったところになる。もともと火曜、金曜を除き見学者を受け入れているが、予約が必要になる。(インターネットで予約可能。)ただし、春のつつじの季節には予約不要の「通り抜け」をやっていて、一度花の季節に行こうと思っていた。3年前にちょうど都合の良い土曜日につつじ鑑賞会があったので行く気満々だったのだが、当日に突然原因不明の体調不良になってしまった。その後2年間コロナ禍だったので、今年ようやく行くことが出来た。
  
 全景写真を最初に載せたが、入口から入ったところは高くなっている。そこから見ると、大きな建物としては奥の方に大きな施設がある。それが「喞筒室」で、ホームページを見ると「下水を地下のポンプ井から吸い上げるポンプが10台設置されています」と書かれている。施設の中には入れなくて、パンフレットもない。案内版はあるけど、まあ忘れてしまうから、書く時に確認がいるわけである。そこに行く前に幾つかの施設がある。最初にあるのが「入口阻水扉室上屋」(下の最初の写真)で、「メンテナンス等のために下水の流れを一時的に止める扉」が地下にあって、その上屋になる。
   
 上の写真の2枚目が「土運車引揚(どうんしゃひきあげ)装置(インクライン)用電動機室」で、「下水から取り除いた土砂やゴミを積んだ土運車(トロッコ)を坂の上まで引き上げる機械」があった。中は見られない。どうも建物の名前が古風で難解なので、なじみにくい。そもそも下水道の歴史など全く知らないのだが、あちこちに案内板があって説明している。3枚目は重文指定の案内板。ところで今回はつつじが見どころということだった。ここは桜も名所なんだというが、つつじも立派なものだった。
 
 そもそも何年に出来たのかというと1922年(大正11年)のことで、1999年まで使われたという。ちょうど100年前である。出来るまでは長い時間があった。都市化ととも伝染病なども多く発生し、家庭下水をそのまま川に流して良いのか大きな問題になっていた。御雇外国人のバートンという人が三河島に処理場を作る計画を立てたが、財政上の問題で頓挫。その後1907年に中島鋭治によって計画が練り直され、1914年に着工された。中島は世田谷区にある駒沢給水塔を設計した人である。現在の台東区や千代田区を対象にしたが、「下水道」というものがあったわけではなく、糞尿を自動車で搬入し、処理した汚泥は品川沖に投棄したという。
  
 坂道を下に下りていくと、「沈砂池」と「濾(ろ)格室上屋」がある。場所としてはここが一番大きく、中庭に当たる部分の大部分を占める。「東・西に各1池あり、下水を池の中でゆっくり流して、下水中の土砂類を沈殿させて、取り除きます」ということになる。下水処理の中心だったところだろう。二つあるうち、片方は当時の施設のまま見えるようにされている。それが2枚目の写真である。そういう場所なので、ここには「日本の下水道発祥の地」という碑が立っている。(字は鈴木俊一元都知事)
  
 そして一番奥に「ポンプ室」があるわけである。ここが一番大きな施設で、花とともに写された写真ではなかなか美しい感じだが、近くに寄ってみると、やはり実用的な建築だなという感じがした。下水処理施設が「美しさ」を目指して建設されたはずもなく、歴史的価値によって重文に指定されたものだ。こういう施設が遺され公開されていることは、日本近代の都市発展史を振り返る意味でも大きな意義がある。一度は見ておくべきところかなあと思った。もっとも今回は電車事故のため時間が少なくなってしまい、駆け足的に見た感じだったんだけど。
 
 都電を降りた道も、今はバラが咲いていて気持ちよい。そこから見える壁の向こうが、もう下水処理場である。その隣には「荒川自然公園」というのがあるが、今回は行かなかった。家から近い割には行ったことがないところが多い地域である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「大ロシア共栄圏」の下のウ... | トップ | ホロヴィッツ「絹の家」「モ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東京関東散歩」カテゴリの最新記事